長生きが不快な理由を考える

こんにちは。
昨日書いた記事に、人間は65歳で死ぬべき、とか私自身60歳で死ぬ予定、とかあったんですけど、自分でもいつからこういう考えになったのかな?って疑問を持ちました。
今日はこれについて考えていこうと思います。


多分、祖父が亡くなってからかなぁと。

私は祖父が大好きでした。私はというより、姉も母も。祖父は優しかったので、家の中で立場が弱い私達は祖父をものすごく頼りにしていたんです。
祖母は今でこそ歳を重ねて角が取れましたが、私達が小さい頃は栗くらいトゲトゲしていて、祖父以外の手には負えないレベルだったんです。
なので、私達姉妹も、母も祖母から何か嫌な事をされたら祖父に相談して、なだめて貰ったり対処をお願いしていました。

また、我が家の娯楽費は全て両親の酒とタバコで消えていくため、遊びや外食に連れて行ってもらったり、欲しいものを買ってくれたのも祖父でした。
物心ついた時〜小学生時代の楽しかった思い出は、全て祖父が遺してくれたもので、私の人生における貴重な財産になっています。
思い出したら涙出てきた🥲
ほんと、無くなってから10年以上経ってても未だに祖父のことを思うと泣けてくるんですよね。。

祖父の病気が発覚したのは私が中1になったばかりの頃だったと思います。その前から体調を崩したりしていましたが、なかなか病院に行かずに発見が遅れたみたいです。
当時の私は慣れない中学に部活に必死で、あまり祖父と一緒に過ごす時間を取れていませんでした。なので、体調が悪い事にも気が付けず、入院が決まってからようやく「そんなに悪かったんだ」と愕然とした記憶があります。

最初は治療のため大学病院に入院していましたが、発見が遅れたため治すのは難しく、祖父は緩和ケア+家の近くの病院でなるべく家族と過ごせる時間を増やしたいと希望し、私たちの家の近くには大きめの病院があったためこちらに転院しました。でも、これが間違いだったんです。

転院してすぐ、体調が少し回復した祖父が一時的に帰宅出来たことがあります。5月の初めのころでした。我が家の庭にはこの時期に段階的に咲く植木がたくさんありましたが、祖父の帰宅に合わせたかのように、この年はつつじも牡丹もシャクナゲも一斉に咲いて、それはそれは綺麗な光景でした。
最期になるかもしれないと、祖父は私達姉妹との写真を望みました。私は普段は写真は苦手で断っていましたが、この時ばかりは一緒に写っておきたいと思い撮りました。本当に最期の1枚になりましたね。
涙が止まらない🥲

その後病院に戻ってすぐ、容態が悪化しました。医師は、緩和ケアを望んでいた祖父に、延命治療を始めました。祖母も、祖父の意志を尊重して緩和ケアにしてくれと懇願していましたが、病院の利益のため取り合ってもらえず。
延命治療は1度始めたら死ぬまで止められません。途中で止めるのは、自殺ほう助的な行為に該当するからです。
緩和ケアなら、最期の時まで起きて、少しでも長く会話出来たかもしれないのに。
延命治療でずっと眠ったままの祖父を見るのが辛くて、だんだんお見舞いの回数が減っていきました。
この時に、延命治療で不幸になるケースを知りました。本人が望んでいなくても、容態が悪化して話せなくなってしまうと、医師の勝手な判断で飼い殺しにされてしまうのか、と怖くなりました。

延命治療開始から亡くなるまで、ちゃんと話せたのは1回だけ。一時帰宅の時に一緒に写真を撮ってたくさん話しておいたけど、やっぱり悔しかったですね。

病気の発覚から2年も経たずに祖父は亡くなりました。年齢も64歳と、まだまだ生きられたのに。
祖父がいない世界が憎かった。
あんなに優しかった祖父が。
いい人ほど早死にすることを痛感しました。

この時点でもう、祖父よりも長生きしている人が憎くなりました。祖父が64歳までしか生きられなかったなら、みんなそのくらいで死んじゃえばいいのにって思うようになりました。
同時に私も祖父よりは長生きしたくないと思い、60歳で死ぬ予定を立て始めました。本当はもっと早く会いたいけど、土産話をたくさん用意して祖父を楽しませたいなぁと思ったからです。

この時に子供についても、産むとしたら、60歳で死ぬんだから20歳までには産まないとダメだよなと自分で決めました。
成人まで育てると考えたら20年。死ぬまでに自分1人の時間も楽しみたいし、と結構綿密に考えてました。
なので私は20歳を過ぎた頃にはもう子供は作らないと決めてたんですよね。早すぎると思うかもしれませんが、60歳で死ぬ予定なので、3分の1だと考えたら妥当な期限ですよね。

死の予定を決めると、人生が貴重なものに思えてきます。祖父が亡くなったあと家庭環境はどんどん悪化していきましたが、そんなのに構っている暇はないと思えるようになりました。短い人生なのに、楽しまないのは損だと思ったからです。
どうせいつかみんな死ぬから、と大抵の事は流せるようになりました。今でも何か不快に思ったら、どうせこいつもいつか死ぬんだし好きにさせとこ。と思うようにしています。

それに、私には反抗期がありませんでしたが、今考えるとこれも寿命を決めた影響のひとつかなと思います。
反抗する時間すら勿体ないというか、私よりも先に死ぬ人に言い返す暇があるなら大人しく従って他の楽しい事やるわ。的な。
かなり冷めてる中学生😅

後ろ向きなのか前向きなのか自分でも分からなくなりますが、今生きていて問題ないのであまり深く考えないようにしています。


祖父を思い出したら泣きすぎて頭痛くなってきました。。
タイトルをある程度回収できたかなと思うので、この辺でおしまいにしときます。
最後にひとつだけ、、祖父が亡くなったあとにくれた思い出があるので書いておきます。↓

初盆の夜です。亡くなってから1年以上経ち、居ないことを受け入れ始めていた頃の事でした。
お盆ということもあり、私は久しぶりに祖父の遺影を見上げながら思いを馳せていました。涙は出てくるけど、楽しかった思い出を浮かべての笑い泣きのような感じ。
ああ、受け入れ始めていると自分で実感できて、心の中で祖父に頑張るよ、見守っていてねと声をかけ、寝室に向かうために廊下に出た時です。
来客用に仏壇を移動していた部屋に白い影が入って行くのが見えました。私の寝室は2階で、仏壇を置いていた部屋は階段のすぐ左側。
あれはおじちゃんだ。と思いました。
ホラー番組は苦手で幽霊も怖いから信じない派だったのに、ストンと心に落ちてきて、不思議と怖さも感じなくて、むしろ白い影に安心感すら覚えましたね。
見守ってくれてると、嬉しくなりました。
会えたのは初盆のあの夜1回きりですが、貴重な経験だったなと思います。

以上です。
ここまで見てくださった方いましたら、ありがとうございました(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)

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