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コロナ禍のイタリア留学 《4》 語学学校スタート

イタリアに来て第1日目の朝。

時差ボケしてる余裕もなく、語学学校のレッスンは9時から始まる。

コロナのためzoomのオンラインレッスンになっていた。

今では当たり前となったオンラインも、この頃は世の中がやっと徐々に慣れ始めたぐらいの頃である。

荷解きもできていない中、ちゃんとWi-fiに接続できるか不安だったし、教科書もダウンロードしなくてはならず、とにかく朝からバタバタしてたことだけは覚えてる。


私の選んだ語学学校は信頼している留学エージェントにおすすめいただいて決めたプライベートスクールで、イタリア各地に校舎があるので複数都市を移動できることや、日本人生徒が少ないことが魅力だった。

コロナ前までの様子は今までいろいろお話を聞いていたが、現在は生徒数も一気に減ってレッスンの様子も始まってみないとわからないというところが大きく、

そもそもオンラインレッスンというのも私にとっては初めてだし、とにかくすべてが未知だった。


9時少し前、ドキドキしながらZoomの招待を開く。

なんとか無事に参加できて、先生と生徒がオンラインで顔を合わせた。


先生は、白髪のパーマヘアが似合うおしゃれな60歳くらいの女性だった。

名前はモニカ。モニカ・ベルッチのモニカである。


クラスメイトは10名にも満たなかったが、とっても国際的で、

アメリカ人、イラン人、イギリス人、台湾人、インド系イギリス人、ベラルーシ人、そして日本人の私。

居住国から参加してる生徒と、フィレンツェにいる生徒と、半々ぐらい。

年齢層は低めで20歳前後の人が多い。けど、40歳以上のような人もいる。

日本ではイタリア語ってけっこうマイナーな言語というイメージがあるけど、こんなにいろんな国の人が学ぼうとしてるのかと意外だった。


授業は初級クラスからスタートした。

ラテン語は世界の言語の中でも文法のルールがけっこう厳しいと言われてるそうで、イタリア語もしかり。

なのでレッスンが進むにつれ、初級でもけっこう苦戦する人が出てくる。


そんな中、私は嬉々として参加していた。

なぜなら留学の1年前からしばらくイタリア語教室に通ったり、独学でもコツコツと勉強していたからである。



…ここで突然、私がイタリア留学をするに至った理由についてお話しさせていただきたい。


そもそも私は、自分が人生の中で海外留学するなんて考えてなかった。少なくともイタリア語を習い始めた時点では。

もちろん「一度は海外に住んでみたい」という多くの人が抱く思いは2016年にアメリカのセドナに旅行したとき芽生えていたのだが、すぐ行動に移すことはないまま時が流れていた。

そして2018年のイタリア旅行のあと、なんとなく印象が良かったし、新しい習い事も始めたいし…ということでイタリア語教室に通い始めてみた。

するとその教科書の内容が、主人公がイタリア語を習い、留学に行き、現地で働くまでのストーリー形式になっていたのだ。

とくに意識していたわけではないが、まるで洗脳のようになんとなくイタリアに住むのイメージが勝手に定着してしまい、気付いたら留学を計画していたのである。

といってもたぶん、私の意識の奥ではきっともっと前から海外で暮らそう!という想いが決まってて、それがこういう形で表面化したのだと思ってはいるが…



そんなわけで話は逸れたが、過去形までは予習バッチリだったおかげで、初級クラスは余裕のよっちゃんだった。

もちろんまだ知ってる単語や動詞が少なすぎるため暗記漬けの毎日で、こんなに勉強したのは高校受験以来というほど必死であったが、それでも楽しかった。


何より、モニカの授業がとってもおもしろかった!

わかりやすくて丁寧だし、微笑ましい冗談を言うところなどなんとなく親戚のおばちゃんにいそうな感じで、ちょっと日本人っぽくもあり、親しみが持てた。

学生時代にもこんな良い先生には出会ったことがない!というほど、モニカは画面越しにがっしりと私の心を掴んでいた。


クラスメイトたちも、それぞれお国柄が性格に表れてて本当におもしろかった。

印象的なそれぞれのキャラクターについてはまた別の回でご紹介したいと思う。


そして休憩を挟んで約3時間半の授業、初回はあっという間に終わった。



さて午後、やったー!フリーだ!

…と言いたいところだが、実はこのときはまだ入国後14日間の隔離期間中。ほとんどおうちに缶詰で何もできなかった。


それでも、健康維持のためのお散歩と食料品や医療品などの買い出しだけは許されていたので、少しだけ街を歩いてみることにした。

幸いアパルタメントはドゥオモのすぐ近くだったので、ちょっと歩くだけでも広場に出られた。


ドゥオモ広場から見上げたクーポラ


きれいなファサードが青空によく映える


ところで、ヨーロッパでこの頃しきりに「ロックダウン」が騒がれていたのは皆さんも記憶にあると思うが、イタリアは危険度を色によってZONA(ゾーン)分けして州ごとに行動制限を課していた。

ZONA
ROSSA(赤)…完全にロックダウン
ARANCIONE(オレンジ)…外出制限が厳しめで、夜は出歩けないしお店も営業が限られる
GIALLA(黄)…制限はあるが夜出歩いても良いし、お店も普通に営業してる
BIANCA(白)…すべて平常通り

という具合だ。


たしか私が着いたときはオレンジで、夜間外出禁止令(例のコプリフオーコ coprifuoco)はあるものの、街はわりと人も出ててレストランもそこそこ営業していた気がする。

…けど、自分が隔離期間なのであまり覚えてない。


とりあえずウィンドーショッピングをしてみる。

マーブル模様の紙で作られた文具など


高級お菓子屋さんのGilli


きれいな刺繍やレース。きのこ柄が可愛い



通りは2年前と変わらない、とても観光地的な雰囲気である。


アルノ川まで来た。


この川はダムの役割をしていて、流れがないときは建物がとってもきれいに水面に写る。

マリア・カラスの「O mio babbino caro」が本当に聞こえてきそうな景色である。

しかし、このときはまだゆったり景色を楽しむ余裕なんてなかった気がする…


散歩OKとはいえ隔離期間中だし、何かあっては困る。

道やスーパーなども早く覚えたかったし、とにかく早く馴染んで落ち着きたいと強く思っていた。

スリも多いと聞いていたので、怖くてショルダーバッグをお腹の前にしっかり抱え、緊張しながら歩いていた。
むしろ私の方がすごい怖い顔をしていたと思う。


さて、帰って荷解きをせねば!

石畳の細い道を、超早足でアパルタメントに戻った。


へつづく


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