【ネトフリ】『ボージャック・ホースマン』。変わらないことの絶望感を表現したコメディ。
1年ほど前、「センタクセン」という芸術ユニットの展示を観に行った。彼らは皆同年代の美大生で、メンバーが住んでいるアパートをそのままギャラリーに作り変え展示を行っていた。展示のテーマは「平成を生きながら考えたこと」。彼らは自らが生きてきて感じた「平成」をあらゆるアプローチで、表現していた。
その展示の中で僕が興味を持ったのが、アニメ「サザエさん」のオープニングの後半部が永遠とループされるインスタレーションだ。平成の30年間、「サザエさん」は休むことなく昭和の家庭像をテレビから発信し続けていたた。
しかし、30年経っても、カツオやワカメが小学校を卒業することはないし、波平が定年退職をすることはない。それどころか、フネとサザエは令和になった現在でもジェンダーロールから解放されずに二人だけで夕食の準備を続けている。
「変わらないもの」は往々にして安心感をもたらす。しかし、それはふとした時に「なにも変わっていない」という絶望感に変わる。長く続くアニメーションシリーズの登場人物たちは、年老いることや、成長することを許されないのだ。
そんな変わらないことの絶望感を、あえて登場人物の成長や老いを見せることで表現したアニメシリーズが『ボージャック・ホースマン』だ。
このシリーズは「ストレンジャー・シングス」や「ブラック・ミラー」と並びネットフリックスの人気作品として北米圏で絶大な人気を誇っている。
しかし、「ボージャック・ホースマン」は日本であまり人気がない。びっくりするくらい、人気がない。僕が三年間、友人に勧めていても、誰もはまらなかった。
その要因の一つが、「話の構造のややこしさ」である。
上記にリンクを張った「Mojo Japan」の「ボージャック・ホースマン」評を見てみよう。(8:13〜)
「ネットフリックス上で恐らくもっともユニークな番組」
「ハリウッドの闇 鬱 中毒 自滅 日々の苦悩を描く」
「シーズンごとに変わる登場人物と方向性 風刺的な作風など、どれを取っても最高」
このように、ひたすらにわかったようでわからない言葉が並ぶ。それだけ「ボージャック・ホースマン」の面白さや魅力を一言で表現するのは難しいのである。
そもそも物語の設定からしてもややこしい。
舞台は動物が人間のように暮らしている架空のハリウッド。(「ズートピア」の世界に普通に人間がいる、と表現すればいいのだろうか)
主人公のボージャック・ホースマン(馬)は90年代にシットコムドラマ(『フルハウス』みたいなやつ)で一世を風靡した俳優であったが、近年はヒット作に恵まれず、広い豪邸で一人アルコールに溺れながら暮らしている。
そんな彼に自伝の執筆の依頼が舞い込むが、怠惰なボージャックは締め切りを守らない。そんな彼を見かねた出版社はゴーストライターとしてダイアン(ベトナム系アメリカ人)を送り込み、ボージャックの反省をインタビューしながら自伝を書き上げていく。これが大枠のストーリーだ。わかったようでわからない人も多いかと思うが、とりあえず話を進めていこう。
シーズン1では、ボージャックが自伝を書きあげる過程で忘れたい過去や自分の人間(馬?)として欠陥に向き合う姿が描かれる。しかし、彼はいわゆる「わがままセレブ」だ。一筋縄ではいかない。
同居人であるトッド(メキシコ人)をこき使い、エージェントであるキャロライン(猫)とははっきりしない恋人関係を続け、ライバル俳優のピーナッツバター(犬)がダイアンの恋人だと知ると二人の関係を邪魔しようとする。自分の過去のいい部分だけにすがり、暗い過去からはひたすら逃げようとする。ボージャックは過去から逃げるため、そして変わらない自分を肯定するために悪行を繰り返すのだ。
ただその姿は、アニメらしくコミカルに描かれるのだが、ふとした時に表現されるボージャックの悲哀は、深く胸に突き刺さる。
ボージャックはシーズン1で繰り返しダイアンに尋ねる「俺っていいやつだよな?」と。彼女は、その答えに口ごもる。
しかし、シーズン1の終盤、自伝を書き上げたダイアンは彼にこう答える。
「今はいい人じゃないかもしれないけど、これから変われるかもしれない。」
そう、この作品のテーマはダメな自分自身をいかに変えるか、ということだ。このアニメでは、ボージャックだけでなく、ダイアンも、トッドも、キャロラインも、ピーナツバターも、それぞれの問題と向き合いながら変わろうとしていく姿が描かれる。
そんな、人間の本質的な悩みと問題を、様々な世の中の流れやカルチャーを引用し、そしてアニメ的な表現によってコミカル映し出す。それが「ボージャック・ホースマン」の魅力だ。
シーズン1の最終話では自伝が大ヒットし、俳優としてカムバックする姿が示唆される。そして、シーズン2からは再びコメディアン/俳優として活躍しようとするボージャックの姿が描かれる。ここで重要なのが彼を含めた登場人物たちがシーズンを追うごとに年老い、成長し続けることだ。ピーナッツ・バターはダイアンとの結婚生活に悪戦苦闘し、キャロラインは結婚相手を探す。そして相棒のトッドは、思いつきから様々な会社を起業し始める。
それにもかかわらず、ボージャックだけは頑なに変わろうとしない。自分の過去と欠落から逃げるために悪行を繰り返し、他人だけなく自分にも新たなトラウマを植え付け続ける。
しかし、年齢を重ねていながら懲りずに愚行を続けるボージャックを見ていると恐ろしい事実に気がつく。そもそも『ボージャック・ホースマン』は、彼の悪行から生まれるドタバタを中心に据えた物語だ。つまり、ボージャックが「いい人」になった時点で、物語は終わる。つまり、このアニメが続く以上ボージャック自身が「いい人」になることがないのである。
主人公の愚かなドタバタが笑いを誘うコメディアニメでありながらも、作中の時間は繰り返されず進み続ける。だからこそ『ボージャック・ホースマン』は、笑いと同時に「変われないことへの絶望」を生み出すのである。
しかし5シーズン全60話にわたって「いい人」になることを求めてきたボージャックの物語も、2019年10月に配信が始まったシーズン6と来年1月に配信される最終シーズンで終わりを迎える。
めくるめく時間の中で、「変わらないことの絶望」を描き続けたこの作品が終わるとき、最後に何が提示されるのだろうか。
【追記 2020 3/23】
『ボージャック・ホースマン』は2020年の1月31日を持って完結した。そのことは別のエントリで書いたのでぜひ。
それとは別に、グーグルの検索でこの記事が上位にくるようになったので、わかりやすく加筆修正を加えました。前の文章はだいぶひどかったのですが、毎週読んでくださる方がいらっしゃってありがたかったです。
【第32週のテーマは目眩く(めくるめく)でした】
(ボブ)
<今日の一曲>
「DAN DAN」THE YELLOW MONKEY
結成30周年を迎えたこのバンドは、かつてのロックスターぶりを成熟させ円熟を続けていく。立ちながら激しいパフォーマンスをする吉井和哉が座って歌っているのも、かっこいい。