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コピー機から届くエッセイはどこか共犯意識めいて可笑しい

電車で座れたとき、次の停車駅がアナウンスされてからは、スマホをポケットにしまったり、カバンの中をガサゴソしたりしないようにしている。
じゃないと、自分の前に立つ人に勘違いさせてしまうから。
「あ、これは、カバンから本を取り出そうとしているだけで、まだ僕は下りないんですごめんなさい。そう心で言い訳をしながら、単行本を引っ張り出す。座れた日くらいスマホを見ない。電車が動き出し、ページをめくる。

でも突然、急な予定を思い出してスマホを確認したくなる。
仕方ない。
なんでもポケットに入れたがるくせに、書籍に関しては単行本派なのだ。
ガサゴソとしまって、スマホを探す。
ごめんなさい、あなたがこの席に座れるのはさらに先です。
ああやっぱり。危ないところだった。
ナンバーガールのチケット入金が今日まで。絶対にやらかしてはいけないやつ。
そのままスマホをいじりながら電車を降りて、セブンイレブンで入金を済ませる。
出口へ向か・・・」
思い出した。回れ右でコピー機の方へ。

車内でスマホを開いていたとき、僕のマリさんという方のツイートが目に留まった。
「セブンイレブンのネットプリントに文章を登録しました。予約番号は○○○○○○です」
ブログやエッセイ、批評などの文章を書く人たちの間にたまに見る“セブンのネットプリント記事”の告知だ。

スマホアプリ上でファイルをアップロードすると予約番号が表示され、その番号をコピー機に入力すればその場で印刷できる、というセブンイレブンのサービス自体は僕も就活中に利用していた。
でも、その機能で“全国の読者が自分の書いた文章を紙に出力して読むことができる”なんて、全く思いつかなかった。原点回帰に近いけど、逆にアナログ的な再発明ではないか!?

「しかし、これは発見どころかすでに“ネップリ”と略されるくらい浸透しており、クリエイターがファンと交流するよくある手法の一つである。そして、全国のコピー機で配信されるコンテンツは、テキストよりもイラストが主流。コミケと文フリの市場規模みたいなものをこんなところでも感じるとは・・」

僕のマリさん。文フリに出展されていたことで知ったばかりで、いつかしっかり読んでみたいと思っていたから、ちょうどいいきっかけに感じた。モノを受け取る感覚は僕にとっては未だ大切な感覚でもある。

「予約番号は、機能する期限が一週間と決まっている。日本人は“モノ”にも弱いが“限定”にも弱い」

何か読みながら帰るというのも悪くないと思った。

「コピー機のモニターに番号を打ち込むと、ファイルの画像が表示された。240円。缶ビール一本飲みながら歩くのと、4枚分の文章を読みながら歩くのは、だいたい同じくらいの価値に思えてそのまま印刷ボタンを押した。押してから、写真がついた表紙以外をモノクロ印刷にすれば240円もかからなかったことに気付く」

もったいない。金麦くらいは買えたんじゃないの?
いや、でもそれは書いた人への気持ちの問題だから、セコいこと考えるのはやめよう。
いや待て。(1/4)
僕が払った金はあくまでコピー機の利用料で、文章への対価じゃない。
僕のマリさんから購入していることにはならない。(2/4)
じゃあ・・・
金麦飲みたかったな!(3/4)
冷えて待っててくれたのにさ!!
僕の檀れいが待ってたのにさ!!!(4/4)

A4用紙4枚が流れるように押し出される。
「サービス」と題された文章は、バイト先の珍客に対する気持ちがあけすけに綴ってある。
街頭やら自販機やら、暗い道をわずかに照らす明かりの側まで行っては目を凝らし、次の明かりまでは情景を想像しながら歩く繰り返し。作者が働く喫茶店の机の配置はどんな感じだろうか。常連のおばさんの見た目は?やっぱり嫌味なババアはデカいイヤリングをつけているのか?終業した図書館の駐車場で読み終えたとき、不思議な感覚になった。

普段noteやはてブロで読むような文章が、駅から家に帰るまでの時間に侵入した痕跡が手元に残っている。スマホ上で読み返す文章なんて僅かで、大概の文章はホーム画面に切り替えた時点でそれっきり。
それは、例えば今からこのコピー用紙を捨てて帰ることと同じだ。
捨てて帰ろうか?いつもの帰り道がいつもより充実した感覚には充分満足している。

「でも、240円をもったいないと思うわけではないけど、僕はそうはしないだろうと思った。コピー機から出てきた紙を、本屋で買う紙の束に近い部類の存在とは思えないし、この時の僕はまだ作者のファンでもなかった。グッズとしての愛着も、対価を払った執着もない不思議な紙を握った僕は、いつもよりちょっと雑にガサゴソとカバンを開いて、マンションの扉をくぐった」

**

後日、僕のマリさんが登壇する下北沢のトークイベントに出かけた。改めて読みなおした“ネップリ”エッセイが面白かったから。
期待していたようなイベントではなかったけど、僕のマリさんが、過去に毎週欠かさずネットプリントに文章を投稿していた時期があったのだと知った。それを「暗闇に向かってボールを投げる感覚」として深堀しようと彼女にふられた話は、別の方の介入で立ち消えてしまったのが惜しい。でもその中で一言、僕のマリさんが答えたのは「私の文章を読むために誰かがセブンイレブンに行った。ついでに肉まんとか買ったりして。それが、なんか面白いんですよね」だった。
僕があの日に感じたことに似ていた。
ふと思い立ってコピー機に番号を打ち込んで、読み終わったあとに自分が握る紙の感触に気付いて、このモノをどうしようか、というかこの紙はなんだと自問して、なんか可笑しくなっちゃう感じ。投稿者の「こいつ、ひと手間かけて私の書いたもの読んでるんだ」という温かい可笑しさみたいな、共犯意識というか。
でも、それって悪くない。気合十分で書いたとしても、それをどう読むかは読む側の状況が勝手に決める。無料でも高価でもないモノこそ金額という価値に振り回されないし、代金が作者に届かないぶん、期待や好意に邪魔されない。
互いが好きにやってることが、なんとなく繋がっちゃって、笑ってごまかしたくなるような恥ずかしさで共感できる出来事なんじゃないかと思う。僕のマリさんの文章がすごくよかったのはもちろんなのだけど。

だから、僕はこの話の続きをなんとなく、セブンイレブンのネットプリントに登録しておきます。これを最後まで読んでくれた人が、そんなことがあったなあと、思い出してくれるかも分かりませんが、もしかしたら思い出して、コピー機に番号を打ち込んで、出力された僕の文章をどこかで読んでいるかもしれなと考えると、なんか可笑しいから」

***

大学の学部図書館で卒業論文の材料になるメモを作っているとき、この文章が入ったフォルダは発見された。スマホとPCで共有しているEvernoteというメモアプリで同期がうまくいかず消失したはずの文章が突然現れたのだ。
だから、このままアララにあげることにする。もちろんコピー機には何も入力されていない。
締切は少しずつ迫っているらしい。デッドライン。千葉雅也さんの作品が芥川賞候補に入っている。あの本の主人公のような年末は送りたくない。そんなことより町屋良平の新作が面白過ぎるし、星野文月さんの『私の証明』もヤバい。日記と物語の何が違うんだろう。そんなことばかり考えている。

(オケタニ)

<今日の一曲>

Answer to Remenber『RUN feat. KID FRESINO』

(オケタニ)
https://note.com/laundryland

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アララ
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