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コロナ禍のイタリア留学 《13》 お絵描き好きの所以


今日は待ちに待った年内最後の授業!
もう頭も精神も蒸気を上げそうなぐらいがんばった。

ちなみに、先日の閉め出された事件のことを少し前のレッスンで話したところ、
「イタリアのアパートあるある」でみんな一度はやってしまうらしかった。

先生も過去に同じ経験をしたそうで、このとき覚えた「mi sono distratto/a(うっかりした)」という表現は決して忘れることはない。


最後の授業ということで、先生がみんなに休暇中の予定など聞いている。

世界中からオンラインでつながっているので過ごし方もそれぞれだが、ロックダウンのイタリアはもちろん、今年はやはりみんな家でおとなしく過ごす、というかそうせざるを得ないという人がほとんどだった。

お部屋に飾ってあった絵



私はというと、この機会にお絵描きをすると決めていた。

そもそもイタリアに来た目的の1つがアートの勉強だし、生まれて初めてたった1人で過ごす年末年始。
誰にも会わず、仕事のことも、おせちのことも考えずに籠って作業できるなんて…
なんとすばらしいのだ!!

まだアートの学校には申し込んでないし、美術館もコロナのせいで開いていないけど、フィレンツェには画材屋さんがたくさんあるのでとりあえず自己流で何か描いてみるのによい機会だと思っていた。


ところで、ここでちょっと私の今までのお絵描き経験についてお伝えさせてほしい。


私は小さい頃から絵を描くのや図工・美術が好きだった。
良いことも悪いことも含め、絵にまつわる印象的な記憶がいろいろある。

小さい頃、初めて立方体を描いてみたときに、
「あ、そうそう、奥を細くすると立体的に見えるんだよね~」と、遠近法(という言葉はもっと後で知ったけど)を「すでに知っていた」(思い出した)みたいな感覚があった。

保育園の年長の頃には、特大の画用紙にみんなで街の絵を描くワークをしていたときのこと…
私は空を塗る担当で、ビルとビルのすき間まですべて空色で塗りつくした。

そしたらなぜか先生に怒られた。「なんでこんな下まで塗るの!!」と。

だって、ビルの間に何もなければ背景の空は地平線までつづいてるではないか…
とは5歳の私には説明できなかったが、なんで怒られたのか全く理解できなかった。

逆に聞きたいが、先生は空をどこかのラインで急に終わらせるつもりだったのだろうか…?

今でも、私の感覚が絶対正しい!と確信している。


他にも、小学校1年のとき女の子の絵を描いてて肌の色を塗ろうと思ったときのこと…
色鉛筆にはピンクとオレンジはあるけれど、肌色がなかった。

迷いに迷って私はピンクを選び、薄ーく塗った。
なかなか可愛い女の子が描けたので、私は満足だった。

がしかし、それを見たおませな女の子たちが寄ってたかって私の机を囲み、
「変だよ!」「普通オレンジだよ!」と猛批判してきた。

あ、そうか!普通、肌色の代わりにはオレンジを使うんだ…
素直にそう思ったのと同時に、自分でよく描けたと思った絵がこんなに批判されたことにショックも受けた。

今ならたぶん嫉妬もあったのだろうと思えるし、何もピッコロさんみたいな緑色にしたわけじゃないんだからいいじゃない…とも思えるが、純粋な子どもの私はけっこう傷ついた。

でも今は逆に、ピンクを使った自分の感性を褒めてあげたい。
自然にマイノリティを選ぶのは、芸術家には欠かせない要素な気がするのだ。



さらに中学に入ると(誤解を恐れずに言わせてもらうと)自分は比較的絵がうまい、ということを自覚し始めた。

ポスターとか何かしらのコンクールに出せば、佳作にはなる。(残念ながらいつも優秀賞には至らないのがミソ…)

授業で初めて油絵を描いたときは、自分でも驚いた。
描き上がった絵がすごいうまかったのだ。

漫画好きの友人と初めて自己流でデッサンをしてみたときも、「自分ってわりとうまく絵が描けるんだ!」ということに気付いて嬉しかった。

生まれて初めてやり方も知らずに描いたにしてはよく描けたと思う


今までただ適当に好きで描いてきたけれど、デッサンとか油絵とか「写実(本物そっくりに描く)」という基準で測ったときに、自分のもともと持ってる素質が平均よりけっこう上だったことに気付いたのがこの頃だった。


そんな中、私の「描きたい!」を刺激するのはもっぱら漫画だった。

小学生から「なかよし」を読み始め、ちょっとお姉さんになってからは「りぼん」に移行。

この頃はちょうど「セーラームーン」や「マジックナイトレイアース」、「こどものおもちゃ」、「ご近所物語」、「赤ずきんチャチャ」などなど…
少女漫画ブームの再来ともいえる、歴史に残る名作がたくさん始まった時代だった。

また、家には母の趣味で昔の少女漫画(瞳に星がキラキラしてる系)がたくさんあった。

昔から「ペルシャ」や「サリーちゃん」「ミンキーモモ」など、いわゆるマジカル少女系アニメも大好きだったので、当時はもっぱら女の子の絵を描いていた。

ちなみにこの頃の夢は、漫画家!

ペルシャが変身した(赤い髪のお姉さん)がめっちゃ好きだった…



そして高校受験のとき、漫画家にはならないとしても、とにかく美術系の方向には進みたかった。

…が、親がそちらの出身だったこともあり将来の就職を考えるとダメだと言われ、美術の先生だった担任も親に賛同したため2人から説得され断念するに至った。

高校に入ってからも社会経験のためにバイトをしろと言われ、年頃のファッションや友人と遊ぶのも楽しかったので絵を描くのはもっぱら授業内のみだったが、油絵だけは全部廊下に飾られていた。

課題で自画像を生まれて初めて描いたときは職員室付近の階段の踊り場に飾られて、恥ずかしいのもあってこっそり名札を裏向きに伏せておいたのだが、クラス替えをしたとき初めて会った生徒に「自画像の子だよね!?」と言われドキッとしたのを覚えている。

…とまぁこんな感じで、描けば描けるけど機会は減るばかりで、大学に入ってからは遊びに夢中でもう全く描かなくなってしまった。

そして社会人になり、2012年からはセラピスト業に専念したのもあり、趣味でも絵を描こうとはせず、月日だけが流れた。


それが、独立してアロマサロンを始めて3年ぐらい経った頃からだろうか。
少しずつ「また絵を描いて自分の才能を伸ばしてみたいな~」なんてぼんやり思い始めた。

2016年に訪れたセドナでは、もはや宇宙的ともいえる自由なアーティストの作品に触れ、いつか自分もこのぐらいまで魂を目醒めさせたいと思い、
2018年に行ったイタリア旅行では、初期ルネサンスの素朴で荘厳なヘタウマ(といっちゃ怒られるが)の宗教絵画に刺激を受けた。

シエナ派の聖母子


しかし、デッサンや色、表現など基礎からちゃんと学んだことがないのがなんとなくずっとコンプレックスとなっていて、どうせなら海外に暮らしたいし、それなら本場フィレンツェで学んでみよう!!
ということで、我ながらけっこう大胆な決断によって今回のイタリア留学に至ったのだった。



出発の前に日本でも少しだけお絵描き教室に通ってみて、それはそれで良い経験だった。

けれど、イタリアでは技術を学ぶだけでなくすばらしい美術館(それこそフィレンツェは街自体が美術館とも言われている)で「本物」を見る機会をたくさん持てたし、何よりこの国の人はみんな普段から美しいものに対する賛美の精神が厚い。
(おそらくヨーロッパの多くの国々が現代の日本と比べるとかなりそうなのだと思う)

趣味で絵を描いたり創作する人も多いし、美しい手仕事をする職人気質な人も多いので、いつも芸術が身近に感じられて、とても居心地が良かった。

お部屋に飾ってあったエッチングの聖母子像


日本でも昔はもっと純粋に「美」を探究し楽しむ心があったと思うが、現代は「利便性」や「効率」「機能性」などを求めてきた結果、残念ながら「純粋な美」は後回しにされがちだ。

たしかに、「美」そのものは生活の役には立たないかもしれない。
けれど、心を豊かにしてくれる。
人生になくてはならないものだ。

イタリア人はそれをよく知っている。
街並みもきれいで、世界遺産が一番多い国の理由はここにある気がする。


私がイタリアでアートを学んでよかったのは本場の技術や環境ももちろんあるけれど、何より「美を純粋に楽しむ心」を思い出せたことかもしれない。



長くなってしまったが、最後にイタリアの素敵なことわざをご紹介して今回は終わりたい。

Chi si contenta gode.
(心が満たされた人は富にも勝る)



14につづく

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