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瞼は閉じたまま…壁の中の雨。

雨。雨。雨。

このところずっと雨が続いてる。「5月はこんなに偏った天気が続くものだっけ…。」そんなことを思いながら緊急事態宣言が出て少し静かになった街を歩いてた。

雨は嫌いじゃない、むしろ好き。

全てを浄化してくれる気がする…。街に降り積もった埃やちりも、人の心でさえも全て。掻き消された生活音は雨音に変わり、しとしと降り落ちる雨粒は至るところで波紋を生み出す。

澄みきった青い空が海に映りこむ様に、曇天の空はコンクリートに包まれたこの街に反射してるみたい…。冷たくモノクロで静かな世界。みんなその中で同じ格好をして歩いてる。

いつからかマスクをつけて過ごすことが当たり前になった。

いつからか人と人が気軽に触れ合うことが出来なくなった。

まるで知らず知らずの内に見えない壁に覆い尽くされたみたいに窮屈さや息苦しさを感じる。たぶんみんな感じてる…。でも空を見上げればいつもと同じ空があり、今日みたいに天気が移りかわることを日常の変化として受け入れ、当たり前として気付かぬふりをしてるのか、みないようにしてる。

瞼は目を外的障害から守る役割と、見たくないものを見ないようにする為にあるって以前誰かに聞いたことがある。

ほんとにその通りだなと最近になって思う。見たくないものや知りたくないものが多過ぎて、いっそのことずっと瞼を閉じて自分だけの世界を形成してしまった方が楽なんじゃないなとすら思うようになってきた…。

普遍的なもの全てに目を瞑り、触れたもの感じたこと全てを自分の都合のいい空間にねじ曲げ、見たい景色だけを自分の眼前に広げる。そんなおとぎ話の様な世界ならばどれだけ幸せなんだろうと思ってみたりする。

でも傘をさしても風になびかれ肌に触れる雨は、ここが現実なんだと脳に伝えてくる。雨は冷たい…ちゃんと感じる。

歩いてる時、道路脇の排水溝に吸い込まれる雨をみてこう思った。

雨が全てを流してくれるのなら、世界中を駆け巡っている流行り病さえも流してくれればいいのに…。

雨が全てを流してくれるのなら、今この瞬間も命を削り戦ってくれている医療従事者の方々を影へと追いやり、偽善と嘘で塗り固めた偽りの仮面を被って称えられようとしている者たちを流してくれればいいのに…。

都会の喧騒が闇に溶けていく中、この想いが強くなるほどに雨音も次第に強くなる。

目に見えるものだけが全てじゃない。瞼を閉じれば見えるものもある。

今日瞼を閉じ手のひらで受け止めた雨粒は、行き場を失った感情を言葉として洗い流してくれた。

今はただ医療従事者の方々への感謝の気持ちを胸に、今を刻んでいくこの世界を歩き続ける。



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今日なんでこの記事を書きたくなったのか自分でもよく分かりません…。ほんとは明るく前向きな記事を書こうと思ってたけど、途中まで書いたところで何か違う気がして全部消しました。

ただ最近テレビやメディアを見ていると、自分の中にすごく強い気持ちが芽生えてきて、今自分が抱いている感情を書かずにはいられませんでした。

noteを始めて半年になりますし、たまには違うテイストで書いてみてもいいのかなと思ったりしています。

書きたいことを、抱いた感情をそのまま吐き出したい。言葉として小さな声を発したい。そんな気持ちで今日は書きました。

明るい記事はまた今度かな…。


では今回はこの辺で終わりたいと思います。  最後まで読んで頂き、ありがとうございました!


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