変心 - henshin -
植物と家具のちがいはなんなのだろうと、私は天井を眺めていた。
どちらも、空間を占有している物質である。しかし、家具が機能と情緒を提供しているのに対して、植物は情緒的な価値のみを提供している。たとえば、ベンジャミンを買う家主は、ただそこに在ってほしいという理由で購入するだろう。副次的な要素として、いやし、やすらぎを私たちに与えてくれるかもしれないが。
ただそこにあるだけで、周囲の人間になにかしらの影響を与える。これを、機能と呼ぶかどうか、すなわち、役に立つと言えるかどうかが、私にとって大きな問題なのである。
私が昏睡状態に陥ったのは二十年前のことだった。働き盛り、一家の主人として家族を牽引する存在だった私が、事故によって植物人間になった、らしい。目覚めた際に、担当医から説明を受けた。「記憶は失っていませ
んね」と、医者は自動音声のガイダンスのような声で告げた。
二十年の歳月は、私から声を奪った。私ははじめ、状況を把握するのに苦労した。異変に気がついたのはホームヘルパーの女性だった。筆談でやり取りをして、すぐに妻にかけあってくれた。妻は私をみると、困惑した表情を見せた。妻の表情は私が期待していたものではなかった。妻の表情に張り付いていたのは、怯えだった。声が出せないことを伝えると、妻は震えながら、
『おはよう』
とだけノートに記した。妻はうつむいたまま、私にしばらくのあいだ、何も語らなかった。おそらく二十年の期間で妻は何度か、私に語りかけていたはずだ。私は記憶の転移が、テクノロジーの進化で可能になっていない今を嘆いた。
ややあって、妻の表情から困惑が消えたかと思うと、次には嗚咽を交えて妻は泣き崩れた。私はただそれを見届けることしかできず、理由を聴く権利があるのかどうかわからなかった。当時の私は、これはおごるわけでもなく、娘二人、そして家内の生活を担保するのに十分な経済的機能性を得ていたと自負している。さきほどの話でいうなら、機能と情緒のうち、少なくとも機能については役務を果たしていた。
官僚としてのキャリアを積み重ね、三十代に入るころには一定の裁量を与えられ、積み重ねてきたものが形になりはじめた。理不尽を受け入れる器が、ようやく出来上がりつつあるところでもあった。だが、事故から二十
年が過ぎたのち、私が真っ先に体験したのは、もはや機能面において、他人に貢献することは不可能であるということだった。
私の身体は衰弱しきっていた。意識を取り戻したものの、リハビリを行う意欲がどうしても湧かなかった。なぜだろう?
私の意識はこうして、機能と情緒についての洞察に囚われる。室内には、観葉植物が備えられているほか、水彩で描かれた風景画が置かれている。私はこれらのインテリアと何がどう違うのか。考えても答えが出ない。
グレゴールザムザが、カフカの小説のなかで味わった感覚は、家族から明確に向けられた嫌悪感だった。しかし、いまの私は、この家において、すでにオブジェとなっていた。用途のない物体に、意識が宿っているだけである。いっそのこと、グロテスクな生命体になっていたほうが楽だったのではないか。ときが経ち、私に対する妻や、ときおり顔を出すヘルパーの女性に接するうち、そう思うようになった。
ある日のこと、私の娘が訪ねてきた。娘は私をじっと見つめてから、感情を決壊させた。
「どうして、眠っていてくれなかったの」
私は手書きで、すまない、とだけ伝えた。
「この二十年間、本当にいろんなことがあった。それでも乗り越えたの。私たちは戸惑ってる。あなたが現象ではなく存在としてここにいることが、どれほど私たちを苦しめるか」
それが、私が家族と交わした最後の会話だった。
私の存在は、二十年前から、価値など与えられていなかったのだ。ただ、機能だけを提供し、情緒によってなんら価値を生み出すことなどできていなかった。私は目を閉じて、虚空に自己の存在を破棄することを決断し、もう一度、現象になることを選んだ。
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