今日もラリってる
風邪をひいているから朦朧としている。
以前、お酒を飲める能力について書いたことがあるんだけど、私が酒を飲めるのは人類の祖先がオランウータンの祖先と別れたあたり、つまり800万年ぐらい前に、アルコールを分解できる酵素を手に入れたから。
その時、ヒトは酔う能力も手に入れたとも考えられる。酔うということは、酔っていない自分と酔っている自分を分けること。
酔っている自分は気持ちよく、フラフラして、都合が良いことを考えて仲間といい加減なことを話し合う力であろうか。いやちょっと待て、800万年前にヒトの仲間はまだ言葉を持っていなかった。言葉はせいぜい10万年前だろう。だから「仲間といい加減なことを話し合う」のはもっと先の出来事だ。
つまり、酔うことは、言葉に先だつヒトの特徴だ。酔っていないことと酔っていることを分ける能力とすれば酩酊力とでも呼ぼうかな。漢語は便利ですね。酩酊プラス力で酩酊力。英語だと酩酊はdrunkennessだけど酩酊力だとdrunkabilityかなあ。フランス語だとIvresseかなあ。ドイツ語はTrunkenheitだけどフランス語でもドイツ語でもこの酩酊と酩酊力の間に言葉の差がないから漢語の便利さに今更気づく。
で、この酩酊力って、自分の意識がクリアな時とそうでない時のグラディエーションがあるということ。 そうすると、日中の比較的明瞭な時と、夜のまどろみのやや不鮮明な時、さらには酔ったとき、という違いを意識し始めたのではないだろうか?
そうすると、夢というものは中途半端な意識の時に出てくるから、意識のグラディエーションがあることが夢を意識するポイントだろうか。
ヒト族は言葉を話すようになって人間になったとすれば、そレはたかだか10万年ぐらい前。800万年前から10万年前まではかなりの時間がある。それまでにはアルコールだけではなく、様々な自然界にある脳に作用する薬剤に触れただろう。色んな酩酊や幻覚も経験しただろう。つまりヒト族は話せる前に様々な意識レベルを体験していた。
さて、前置きが長くなりすぎました。
ここからが本題。
私たちはクリアな意識とそうでない意識の状態を知っていますが、果たしてクリアな意識っていつもクリアですか?今日は私は体調不良で、少し熱っぽい。そうすると、頭がいつもよりなんかぼーっとしている。というか、私も普段は意識しない限りボーッとしている。
そうすると、ボーッとしていることが意識の普段の状態だよね。
つまり、酔っている感じ、ラリっている感じが、私たちには普段からあって、それを制御して周りの人と付き合ったり、人と話をしたりしている。
今この文章を読んでいる時も、あるいは音楽やドラマで感動している時も、どこか清明な意識を捨てて、酔った気分の引き出しを開けることもある。
ひょっとして人類って、基本が「酔っている」あるいは「ラリっている」状態なんじゃないかな。ラリっていることが人間の条件で、だから、想像力が働き、こんな変な文章を書いたり、漫才をしたり、さらにハイになるために薬剤を使ったり、全ての活動をするのではないかな。
今日は風邪で頭が朦朧としているから特にそんなことを考えるのかなあ。
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