理解も共感もできる文章を書く
最低限の文章構成能力を持ち、使用する単語が適切なタイミングで適切な意味で使用されている。
多くの人に読まれる文章の最低限レベルの一つの要素として考えました。
僕は毎日簡単な日記を書いていますが、正直この様な要素を意識して文章を書いているわけではありませんでした。特に誤字脱字が多かったり、言葉遣いは不適切なものが多いと自覚しています。これらを問題として捉えるなら、私は指摘点の多い文章を毎日書いて投稿していることになります。
この問題が引き起こる原因は明確です。
文章を書くことは文章を読む行為と密接に関係していると思います。
文章を読む、書くのに必要な単語知識量や文脈を読み解く力などを、文章に対するスキルとします。
多種多様な文章に触れて、意味が理解できない単語は自分で調べることで文章に対するスキルを向上していかなくてはいけません。
これらのスキルアップは個人で一定値までできることを理解しつつサボっていました。
文章に対するスキルを抽象的にまとめるなら「実装スキル」です。
読者の目線で考えて、この実装スキルを駆使している文章は多くの人に読まれ、多くの理解を得れると思います。
しかし、理解してもなぜか共感できない文章も多いと思います。
共感は強制できる行為でもなければ個人の価値観や考え方でそれぞれちがう結果になります。
逆に共感できる文章は自分ごとの様に捉えることができる文章です。
実装スキルだけでは書けない共感できる文章を書くためのスキルを抽象的にまとめるなら「思想・発想スキル」です。
では、どの様にこのスキルを鍛えていけばいいいのでしょうか?
私はこう考えました。
自分の五感で多くのことを体験する。
自分ごとに感じれる一番の方法は自分がその場に行き、自分で見て、聞いて、触れることです。
どこかで起きる問題も、どこかで起きる現象、事象も自分ごとで考えれば、理解しようと思います。その行為こそが自分の思想を作っていくのです。そして次に何が起こるのか考える様になります。そうすることで豊かな発想力も同時に育むことができると思っています。
自分で体験したことを様々な角度から見れるようになれば、他者の目線で見ることも、考えることもできるようになります。
豊かな発想力を持ちながら、自分の思想を持ち、しっかりと理解していることができているならそこに実装スキルを掛け合わせて文章を書くことができます。日記を書くことはどちらのスキルも向上していける良い手段だということに気づきました。
題名にもあるように文章を理解してもらえて共感を生むようなものを書ける様に成長していこうと思います。
文章を書くのが段々と好きになってきました。