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私を離さないで
1.あらすじ
本作は臓器提供用に生み出された「クローン人間」の人生が描写されている。主人公のキャシーが回想する形で物語は進行している。
彼らは幼少期はヘールシャム、成長するとコテージ、大人になると提供センターという場所でそれぞれ過ごしているのだが、残酷な真実に付いて薄々気付き始めてしまう。自分は人生の半ばで臓器が使われて死ぬだけなのだと。しかし、死ぬ時期を、2人の愛を示せば遅らせられるとの噂をキャシーと親友のトミーは最後まで信じ確かめるが、その噂は嘘であった… ここで全ての希望を失い、トミーは提供で命を落とし今に至る。
2.ホスピスとの関連
本作を読みホスピスを連想した。ヘールシャム、コテージ、提供センターはかなり一致している要素が多いのではないか?また、ヘールシャムでは芸術活動に力を入れていた。ここから読み取れるのは何だろうか?話がホスピスに移るが、イタリアのホスピスでは芸術を重要視しているそうだ。理由としては芸術という行為は自らの内部をさらけ出し、自らの客観視に繋がるからだ。自分が何を考え何を表したいかを可視化する事で、「自分」という得体の知れない存在を見つめていけるのだ。これとヘールシャムでの芸術活動は類似している。更にクローン人間の死よりも臓器が重要なので、死を防ぐための医療的な治療も比重を置かれていない点も類似している。
3.考えた事
ホスピスとは生涯に対し結論を出す場所と一部の書籍などでは述べられているが、それも同様に作中の施設全てはクローン人間なりに問いを投げかけて考えさせる場所であったのだろう。コテージにおいての補足は、議論をする事で客観視された存在を抽象的にではなく根本から理解する事、他人の意見によって考えが上方修正される事等の目的があるのではないかと考える。また、医療倫理として危うい存在と示唆している事から派生し、Aこのような事を自分は連想した。この物語が成立した理由は、クローン人間に人権を与えようとの運動が始まったからなのだがクローン人間が人類を超える存在となる可能性に怯え運動は収束してしまった。死という終わりについて抗い、終わりを無くす事は非常に危険で人類を破滅しかねないとの意味であると。AIについても同様だと考えられる。そして、初めは費用の為に活動していたわけでは無いのに最終的には費用の為に運動が行われ、表面的には芸術活動もそのために行われたという皮肉もある。どんな活動もビジネスが関わってきてしまう事の描写か。
と読みにくく根拠の無い浅い感想を書いてみました。初めて書いてみたのでここから成長する事を祈ります。
また今度他の面や考え方から書いてみます