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コロナ禍のイタリア留学 《12》 クリスマス前の小さな事件


今日も朝から苦行が始まる。

ここ2ケ月間ずっと午前のレッスンが終わった後も夜まで勉強しまくっていたので、もう頭はパンパン!飽和状態である。ただ勉強が大変なだけならまだしも、この頃は焦りによるストレスも大きかった。


日本語は、英語やラテン語など欧米の言語とは仕組みがかなり違う。

後から知った話では、日本語がいちばん遠いらしい…。さすが東の果ての国、言葉にも大きな距離があったのだ。

ざっくり言うとラテン語が簡単になったのが英語なわけで、イタリア語(やフランス語など)はその中間で独自の進化を遂げていった言語らしい。

そのため、イタリア語には英語と似ている言葉がたくさんある。

例えば…
伊:presentare(紹介する、提示する) = 英:present
visitare(訪れる)= visit
razzismo(差別)= racism
possibile(可能)=possible
などなど…

簡単な英単語ならわかるが、例えば「razzismo」を私は知らなかった。

もっと後のレッスンだったが、世界平和がテーマのとき、関連した単語を説明する中で先生がこれだけスルーしたので私が意味を聞いたら、あるイギリス人の生徒に「単語の意味を彼女にイタリア語で説明できる?」と振ったことがあった。

そのイギリス人生徒がカタコトのイタリア語で一生懸命説明してくれたので単語の意味がわかったのと同時に、英語ができる人はみんなわかってたんだ!ということも学んだ。

他にも、主語・述語・修飾語…という語順の違いがむずかしくて、短い文ならよいが、長くなるともう話について行けなくなってしまった。


そんなわけで、最初こそみんな文法に苦労するが、慣れてきて会話が入ってくると、今度は私が遅れを取り始めた。

ライバルのアシーはもちろんメキメキレベルを上げていってたし、先月には複雑な文法についていけてなかった生徒たちも、なぜか会話のときには意味がちゃんとわかっているのだ!

人と比べて焦ってもしょうがないのはわかってるけど、毎日このくり返し…

たまに、子どもが初めて言葉を学ぶようにスポンジ頭で柔軟に学んでいける人もいるようだが、私は全然そのタイプじゃなくて、参考書を頭に叩き込んで着実にやっていかないとダメなタイプ。なにしろ時間がかかる…

しかも語学はなかなか上達がわかりにくいので、モチベーションを保つのも大変だ。


でも…、こんな屁理屈を言っててもしょうがない!
嫌ならプライベートレッスンにすればよいが、この多国籍に揉まれることに意義があるはずだ!
と、自分自身に喝を入れて頑張った。

あまりの苦しさに長々と書いてしまったが、とにかく孤独な闘いが続いていた。


レッスン休憩中のおやつ、トウモロコシ粉のクッキー



そんなある日のこと、大家さん夫妻がやってきた。

前にごあいさつは済ませていて、ザ・イタリアのマンマ!という感じの元気で大きなお母さん、そして優しく背が高くて力持ちなお父さん。

とてもあたたかい人たちで、その後Viareggioという街に引っ越してからも大変お世話になって今でもメールをやり取りしている、いわばイタリアの両親である。

でもこの頃はまだ私も全然しゃべれなかったのでコミュニケーションで相手のキャラを読み取ることももできず、ただただマンマの声の大きさにビックリするばかりだった…
(イタリア人は本当に声が大きい!)

この日は、近所に寄ったついでにクリスマス用のポインセチアを持ってきてくれた。

「Grazie!」と受け取り、家賃の支払いを済ませて、頼んでおいた郵便ポストのカギを受け取る。
これで日本とお手紙のやり取りができる!

それから大家さんは、ポストに自分の名前を貼るように言ってから帰って行った。



私は、忘れないうちにとポスト用の名前の紙をすぐに書き始めた。
うまく書けなくて2回ぐらい書き直し、ちょっとカリグラフィーっぽく可愛くしてみた。

できた!

そして早速アパート1階の入口にあるポストに貼りに行こうと、ドアを出たら…


…ガチャ、バタン!!


……??


ハッ…!!

や、やってしまったーーーーーー!!!!


実はイタリアのアパートのドアは、一度閉めたら外からは鍵がないと開けられない仕組みになっているのだ。(つまり電動ではないオートロック)

なのに、うっかり鍵を持たずに出てしまった!!!


サーーーッと頭が真っ白になり、しばらく固まる…


ドアはガチャガチャしてももちろん開かない。

手に持っているのはポストの小さな名札一枚だけで、スマホもない。

しかも12月に、部屋着のまま…


アパートはペルゴラ(=蔦)劇場のあるペルゴラ通りにあった



まず、なんとかこのドアを開けられないかとがんばってみた。

泥棒のように鍵開けの技術を持っているわけでもないのに針金のようなものはないかと探してみたり、近くにあった陶器のイルカの置物を使えないかと考えてみたり…
もう体当たりでぶち破るか、でもそんなことしたら弁償しなきゃならないし、修理代は一体いくらかかるんだろう…

などと、さまざまな考えが走馬灯のように私の頭を駆け抜けた。


そしてやっとドアを開けるのは無理だと判断し、他の案を考え始めた。


アパートなので他のお宅にピンポンして助けを乞う案ももちろん浮かんだ。

が、どんな人が出てくるかわからないし、異国の地で言葉もわからないし勇気がいる。さらに、コロナ禍なので見知らぬ日本人が訪ねてくること自体嫌がられるのではと変に気を揉んで尻込みしていた。

冷静に考えればそれがいちばん得策なのだが、人って気が動転してるとちゃんと考えられなくなるものだ。


学校がアパートのすぐ近くなので、とりあえず学校に行けば大家さんに連絡を取ってもらえるのだが、残念なことにもうとっくに学校は閉まっている時間だった。

仮に開いてるかもしれなくても、一旦このアパートから外に出ると、自分の部屋のドアはおろか、アパート自体にも入れなくなってしまう。これは危険すぎる。

イタリアのアパートは、まず建物自体の入口ドア(オートロック)があって、そこを入ってからそれぞれのお部屋のドアがある。
つまり日本のオートロックのマンションと同じで、これが古くから採用されているのだ。

あとはこの階段で朝まで過ごし、確実に学校が開くのを待って出るか…

いや、凍え死にはしないまでも、トイレが我慢できない!
イタリア留学に来て早々、こんな所でお漏らしなんていやだ!!
それならまだコロナに罹った方がマシだとさえ思った。


…お漏らしか勇気を出してみるかしばらくグルグル考えたあげく、背に腹は代えられず、結局私は1階下の部屋を訪ねてみることにした。

先に何て言うか考えて、練習する。ぶつぶつ…

そして、意を決してブザーを押した!


すると…

金髪で黒い大きな瞳の女の子が明るく出迎えてくれた!

まず人がちゃんと出てくれたことに安心。感じのよい女性で、さらにホッとした。
私がつたないイタリア語で事情を話すと、笑顔で中へ迎え入れてくれた。

もしも私がむさ苦しくて薄汚れた中年おじさんであったら、きっと彼女も怪しんでこんなに快く迎え入れてはくれなかったであろう。
こんな状況ではあるが、自分が若い女の子で本当によかったと心から思った。


そしてさらに事情を説明すると、彼女はなんと大家さんの電話番号を知っていて、その場で連絡を取ってくれた!

ここで私は初めて、あの大家さんはこのアパート全ての部屋を管理していたことを知ったのだ。
これを知っていたら、もっと早く住民に助けを求めていただろう…


大家さんは1時間程度で戻ってきてくれるということだった。

あぁ、本当によかった…!!
これでイタリア留学に来て早々、お漏らしで世間を騒がせることもなく済んだ。

ほっとしたら涙が出てきた。


女の子が、コーヒー飲む?と聞いてくれた。

悪いと思って遠慮したが、それを悟って
「Perche no?(そんなことないでしょ~)」と入れてくれる。

キッチンからご飯の匂いがしたので、たぶん夕飯の支度中だったのだろう。中断させてしまったのにもかかわらず、あたたかく迎えてくれて、心からありがたかった。

女の子の名前はパーニャといって、イラン人で歳は私と同じ。大学で子どもの教育(幼稚園の先生?)について学んでて今はここに彼と同棲してるが、いずれミラノに住みたいそうだ。

アジア人は若く見られるので、私が同い年と知って驚いてたが、こんな子どものような状況でさらに信じられなかっただろう…


後日パーニャにお礼のお菓子(パネットーネと干菓子)をあげたら、写真を送ってくれた。どこまでも親切…涙


そうこうしていたら、大家さんが戻ってきた!

そして無事ドアを開けてくれて、部屋に入ることができた。

わざわざ車で戻ってきてくれた大家さんにも本当に申し訳なく、お詫びしてもし切れなかったが、「大丈夫、大丈夫!」とカラッと言ってくれるのだった。


こうして、クリスマス前のプチ事件は終わった。

あぁ、とんだ災難だったけど、またしても人の心のあたたかさに触れたなぁ…


ベッドで眠れることのありがたさを噛みしめながら、すぐ眠りについたのだった。


リアルトナカイプリントの毛布…




13につづく

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