終末と救済
自己の外部化としての終末
「終末」は、自己が存在しなくなった後の世界。死後、主観的には消え去るが、他者や世界において自己が「外部化」したものが残る。作り上げたものや残した行いが直接的間接的に他者の内面にとりこまれ、成長変化していくことにより、自己は完全には消失することなく、他者が構成する世界に外面的内面的に残り続ける。死により確定され、完全に譲渡された「完成された自己」が引き継がれ、発展する。終末は普遍的な存在としての残存を意味する。
記憶の継承と生き続けること
「記憶の継承」は、他者の内に生き続けること。他者の記憶や心に残り、影響を与え続けることで、その人は肉体的に消え去った後も、なお「生き続けている」と言える。この「働き」は、存在が記憶や影響の中で形を変えながら続いていくことを示す。
生き方と死に方
生きることは、死に方を決めること。生きている間にどのように死を迎えるかを選ぶことであり、その選択や価値観がその人の生き様を反映する。完全に消滅することを選ぶか、他者や世界に何らかの形で影響を残し続けるかは、生き方の一環として選択される。死に方を決めることは、その人の生き方が持つ意味や価値を示す行為。また、「決定しない」ことも一つの生き方の選択であり、その姿勢自体がその人の存在の表現となる。
救済と永遠の存在
救済とは、自己の行いや存在が永遠に引き継がれえる形で「滅び」を免れること。つまり、救済されるということは、死後もなお他者や世界において自己の影響が残り、普遍的なものとして存在し続けること、それを可能にすることを意味する。この永遠の存在は、自己の生き方や他者との関係性を通じて構築される。
手放すこととしての終末
終末とは、自己の限界を受け入れ、自己のものとして内から築き上げたすべてを他者や世界に、外に委ねること。自己の影響や存在がどのように用いられるか、変化していくかを見届けることはできないが、他者に引き渡すことにより、自己は他者の中で新たな形で生き続ける。この手放しは、自己を宇宙の秩序の一部として受け入れることでもあり、その達成感が救済に繋がる。
死後、自分の影響や記憶が他者に委ねられ、それが浸透し、変化していくことで、完成した自己は生き続ける。自己を他者に引き渡す行為が、死なない存在、永遠も可能にする存在「永遠の存在が捉えられ用いられる形で表現された存在」としてとして残ることが、その達成感が、終末による救済を実現する。