私の座右の銘は「知行合一」です。
ウィキペディアでは上述のような解説がされております。
少し難しいですが、要は
「知っていても実践をしていないなら、知らないのと同じ」
「知ったら、即行動せよ」
というふうに私は解釈しています。
「知行合一」
という言葉に出会ったのは人生で3回あります。
ひとつは中学生の時。
私が中学1年生の3月、部活でお世話になったM先生が他校へ異動することになりました。父兄を交えて、送別会があり、その時にM先生から頂いた言葉が
「知行合一」
でした。色紙に書いて頂いた記憶があります。
知行合一との初めての出会いです。ただその時は特に意味を調べるどころか、読み方も分からないまま放置してしまっていました。
私とM先生とは部活を通じてたった1年のお付き合いでしたが、人生初めてのバレーボールがその頃の私が一番情熱を傾ける対象になり、1年生ながらレギュラーに引き上げて頂きました。また、練習の中で取り入れていた長距離走で、校内トップになったり、市内の駅伝大会の個人部門でもトップクラスの結果を残せたのもM先生のおかげでした。
私の人生に大きな影響を与えてくださいました。
そして2回目の出会いは、司馬遼太郎の小説「峠」です。
義父からお借りしたのがきっかけです。
長岡藩の河井継之助は陽明学徒であり、知行合一を貫く生き方をしていました。吉田松陰も同じく陽明学を行動指針としていたようで、無謀にも黒船に乗り込んでいったのは、思ったら行動するという思想を体現していたと捉える向きもあるようです。
その峠という小説を読んだときは、小説としての面白さは感じていたものの「知行合一」にそれほど関心を向けていなかったように記憶しています。
そして3度目の出会いは、現在も所属している経営者の勉強会でした。ここではバイブル的扱いをされており、何度も読み返し、「知行合一」は経営者にとって何よりも必要な資質・態度だと私は確信しました。
それまでの私はなるべく失敗して、自分が傷つくことを恐れて、また周囲の目を気にしながら生きてきました。
失敗して恥ずかしい想いをするぐらいなら、、という想いが先立ち、挑戦することを異様に恐れていました。
しかし心のどこかで、世の中を変えてみたい!という密かな野望も持っていました。いつかその時が来るだろうと。
しかし、同じ日常を繰り返していては、そんな日はいつまでたっても来るはずはありません。
行動を起こす以外、変化を起こすことはできません。
どれだけたくさん知識を得ても、実践が伴わなければ、何も変わらないのです。きわめて当たり前のことですが、そんなことすら気が付かず、いつか世の中の方が変わって、私の方を向いてくれる日が来る、などと淡い期待をもっていたのだと思います。
そういった原理原則を体感し、現在はやろうと思ったことは実行することにしています。もちろんあまりにも可能性の低いことやコスト的に会社が傾きかねないようなことはしません。自分なりの勝算を見出すことが必要です。もちろん全く先が見えなければ、スモールスタートで少し足を踏み入れてみるなど何かしらのアクションをして、続けるか否かの判断をします。
かつて私がそうだったように、世の中には、分かったふうな顔をして、行動に移さない人がいると思います。
それは人生の幸福にとって、とてももったいないことです。
行動することは手段であって、目的ではありません。そこは軸として持っておいて、どのように動いたら目的が達成されるのか?
常にその視点を持っていなければなりません。
挨拶は良いことだと知っていても、挨拶しなければ相手との関係は作れません。
掃除は良いことだと知っていても、掃除しなければ汚れは募るばかりです。
素直さは良いことだと知っていても、いつも反論していては、誰も良い情報を教えてくれなくなります。
ということで、今回は座右の銘ということで
「知行合一」
についてご紹介させて頂きました!