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死ぬのをやめた日

こんばんは。
最近は小説ばかり読んでいたので小説っぽく書いちゃう癖が抜けなくて、
今日書くnoteも少し小説っぽいかもしれません。笑

先日、卒業式でした。
この私が卒業できるなんてきっと神様も驚いているほどです。
3年間とも
あと1日休めば留年です。
そう言われたほどだったのに。

今日は私が死ぬのをやめた日を書こうって急に思い立ったので書いてみます。


少し長いけど、良かったら読んでください。

私は彼を永遠に待っていた。
私は
永遠に待っているんだろう
そう思う。
彼を私の人生から切り離すこともできずに、
ずっとずっと抱えるのだろう。

たまに感じる切なさはどうしようもなく私を覆う、その切なさは私を絶望させるのには充分で。
涙はもう枯れてしまって、
とめどない涙がいつまでも出るわけではなかったし、
ドラマや小説ように私の気持ちと共に天候が変化するわけでもなかった。
暑苦しく息のできない真夏日でも。
さらさらと霧のような雨が全てのものを潤すそんな春も。
あと1日夏休みが伸びるかどうかと期待をしながらいる秋も。
やってくる切なさは
きっともうどうしようもない
と諦めさせる方が早いと悟らせるほどだった。

彼が見えなくなってから2年が経とうとしていて、もう2年前の私なんて別の人間であるかのように変わってしまっていた。

ただ悲しみと切なさと絶望感に慣れ、死にたさを飼いならしているように見えて実は死にたさに飼い慣らされているだけだった。

いつ死んでも後悔がないなんて思っていたけれど、痛いのは嫌だし、もっと幸せになれるんじゃないかと無意識に思う自分に誰よりも自分が軽蔑していた。


会ったことのない誰かに、
見たことのない景色に、
いつか全て救われてしまう日が来るかもしれないと本気で思ったりもしていたからだ。


高校2年の初夏に本当に死んでしまうことの方が良いと考え始めていた。
それははっきりとした輪郭のあるような思いではなくて、うっすらとモヤのように、でも確かに常に心に覆われている気持ちだった。
きっとこのモヤが黒煙のように瞬く間に何かの拍子で濃く広がって仕舞えば死んでしまうことはわかっていた。
薄々気づいていてそれでいて尚、私はこのモヤを消すことを面倒くさがった。

まあいいか。

これが私の人生なのかもしれない。

どうでも良くなって横たわっていた。

次の日、惰性で通っていた高校もしんどくなって早退することにした。
早退し、こうやって1日1日だんだんとできることができなくなって死ぬのをわかっていながらそれに抗うことはあえてしなかった。
早退の紙を受理してもらうのを待ち、
職員室の横ロビーで適当に家から持ってきた本を読んでいた。

題名は
「私の心が傷つかないように」
適当に持ってきたにしてはどこかで自分の人生をまだ歩みたいと思っているようで、
中途半端な自分により一層嫌気がさした。
ひとりで校舎を見ながら流れる雲を見た。

反対側の校舎には授業を受ける同級生がいて、
確実に私と彼らには違う何かがあって、
私はあちら側には一生行けないとだという圧倒的な何かに押しつぶされそうになった。

その日は異様に綺麗な青空で世界は優しくないことと、私は物語の主役なんかではないことを再確認した。

後ろからダンダンと階段を上がる音が聞こえて、それがだんだんと近づいてきていた。

あぁまた可哀想な私に声をかけられる余裕のある大人という自己満足に利用されてしまうんだと嫌々ながらいつも通り気づかないふりをしていた。

ギーッと椅子を引き、私の横に誰か腰掛けた。
座ったのは文学の教科担任で生徒から好かれていて、私もなぜか好きだった。
話は面白かったし俗に言う教師特有の偉そうな感じもなかった。

私に何かためになることを言ってやろうとかそんなおこがましい感じもなくて、
でもきっと休んでばかりの私が他の生徒とは違うものを抱えていることを分かった上でそんなこと何も気にしないような先生だった。


「土日の部活手当、こんだけしかないんだ〜、、
これじゃあマックのセットも食べられないよ」
と本当にマックが食べたそうに語った。

きっと別に食べたいわけでもなかっただろうし、食べられないことぐらいわかって土日の部活に出ているだろうにあたかも知らなかったかのように話しかけた。

先生は、奥さんの分の結婚指輪も一緒に重ねて2つしていてそれが私にはものすごく心に響くものがあった。
奥さんは亡くなっているのか生きているのかどうかもわからなかったけれど、
誰かの分まで肌身離さず持っている。
ということがなぜかはわからないけど、どうしても私には響いてしかたなかった。

誰にもこの痛みをわかられてたまるものかと思っていたのに、
何を思ったのか先生に聞いてみることにした。

「先生は、生まれ変わりって信じますか。」

マックの話なんか聞いてなかったみたいにしっとりと真っ直ぐに聞いた。
生まれ変わりはあって欲しいと思うのが私の立場であるはずだけれどそうは悟られないように。

そんなことはどうでも良くて。
そうじゃなくて。


真実が知りたかった。

この世の誰もが知るはずのない、
この世多くの人が知りたいはずの哲学的な疑問を先生が知るはずもないのに。

でも。先生なら何か答えをくれるような気が猛烈にしてならなかった。

ただただ先生の意見が聞きたかった。

「うん。あると思うよ。」

とニコッと笑った。
続けて「どうしてそんなこと?」と

「恋人が自死して。
あるのかどうかずっと考えてたんです。生まれ変わりって。」

「そう。学校休んでるのもそれが原因なの」

「うーん。原因かはわからないけど。それを原因にしたくないけど。辛くてもういいかなって思うと休んじゃう。」

「そうか。」

「先生。私、一生こうなのかな。」

「なんで。おまえは絶対幸せになれる。」

「そうかな。幸せにほんとになれる?」

「当たり前だよ。
今日、(私の名前)は俺と関わった。
俺と関わったからにはとびきり幸せになるって決まってるんだよ。」

「彼は死んだのに、。
私は幸せになっていいのかな。」

「じゃあ逆に君がが死んで彼氏に不幸になって欲しいと思うのか?」

「ううん。思わない。」

「だろ。逆に〇〇に不幸のままでいて欲しいなんて思う奴ならお前の人生には対して重要じゃない。俺はそう思う。」


今まで相談してきた大人の中で1番正直だった。
私の話をすると大抵可哀想がるか、何も言えないがオチだった。
ずっとこのままなのかなという私の問いにもふんわりとした言葉でそんなことはないんじゃないかなー。程度、

ないんじゃないかなということはあるかもしれないから。
あぁやっぱり人生早々に詰んでしまったのだと思っていた。
それに大人は自分の言動に責任を持ってくれないんだと思った。
自分の言動で私を傷つけたくない。
そういう言葉の奥にある怯えみたいなのがひしひしと私には伝わっていた。
私にも彼にも気を遣った意見を言う人がほとんどで、幸せになれなかった時のことを考えて、幸せになれないなんてことはないんじゃないのかというあまりにもふんわりとした答えしか聞いたことがなかった。

けれど、
先生は違った。
先生の言葉からは自分の言葉に責任を持つ意思が感じられた。
それでいて本気で幸せになれないわけがないと思って話していることも先生の真っすぐな目を見ればすぐに分かった。
先生は、私よりも私の幸せを信じていたのだ。
なんの根拠もない言葉だっかもしれないけれど、そのなんの根拠もない真っ直ぐな自信が
一直線に突き刺してくれた未来が
まぶしくて、救われた。
自分を運命論者と話し
断言する強さに気づけば救われていて、
あぁ、こういう大人になりたい。
そう思って仕方がなかった。

でもこの先、こんなに劇的に救われてもなお、私はきっと死にたくなるのかもしれない。

でも、何度だって立ち上がりたい。
何度転んでも何度だって起き上がりたい。
幸せを諦めないでいたい。

今の私はそう思いたい。

幸せになりたい。幸せでいたい。
もう叶わないけど、できるなら
彼を。
彼を、1番幸せにしてあげたい。
もう叶わない、そんな願いを実現するために私が幸せでいるべきで。
もう大切な誰かを失わないために、大切な誰かがつまづいた時抱えて歩けるだけの余裕がある私でいれること。
そこも含めて私でいたい。

いつになるかわからないけれど、いつか、いつの日にかこの苦しい経験が、生きる上で障害にしかならない思いが。
一生、共存し苦しみ後悔し未来に絶望するトラウマが。きっとずっと苦しい過去のままだろうけれど、その過去があっても尚、生きていて。
そんな私に価値を見出してくれる人に出会えるように。
その苦しんだ過去があってこそ、あったからこそ人間として素敵な私になれるように。

私の過去に、これからの生き方でいかようにも意味を見出せるように。


誰かの"苦しい。"に心の底から寄り添える人間でいられるように。
それを長い長い人生で見つけれるように。
いつかもう一度彼と会えた時
誇らしい私でいるために____

と、そう思えるようになった。


この文を書く事にした理由の半分は卒業式会えなかった、その先生に向けてです。
あれが最後なんてなんだか人生みたい。
振り返って、あれが最後の会話だったんだって気づくと切ないけれど、
きっともう一生会えない。
だからどこかで、ひょんなことでこのnoteを先生が見たらいいな。

先生が生涯幸せでありますように。
願いを込めて。

先生、ありがとう。

ありがとう

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