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一流の人だけが持つ力〜前編〜

易経より〜龍の力に学ぶ〜

今回から2話に渡りこのコラムの主題でもある「一流の人だけが持つ力」について『易経』に登場する6匹の龍の話を交えながら書かせていただこうと思います。

調和力の大切さ

今から5年ほど前、私たちは脳を活性化させるアプリケーションを開発し、未だ取りざたされているT社が、ある企業に提供するタブレットに私たちのアプリケーションを採用したいとのことで、大きく事業が展開されようとしていました。私たちにとっては願ってもいない機会でした。当然相手はT社、何の不安もなく大きく資金をかけてアプリケーションのT社向け開発に取り組みました。ところが「人生にはまさか!の坂が付き物だ。」とは聞いていましたが、私たちにも「まさかの坂」はあったのです...そして易経という書物からどうしてうまく行かなかったのかを学びました。調和力(バランス力)が大切であることを。

易経は中国古典、四書五経の一つ

『易経』という中国古典の書物に見事な「栄枯盛衰」のたとえ話として、6匹(=6段階:1潜龍 2見龍 3終日乾乾の龍 4躍龍 5飛龍 6亢龍)の龍の物語があります。そこには「人は恐れ震えるほどの怖い思いをしなければ改めないものだ」と書かれています。そして、龍はリーダーの証であり、龍の成長物語こそが社会に貢献するリーダーとなるための話だと書かれていたのです。

潜龍の時代

潜龍の時代、さあこれから何かを始めようとする時こそ、しっかりとした“志”を立てなければならないと説いています。“志”とは「できる・できない」ではなく、「必ずそれをやり遂げる」という信念であると、私が尊敬する易経研究家の竹村亞希子先生の著書にもそう書かれています。

見龍の時代

そして、下積みを終えた潜龍は実力を養いながら、やがて見龍へと成長します。
見龍とは字のごとく「見る時代」です。手本となる理想の師匠・先輩を見つけ、見習いながら基本と正しい型を身につけていきます。この時代は、少し基本ができるようになり、その世界がよく見えるようになり始めますが、ついその頃にやってしまう事は、それが自分の実力だと過信してしまうことです。すっかり何でもやれる気になって、自分らしさを出していこうなどと勘違いを起こすと、たちまち基本の型が崩れ始め、大失敗へと急転直下です。ここで、この見龍にまつわる、ある面白いお話をご紹介します。

『勘三郎(18代目)がまだ中村勘九郎と名乗っていた若かりし頃に、アングラ演劇の旗手、唐十郎が主催する劇団が、当時東京都の中止命令を無視しながらも新宿西口公園にゲリラ的に紅テントを立てただけの芝居小屋での様子を観て、「これこそ歌舞伎の原点だ。俺もあんな歌舞伎がしたい!」と衝撃を受け、早速先代の勘三郎(父親)に話したところ「百年早い。しっかりと稽古をしなさい。」と言われたそうです。しかし当時の勘九郎には全くその意味が理解できず悩んでいたところ、たまたまラジオから流れてきた電話相談の話が耳に止まります。子どもから「型破りと形無しの違いは何ですか?」と質問があり、回答者の無着成恭(僧侶で教育者)がこう答えました。 「そりゃあんた、型がある人間が型を破ると“型破り”、型がない人間が型を破ったら“形無し”ですよ。」勘三郎は「 あっこれだ!」と先代の教えの意味を理解した。というお話です。

見龍の時代、本当に次の終日乾乾の龍になれるかどうかは、ただ真似をして基本を学び取っただけではダメだということです。次の予想が立ち、俯瞰的に全体像が見えて来て初めて本当に立派に見龍として成長したと言えます。

続く次回は、立派に「雲を従えた飛龍となるために」をご紹介してまいります。


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