みんな同じはずなのに

こんにちは。
今日は忙しいアピールについて思ったことがあるのでつらつら書いていこうと思います。

「ああ忙しい」
よく言う人、結構いませんか?もしかしたら私も皆さんも、気付かぬ内に口にしてるかもしれませんね。

独り言なら良いと思うんです。でもたまに、他人に向かって「私は忙しいの!」って怒ってる人いませんか。たまにじゃなくていつも言ってる人もいませんか。
これっておかしくない?って思うんです。

忙しいって個人の感覚で、人それぞれ違います。
私は忙しい!って言うのは確かに自由なんですが、言われた方はどうでしょうか。
場面にもよると思うので例をいくつか考えます。

例1
会社で仕事中
A「Bさん、この資料チェックしてもらえますか」
B「私は忙しい!」

例2
子供からのお願い
A「消しゴム買いたいから、本屋さんに連れて行って」
B「私は忙しい!」

例3
残業して帰宅後
A「おかえり。今日の飯は?」
B「私は忙しい!」

どうでしょうか。確かに場面や立場で印象が変わると思いませんか。

例1について、この場合はBは確かに忙しいのかもしれません。でもAも仕事中なのは同じです。それに、資料のチェックを求めています。
もしかしたらAは、チェックされた後の資料を使って仕事を進めるのかもしれません。
Bが自分の都合だけで断ったらどうでしょうか。Aの仕事が滞ってしまいますよね。
この場合は客観的に見て、Bだけが忙しいわけでなく、Bのチェックの後に仕事があるAも忙しい。
Bが、自分の感情を優先するべきでない場面と言えるでしょう。

例2について、これは確かに、AがBの都合を考えていない発言になります。
でも、必要なものを買いに行きたいという主張自体は間違っていません。お店が遠かったり子供が幼かったりするならば、親に連れて行ってもらうのは当然。それに、恐らく学業に必要な文房具を所望しています。
この場合はお互いの都合のすり合わせをすれば良いだけです。Aは「〇日までに必要だ」と伝えて、Bは「今は忙しいけど明日ならいいよ」というように、相談できれば解決します。

例3について、これは完全にAが悪いですよね。
仕事をやっとの思いで終わらせて、普段よりも遅く帰ってきたBに対して、恐らくBよりも早く帰宅していたはずのAがこんなこと言ったら、そりゃブチ切れです。手前で作れや!!案件です。
この場合はAを擁護する術は何一つありません。最悪。配慮って知ってる??
Bの「私は忙しい!」には「お前の方が先に帰ってきてるんだから暇だろうが」の意味が込められていると思います。実際Aは帰宅後も何か作業をしていて忙しかったかもしれない。でも、やっぱり先に帰ってきたAが後から帰ってきたBに対して求めるのは違う。「Bは今日忙しいんだな」と言われる前に気が付いて自分で作る、作れないなら買って来るなどの配慮が必要だと思います。


長々と書いてきましたが、今回私がモヤモヤしているのは例1のような場面で言われる「私は忙しい!」です。
私が好んで就いている清掃業は平均年齢が高めの職場です。20歳そこそこから現在まで、3箇所経験しましたが全て最年少の立場にいました。
そうすると、よく言われるのが今回の「私は忙しい!」です。

同僚であるおばちゃんも上司もみんな言います。
まるで、自分だけが忙しいかのように。

同じ時間で同じ仕事をしているのですから、普通におかしいですよね。
仕事の後に予定があって忙しいというなら、さっさと終わらせて早帰りする旨を上司に伝え、さっさと帰ればいいだけです。
でも、普通に残業する。時間まで居る。
これは本当に忙しいんでしょうか。

私はなるべく、言わないように気をつけています。
なぜなら、人類はみんな生きてるだけで忙しいと思うからです。
呼吸して考えて言葉を発音して歩いて見て聞いてと、色んなことを同時に処理して更に仕事や育児といった行動も同時進行している人間。
これは忙しすぎる。

みんな同じはずなんです。物理的に用事があるなら早退したらいい。
定時は3時なんだから、仕事さえ終わらせれば定時で帰ればいい。
定時上がりを徹底してる私だって、特筆するような用事は正直ありません。生活のリズムを一定にする目的が大きいです。あとは、ご飯を作ったり漫画を読んだりYouTubeを見たりの、1人で過ごせる自由時間を少しでも長くするため。
もちろん振られた仕事は必ず終わらせます。時間内に終わらない時もたまにあるけど、それは自分の実力不足なので気にしません。
もちろん限度はあるので、残業量が一定のラインを超えたら言いますけどね。

また、忙しいが口癖になっている人ほど実際には何も動いていない事が多いなと思ってます。
忙しいと言えば何とかなる、便利な免罪符代わりに使ってる感じ。。

以前の職場にいたおばちゃんですが、誰よりも早く仕事を終わらせて、休憩所でタバコを吸いながら「あぁ忙しい!」とよく叫んでいました。
このおばちゃんが仕事終わるの早い理由は適当だから。全然キレイじゃないです。掃除したフリ。
ミスも多いからチェックも大変。
本来30分休憩なのに、2時間くらい喫煙所にたむろしてました。忙しい忙しいと喚きながら、お菓子をつまみながらコーヒー片手に、時々タバコ。
全然そう見えない。大根役者にも程があるぞ。。
そんなに急がしいと言うなら、ガッツリ休憩してないで仕事が終わったと同時に早退して溜まってる事こなせばいいのに。

実際にはそこまでひっ迫はしてなかったんでしょうね。。
ただ気遣ってほしいだけ。自分の事を労わってほしい。自分はこんなに大変な思いをしたことがある。自分が1番苦労してきた。自分よりも大変なひとは絶対に居ない。
周囲に配慮できない大人の典型例だと思います。
他人に対して「忙しい」を免罪符に多用する人はこういう人が多い印象ですね。

でも冷静に考えて、「自分の経験が1番大変だ」っておかしいですよね。
「私にとってこの経験は1番大変だった」なら分かります。それは人それぞれの価値観でいい。自分にとって最も困難な事は、確かに自分で決められます。
でも他人の経験まで自分に当てはめるのはおかしい。自分の物差しで計るのはおかしい。
相手の価値観は相手のものなので、何が大変か何がしんどいか等はその人しか決められません。

客観的に見て、全然そうでも無いじゃんと思っても、何に重きを置いてるかも人それぞれ違います。だからやっぱり、他人がとやかく言える事ではないのです。

「大丈夫?」と言いながら近寄ってきて、いざ辛いと思った事を話すと、自身の経験を引き合いに出しそれと比べて大丈夫だよ!と言われる。
聞いてねぇわ案件です。
手前の苦労話を話したかっただけじゃねぇか。

正直私はこれ昔はやってた。というか子供の頃は大抵の人やってると思う、無意識の内に。
親とか学校とかの狭いコミュニティの価値観しか取り入れられないし、それが普通だと教えられながら育つんだから仕方ないですよね。
でも、これは失敗しないと気がつけない。あるいは失敗されて、実際に傷付く経験がないと身につかない事だと思ってます。

大人になっていく過程で運良く気付けたときに変わる。比較的幼い頃にわかる人もいれば、一生分からないまま死ぬ人もいる。

私が不快に思ったおばちゃんはきっと、まだ気が付けていないんだろうな。そして、これから気付ける可能性も、年齢を考えたらにかなり低いだろうなと思う。
ある意味可哀想とも思えますね。


私は配慮ができない、まるでそんなこと頭に無い他人と関わって不快になった時は、相手に対して勝手に設定を作って当てはめてます。
相手が私を配慮せずに勝手に決めつけるなら、私だって自分の気分が害されないように接せる設定を決めても良いじゃないかと思ってるからです。

例えば接客業していた時。
注文をとる時に時々、メニューを指さすだけでこちらの質問には一切答えてくれないお客さんがいました。
私が付けた設定は以下。
・この人は話せなくて耳が聞こえない。
・メニューを指差しているから目は見えている。
これを踏まえて接客の方法を変えました。
まずはお客さんよりも目線が下になるようにしゃがむ。
何か質問したい時は肩を叩く。
ライスかパンかを聞きたかったのでまずはライスのメニューを指差して、お客さんの目を見る。
反応がなかったらパンを差す。
反応があるまで繰り返す。
注文の確認も耳が聞こえないから声に出すのは無駄、注文内容が載ったハンディの画面をそのままお見せする。
料理を運ぶ時はお客さんの視界に入るルートを歩いて持っていく。
耳が聞こえないので言葉は「失礼します」などの最低限しかかけないようにする。

こんな感じで、このお客さんは実際には話せたし耳も聞こえる人だったけど、こういう設定にする事で、私自身のストレスを軽減していました。施してやってる感を味えるので。。
性格悪いでしょう😈

これの他にもたくさん不都合なお客さんはいました。その度にお客さんに対して悪い設定をつけて、丁寧に接客できるように心がけておりました。

これを徹底していると、良心的なお客さんが神様に見える、という利点まで付いてきます。
さらに、態度の悪い客にもかなり丁寧に接することになるため、クレームを受けなくなり逆にお褒めの言葉を貰えるようになりました。
腹の中は真っ黒なのに、こんなに性格悪いのに不思議ですよね。でも逆に考えたら、問題なく接客できる人は多少性格悪くないと無理なのかなとも思いました。
心根が優しい人には、接客業ってかなりしんどい仕事だと思います。クレームを付けるために店に来るような害虫も結構多いので。。


また、この考え方は職場の人間関係にも同じく当てはめる事でストレスを回避できます。
当時の不快なおばちゃんに対しても、「この人は誰にも労わってもらえない孤独で可哀想な高齢者」という設定をつければ、そうなんですねぇいつもお疲れさまです😌と何の嫌味もなく言えました。

もちろん現在の職場でも所々で使ってます。
おかげで「手伝ってくれる優しい人」の称号を手に入れました。腹の中はこんなに真っ黒いのに😏


行き着く先は全て「可哀想」
私は特に性格が悪いので、仕事中に関わる人間については、哀れだと思えないと優しく接することができません。優しく接するという事は私にとって、見下していると同義です。
私は自分の事が嫌いです。カーストがあるならば、私は当然最下層だと思ってます。
でも、こんな出来損ないの私よりもヤバい奴が世の中にたくさんいる。私が最下層なら、彼らはどうなるんだろう。
地面にめり込むほど下に居る。つまり哀れです。
本当に可哀想な人達なんですよ。

そりゃ、職場とかでイキリたくなるわ。
そりゃ、接客業にクレーム入れに行くわ。

だって誰も相手にしてくれないから。
誰も相手にしてくれない事が身から出た錆だということすら気が付けない、可哀想な人達。
あなたが配慮しないのに、どうして周りが配慮してくれると思えるんだろう?自分は格上なんだと勘違いしている、自己認識能力が低い人達。
なんて可哀想🥺🥺


性格終わってるので、同格なのでこんな事書けます。私も「可哀想」に分類される側ですから。
でも、配慮は心がけてます。やってもらって当たり前じゃない。ありがとう、ごめんなさいを、ちゃんと言える。あれは確かに自分悪かったかなって反省できる。同じこと繰り返さないように対策を考えられる。
これで一応人間の形を保ってるかなって。
中に詰まってるのは塵とか埃だけど。


自分がしんどい時は当然、自分の価値観で良いと思うんです。それを他人に押し付けなければ。
「あぁ忙しいなぁ」と思うのは自由なんです。それは誰にも邪魔されない。
でも、相手も忙しいかもしれない。私だけじゃないかもしれない。
でも、「相手も忙しいだろうから私が頑張ろう」とはならなくて良いんです。
「かもしれない」のために自分を犠牲にする必要はありません。

みんなが配慮を持って、自分にできることをすればいい。もし、何かやってもらったら「ありがとう」と言えばいい。
やってもらう事は当たり前じゃない。
こういう考えが世の中に広まればいいなぁと思いますね。


軽い気持ちで書き始めたら結構長くなりました😅
ここまで見てくださった方いましたら、ありがとうございました(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)

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