見出し画像

齋藤飛鳥論 今もっとも目が離せない才能を紹介

実写版『映像研には手を出すな!』の立ち位置

ドラマ版『映像研には手を出すな!』(以下、『映像研』)がとてもいい。予算の低さを感じさせながらも、演出や編集の工夫で視聴者の想像力を刺激し彩ある物語を紡ごうとしている。また、映画『初恋』で主役に抜擢された小西桜子など将来性がある俳優たちの怪演も魅力だ。

今回の主題は主演を務める齋藤飛鳥について書くことであるため、詳細なあらすじ等については下の動画などを参考にしていただきたい。

(▲ドラマ版『映像研には手を出すな』2020年)

『映像研』は、2017年に公開された『あさひなぐ』の系譜を継ぐ作品だ。監督・脚本に英勉を据え、東宝、小学館を中心に製作委員会が組まれている。ただ、『あさひなぐ』と『映像研』ではその制作スタンスが全く異なる。劇場版『あさひなぐ』は原作に乃木坂46というアイドルグループ内の関係性をトレースした作品であった。そのため裾野が広い作品とは決して言えなかった。「アイドル映画」とカテゴライズされる数多の作品同様、「スクリーンにアイドルの顔を並べること」に重きが置かれ個々のキャラクターの動機や人間性の描き方が十分ではなかった。普段から乃木坂46というグループに親しんでいない視聴者、すなわち”フリ”が効いていない視聴者からの評価は決して高くはなかった。

(▲『劇場版 あさひなぐ』2017年)

対して、今回の『映像研』は「乃木坂46」というアイドルグループからは独立した物語をつくろうとしている

『あさひなぐ』で乃木坂46のメンバーを脇役で多数出演させたのに対し『映像研』では前述した小西桜子はじめ、桜田ひより、板垣端生などの才能豊かな演者が脇を固める。

また、齋藤飛鳥演じる浅倉と共に「映像研」を構成する二人を演じる梅澤美波、山下美月。両氏はともに乃木坂46の3期生であるが、グループ内の梅澤と山下の間に取り立てて説明すべき関係性はない。ただ、ドラマにおいては彼女たちが演じるキャラクターに関係性をつくっている。この点も『映像研』が『あさひなぐ』から発展したポイントだ。

画像1

(▲ドラマ『映像研』第4話 グータッチしあう金森[梅澤美波]と水崎[山下美月])

齋藤飛鳥とは何者か? 

斎藤飛鳥は乃木坂46の1期生として加入。同じ1期生の生駒里奈や白石麻衣とは違い、そのキャリアは「アンダー」と呼ばれるメディア選抜外メンバーとしてスタートさせた。

(▲乃木坂46『扇風機』 2013年)

2015年に公開された『DOCUMENTARY OF 乃木坂46』において斎藤個人にほぼ言及がなかったことからも、この頃まで齋藤飛鳥はまだ「乃木坂46の秘密兵器」的立ち位置であったことは否めない。

説明がやや一足飛びになるが、彼女が表舞台に躍り出たのは初めてセンターを務めた『裸足でSummer』(2016)以降だ。

(▲乃木坂46『裸足でSummer』2016年)

このタイトルを提げた『真夏の全国ツアー 乃木坂46 2016』(及び『 真夏の全国ツアー 乃木坂46 2016 4th YEAR BIRTHDAY LIVE』)において、「殻を破った」というのが大方の評価となった。とりわけ、コンサート各回の最終盤に彼女が行う「煽りMC」はファンの好評を得た。

(▲MONDO GROSSO『 惑星タントラ [Vocal:齋藤飛鳥] 』2017年)

翌年にはMONDO GROSSOの楽曲にボーカルとして参加。いわゆる「外仕事」(=所属グループを離れた、個人単位での仕事)を増やしっていったのがこの時期である。日本とミャンマーという二つの出自をもつ背景とルックスも後押しし他国のファッション誌の表紙も務めるまでに至った。

また、この頃から乃木坂46は「クールジャパン」的な性質をしきりに引き受けようとしたり(「KYOTO NIPON FESTIVAL」など)、アジア展開をほのめかしはじめた。そのマネジメント方針は、国内においては明らかに成熟期を過ぎかけていたことを受けてのものだろう。これまでにない発展を図る上で、斎藤の国境を超えられる才能は乃木坂46というグループに”成長”を担保するものとしては重要な役割を担うようになっている。

齋藤飛鳥が抱える「喪失」

以上のような外向きにマネジメントされたキャラクターに対し、斎藤はドメスティックな空間では再三に渡って自身の「喪失」について述べてきた。

例えば、乃木坂46がレギュラーを務めるテレビ番組『乃木坂工事中』では以下のように。

斎藤飛鳥(乃木坂46) 初心に返ると今ままで見なかったものとか、今まで見なくていいやと思っていたものも気になっちゃって。なんか、ファンの人がどういう気持ちで応援してくれているんだろうとか、みんなが……うーん…….なにを思って……わたしと接してくれているのかがわからないなと思っていて。

日村勇気(バナナマン)
 なんか行き詰まっているわけではないんでしょ?

斎藤
 人生にですか?

日村
 人生と言ったらあれだけど(笑)。

斎藤
 なんか行き詰まっているというか、普通の人が学ぶであろうことを学ばずにきたというか、若いうちから乃木坂に入ったからかもしれないけれど、どうしたらいいかわからないなと思ったときに、その選択の一つが私は本を読むことだったりするけれど、本を読んでもわからない

(『乃木坂工事中』2018年3月11日回より)

また、ロングインタビューでは以下のようにも答えている。

私にとっての青春は乃木坂46で過ごした時間しかないので世の中的な”青春”の正解がわからないんですよ。13歳から乃木坂46の活動をしているので学生時代の思い出はまったくありませんし、世間一般の学生にとって何が青春なのか、想像もできないくらい遠い存在です。そもそも私は青春というものをあまり求めていなかったように思います。キラキラした青春を経験したい、という感情を持ったことがなくて。

(▲『テレビブロス 2018年11月号』収録 「あの頃、君を追いかけた」齋藤飛鳥ソロインタビュー より抜粋)

これらの言葉から、「根暗/ひねくれ者」「オタク」といった芸能タレント的なキャラを自身に付与させることを目的としたポジショントーク以上のものを読み取るのは大袈裟だろうか。私はどうしても彼女の一挙手一投足に極めて人間的な煩悶を見てしまう。だからこそ目を離せない。

2018年1月9日に放送されたドキュメンタリー番組『セブンルール』では、大江健三郎全集に興奮したり、ひとり焼肉に楽しんだり、壁に寄りかかる(あまりにも詩的な)癖を披露した。

それを受けて、スタジオの若林正恭(オードリー)は「アイドル戦国時代」的な空気に正対しない彼女のスタンス(それを象徴する握手会というイベントを”適当に”こなす様もドキュメントされた)に対し「今の時代にあっているのかもしれない」とコメントしたりした。

(▲ 『セブンルール 齋藤飛鳥編』2018年1月9日放送 * アーカイブ化されておらず映像を観ることができないが、番組サイトにテキストで詳細な記録が残されている)

『映像研に手を出すな!』はトラウマや清算できない過去なんてものが描かれていない作品だ。ありのままをありのままに存分に発露させ合える仲間を見つけることが大きなテーマのひとつである作品、その主人公・浅草と、「喪失」を節々で見せてきた齋藤飛鳥の出会いは無限の可能性を秘めている。劇場版『あさひなぐ』が乃木坂46のメンバーのキャラクターを表層的にトレースしたのとは異なり、実写版『映像研』は齋藤飛鳥の本質的な魅力を炙り出せ得るのではないだろうか。

まだドラマは4回(全6回)まで終了したばかり。劇場版の公開は新型コロナウイルスの影響で延期されている。今からでも遅くはないので、『映像研』と齋藤飛鳥の関係を楽しんでみるのはいかがだろうか。

(了)

***
(おまけ)
齋藤飛鳥のクリエイティビティに浸るための作品として、『あの教室』のミュージックビデオを勧めたい。

(▲乃木坂46『あの教室』2016年)

ちなみに、書き手の個人的な”推しメン”は上の映像内に斎藤と共に出演している堀未央奈だ。彼女についてもセカンド写真集が発売されたタイミングで書きたいと思っている。


いいなと思ったら応援しよう!

アララ
サポートは執筆の勉強用の資料や、編集会議時のコーヒー代に充てさせていただきます

この記事が参加している募集