夜はいつだって正直になれる。
6月19日、午前3時41分。
深まり過ぎた夜、部屋の中で小さな間接照明だけが遠慮がちに照らしてくれる。
どれくらいの時間こうしてるんだろう…。ホットミルクを入れたカップを片手にベッドの上で眠気に誘われるのをずっと待ってる…。間接照明の光が色を灯し、部屋の中と同様にホットミルクも琥珀色に染まってた。
今日は久しぶりに全く眠れる気がしない…。時折訪れるこの感覚。身体は疲れ、脳も休みを欲しているはずなのに、目は真っ昼間の時間軸にいるみたいに冴えきっている。
ほんとは特に書くことも決めてなかったので今週はnoteお休みしようかなと思っていたけど、どうせ眠れないのならと思ってnoteを開いてベランダに出た。
ベランダには、大人二人がぎりぎり座れるくらいの木のベンチがある。コンクリートに囲まれた冷たい空間の中で、ひとつだけ木のベンチを置いたことに初めは違和感を覚えたけど、今ではなくてはならないものになった。
仕事から帰ってきて身体を休める時、何か考え事をしてる時、noteを書く時など1日の内に何回もこのベンチに腰掛け、その一画だけ感じとれる木のぬくもりを肌で感じ目で感じ、冷たく固まりかけた心を優しく解きほぐしてくれるようなこの場所を大切にしてる。
今日だってこうしてベンチに腰掛けnoteを書いてる。人には誰にだって心を休ませる場所があると思うけど、私にとってはここがその場所なんだと最近になって気付いた。
***
夜風が顔に触れる…。6月の今日の風は、まだじめじめとしてなくて心地良かった。
昼間は人の声が聞こえないことなんてほとんどないこの街も、今は自分の鼓動すら聴こえてきそうなくらい静まりかえってる。
この静寂な空間の中で夜の空を見ていると、波一つない大きな海を見ているような気分になる時がある。どこまでも広く、どこまでも深さうなそれを見ている時、自分の抱えている悩み達が馬鹿馬鹿しくなり吸い込まれていくような感覚。
『同じ空は二度とない』と言うけれどほんとにそうで、昼も夜も瞬間瞬間で切り取ってみれば、空の表情は全く違う。
空の色や透き通り方、風の吹きかたによって変わる雲の流れ、それが昼だろうが夜だろうが何もかもが違ってみえる。
今だって一見真っ暗な大海のようにみえる大きな空の中で、月の光に優しく照らされた雲は、ゆっくりと流れてる。ゆっくりと。
私にとって木のベンチに腰掛けられるこの場所は、闇夜を照らすその月の光のような場所なんだと思う。
人はいつだって、自分の胸の内を吐き出せる場所や人を。自分を見つめ直す時間を。癒しや安らぎを得られる人や場所や物を求めてる。
だってずっと暗闇の中にいると、人は壊れてしまうから。だから少しでも光が差し込む場所を探してる。
この世界で生きてる限り、喜びや幸せの分だけ辛いことや悲しいことがあって悩みを背負い、いつだって平凡な日常は唐突に崩れさってしまったりする。そんな時、私は抱えきれない感情に蓋をして偽りの膜を張る。その方が楽だからと言うよりは、そうしないと自分を守れないから、壊れてしまうから。
でもこの時間。夜に一人でぼーっとする時間だけは、膜を剥がし悩み事と向き合ったり考え事をしたりする。
悩み事だって全てが処理出来る訳ではない。でも一度向き合ったという事象は、心のわだかまりを解きほぐし、いつしか悩み事は単なる小さな記憶の一つとして頭のどこかに仕舞われる。
そうすることで自分を守って生きてきたし、きっとこれからもそうやって生きていくんだと思う。
ゲームやコンピューターの世界とは違って、人や社会の流れとか不規則なものに包まれているこの世界でも、朝日が昇れば必ず夜はくるし、夜の帳が降りれば朝はくる。規則正しいものもある。
同じ様に世界が一連の流れで循環しているのなら、辛いことがあれば幸せなこともきっと起きる。
ただじっと待てばいい…。まだ咲ききらない蕾が、いつか花開くその時を待つかのように。
そんなことを夜は教えてくれる…。
***
もうじき朝日が昇りそうなくらい少しずつ空が明るくなってきた。
眠ることが出来ず時計の針には置いてきぼりにされたけど、今日もこの場所で心地いい時間を過ごせたと思い、澄んだ空気を吸い込んで部屋に戻った。
やっと眠れる気がする…。
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