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ダウ90000「また点滅に戻るだけ」
埃のかぶったDSソフトみたいな
レンタルCDショップ
地方百貨店ショーウインドウ
予備校バックヤード
今回はゲーセンとプリクラ
ダウ90000本公演で一番楽しみな舞台設定。
誰もがそこで交わした会話を忘れ、情景だけパッケージ保存しているような場所
忘れさられ待ちの地点でのリプレイ、いま携えている価値観という尺度の再認識。
人の感動には、心が入力で「いっぱいいっぱい」になることだけが、決定的なのではないだろうか。
目撃ベースの芝居において物語やメッセージを用いたエモさや感動など本来不要だとして、概念化して情報量をそぎ落とす隙を観客に与えないことで心を「いっぱいいっぱい」にさせる集団がダウ90000らしさだと思う。
コントの間やテンポにすることでふんだんに混ぜ込む固有名詞とあるある、同世代らしき8人が存在することで醸し出される現実味とそこで交差する会話。
情報量の多さはあっという間に観客の心を「いっぱいいっぱい」にする。
入力の手が休まることはなく、観客は閉じ込めていたわけではないのに何かを引っ張り出された快感を味わい続ける、水門が開かれたら後はもう何を流されても気持ちがいい、会話は止まらない。
***
プリクラのイメージモデルにもなった女子が高校時代のチュープリ流出によって地元に帰って来る。
自分の顔が印刷されたプリ機から出て
「自分製造機みたいじゃない?」
今作は舞台設定だけじゃなく、登場人物の関係も分かりやすくキャッチ―
<恋愛相関図が複雑すぎて”紗々みたい”になっている地元の「猫よりカワイイ、寿司よりマズい」界隈>
喩えとオリジナルがキーワードとして両立する言語感覚。
さらに「誰がチュープリを流出した犯人か」という縦軸が追加された。
複数人が1つの動機や興味で動く物語は<AはBが好き><BはCを好き>な関係性を追いかけるより分かりやすい。
第2回本公演と似た味わいでありつつ更新された点だと思う。
犯人捜しのテーマから2つ考えたこと
1つは、単独最大キャパとなる本多劇場の使い方。
高さも奥行きもある舞台は、縦に3層、奥に2層を用意することだってできる広さだ。出捌けにバリエーションを設けたり、複数地点での同時進行を見せたり、各人物の知っている情報量に差を設けて展開させることもできる。
しかしダウにとっては、舞台に6人以上いても違和感が薄くなる広さであることが最も重要だったように思う。
数分のコントであればギュウギュウ感も楽しいが、2時間弱の脚本となると見え方は変わってくる。全員に絡む関心事がある設定は今回が初めてだった記憶。
(発話している人物をそれ以外の全員が見つめる時間は少し退屈だったけど、前述した情報量をまっすぐ発信する以上そんな「っぽい」ことはどうでもいいのかもしれない。脚本が強すぎる)
もう1つ、笑いどころをどれくらい用意してどう機能させるかの塩梅は、観客が物語にどれだけ興味を持ち続けてもらえるかの見積りと関係しているのではないか。
各々の思惑や感情が錯綜する群像劇的話題に比べ、犯人捜しは集中力を維持しやすい話題であり、笑いで観客を引き戻す箇所を間引いてここぞというときの爆笑に絞れる...?
書きながらそんなことが可能なのかとも思うが、
でも今までで一番気持ちよかった。
***
生で見た取り急ぎの記憶。
そこに生身の人がいた(まだいるかもしれない)エモさは反転すれば、ずっとそこに居続ける”ヤバい奴”を生むこともできる。この意地悪な目線を代弁してコントにするのは好き。
メルマガと偽って個人にメールし続ける店員、
母親と仲良くなって勝手に自分の親友と偽っていた同級生
そういう奴らがいる”懐かしい場所”を久しぶりに開くDSの中の世界と表現するエグさ。ハンマーブロスのところヤバかった。
恋愛感情が主導する公演が多いが、その中でも相手のどこを好きかという点が一番深堀された作品だった。
「誰が何を言うのか問題」≒「自分はオリジナルか問題」
そこが
自分のイヤホンだと思った、違った
ファーストキスだった、ちがった、やっぱりそうだった
の構図と相似しているのも気持ちいい。
ビームスジャパン、紗々、と単語の話にも広がりを見せる。
プリクラの解像度。プリクラに閉じ込められる/捨てられたプリクラをガチャガチャに再び閉じ込めるキモさ。
ダウには”社会”の代弁者たる”大人”は出てこない。金や立場の欲を知らないうちは、モテたいか面白くいたいかのどっちかしかないとして、それは分解できそうでできない感情だからいい。
一番グッと来たのは、「猫よりカワイイ」が自販機に乗せられた上履きを取るためにジャンプする高校時代の園田からきたとわかるところ。
ダウの世界はDSのカセット(正式にはソフト)だから、その世界の中にもなんでもない過去の一場面が存在しているとわかるところにはグッとくるし、ルーツを忘却された言葉の由来は説得力に繋がる。当たり前だと思っていたあだ名について話す同窓会みたいな。
とにかく脚本が強い。久々に「旅館じゃないんだからさ」も読み返したけど、なんか強い。
どんな客席よりも若い人が集まっていた。
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