獅子の時代 アナーキストになりたかった私
「歴史大河ドラマで何が好きだった?」
「ルソン壺を買ってくる商人の話、松本幸四郎の」
「黄金の日々、だね。僕はその後ぐらいにあった獅子の時代」
「菅原文太と加藤剛だね。パリ万博のシーンと菅原文太が、日本中に汽車を走らせるんじゃ、と吠えていたのがなぜか思い出す」
「獅子の時代にね、植木枝盛という人物が出てきたと思う。板垣退助の相棒で、天は人の上に人を作らずという福沢諭吉を引用したりしながら独自の日本国憲法草案を書いた不思議な人でね。でその憲法草案には、国民の革命権が書いてあるんだ。つまりひどい政府だと人民は政府を倒していい」
と、その話はここまでだったんだけど、その後、植木枝盛がどういうふうにドラマで扱われていたかを調べてみた。
加藤剛が演じる苅谷嘉顕(架空の人物)は薩摩藩からイギリス留学に派遣され、自由、平等、人権、国民主権といった理想を仕入れて帰国した。理想と明治政府の現状を見くらべて、これでは駄目だと世の中を変えようとする。
明治16年夏、伊藤博文(根津甚八)はドイツから帰国。憲法担当参議となった。
伊藤は「私は憲法を生涯の大事業と考えている。政府であれいかなる高官であれ憲法に違反したときは裁かれてしかるべきである」ともいう。
制度取調局の官僚となった苅谷は、伊藤から民間の憲法の議論の調査を命ぜられる。
苅谷は、民間の憲法案が自分の理想とする国民の自由と権利が盛り込まれていることを知る。
伊藤は、苅谷が持ってくる民間の憲法案に目を通した。
伊藤が手にした憲法案の冊子には五日市憲法の文字も見える。
集会の自由
思想の自由
政府を転覆し新政府を建設する権利、すなわち革命の自由だ。
これは土佐人・植木枝盛(1857−1892)らの草案だった。
伊藤博文はそのようなデモクラシー運動を弾圧していく。
映画では植木枝盛の配役があり出てきたという気がしたのだが、どうもそれはなかったみたいだ。当時学校の図書館で植木枝盛関連の本を探した。「革命思想の先駆者―植木枝盛の人と思想 (家永三郎著 岩波新書 1955)」があった。
長い間植木枝盛のことは忘れていたのだったが、この会話がきっかけで再びこの本を取ってみた。
「枝盛はいう。世俗の人々はイタズラに政府を信じて一に文明改革主義と考え、我が国の現状を目指して開化進歩となし・・・・・・中略・・・・・・しかし、今の政府は決して真の文明化化主義者ではなく、文明開花を図っても、それは私利私欲のためにはかるのであって国民のために計っているのではない」
もう当時から日本の政治家は私利私欲に走っているのですねえ。
そして枝盛は保守士族の反乱(西南戦争など)に同情した。「暴動の徒は政府の敵であっても、天の敵ではない」とした。
カールマルクス(1818−1883)の日本誤訳は1911年が最初とされる、枝盛はマルクス主義には触れずに死んだのだろう。それでも枝盛は政治活動を行い、新聞に論説を書きながらどんどん考えた。 そして、アナーキズム的な考えや、世界に先立つ女性参政権も。それらが独自の憲法案に結晶したのだろう。
その後獅子の時代の植木枝盛がきっかけで高校時代にはクロポトキンなどのアナーキズム、共産主義の入門書を見つけては読んだ。但し理解していたかどうかは別だ。同級生とはあまりそんな話はしなかった。そういう本を読む自分がかっこいいというナルシシズムも多分にあったろう。しかしすでに全共闘の時代も終わっていたから特にカッコいいという時代でもなかった。雑誌ブルータスの蓮實重彦氏の映画評論も面白かった。
でもなんとなく革命家になりたいから、法学部から政治を志そうか、と高校2年生の時に考えていたという記憶がある。まあ、ナルシスト兼アナーキストだった。そんな危なさそうな私に気づいた父は「東大の教養なんていいんじゃないか」と言った。多分私がテロリストになるのを恐れたのかもしれない。
それからいつの間にか医学部に入り、アナーキストへの道は閉ざされたかに思われた。ところがだよ、私を再びアナーキズムに導こうとしている何かがある。それはまたいずれ書こう。
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