【#18 つなぐ】フジロックで携帯を水没させた翌日の話
7月27日の土曜日、時刻は21時。フジロックフェスティバルが開催されていた苗場スキー場には、大量の雨粒、というか水が降り注いでいた。15時ごろに降り出した雨は、6時間経っても止む気配はなかった。
17時にレッドマーキー(フジロック唯一の屋根があるステージ)に入り、何度か外の様子を確かめたりもした。しかし雨は止まない。ステージを観ながら、4時間ほど出るのをためらった後、僕は意を決してそこを出た。しかしそれが間違えだった。
大きな平野に建てられたグリーンステージ(フジロック最大規模のステージ)の地面は驚くほどぬかるんでいた。歩くたびに泥や水が跳ねる。足場はゆるみ、下手に走りでもさえすればすぐに転んでしまう。
さらに、かつて道であった場所は大量の濁流が流れ込み、そこには川が出来ていた。最初こそ、濁流を避けながら歩いていたが、足が滑って落ちたころには、すべてを諦め、泳ぐように濁流のなかを歩いた。
降りしきる雨によって、レインコートはレインコートの効果をすでになくしていた。気づいたときにはもうTシャツやズボン、そしてポケットに入れていた携帯もWi-Fiもサイフも、ずぶ濡れになっていた。
そんな状況の中、ステージの上で歌っていたのはSIAだった。彼女のスモーキーなハイトーンボイスは、こんな惨めな状況すらもドラマチックにしてくれる。そして「Diamond」を歌い出した瞬間、僕はすべてを忘れてステージの前へと走りだしていた。
その1時間半後に気づいたことといえば、ステージの最後、スクリーンに素顔のSIAが写り込んでいたことと、自分の携帯が動かなくなったことだった。
※※※
フジロックで携帯を壊した(2年ぶり2回目)。
前回は最終日のnever young beachのライブではね回っていたら、その拍子に携帯を落とし、ライブが終わった頃には見知らぬ観客たちの足に踏みつけられてボコボコになっていた。端的に言えば、僕の不注意で携帯を壊したのだ。自分の責任でしかない。それに比べて自然の脅威によって携帯が壊れる、というのはなんともやりきれない。
しかも、今回は三日間の中日に壊したため、最終日は誰とも連絡が取れない状況に陥ってしまった。苗場スキー場に散らばる友人たちを、視覚を駆使して探さなければいけないのだ。非常に困った。最悪の場合、僕はフェスが終わったあと、誰とも連絡か取れず宿に取り残されるのではないだろうか!
そう思っていたのだけれども、結論から言って、携帯がなくて困ることはあまりなかった。
「迷子になったらメインステージのPAの後ろ、それ以外の場所だったらZIMAの屋台の前で!」と言ったおかげで、自分一人のときでも友人たちに見つけてもらえた。(その分、ZIMAを飲みすぎて酔っ払ったりもしたが)
それに、携帯を使う理由もあまり見当たらなかった。暇だったらひょこひょこ色んなステージに行って、ライブを観たり、飯を食べたりすればいいだけだった。
携帯を失ったことで、いかに自分がオンライン上でつながりすぎていたか、と考えるいい機会にもなったのだ。
携帯を見ないと、自然と他のお客さんの様子にも目が行ったりもする。フジロック最終日は、やたらとアジア系の観光客が多いことに驚いた。
ラインナップも、モンゴル民謡とハードロックを融合させた中国のバンドHANGAIや、かつて「韓国のSuchmos」とも呼ばれたHYUKOH、そして国内外でやたらとHYUKOHとブッキングされがちな日本のnever young beach、などアジア圏で人気のバンドが多かった。それが、ここまで如実に現れていたとは思わなかった。そして、それぞれのアクトが、同じように自分たちの国の音楽をロックバンドのフォーマットで表現していることに、少し希望を感じた。
その日のフジロックは、陳腐な言葉で言うと「音楽がもたらすつながり」を、驚くほどによく感じることができた。
東京都北区王子出身のKOHHと、カリフォルニア州コンプトン出身のVince Staples は、体を震わせるほどのローが響く中、生活を歌ったラップをした。あるいは、韓国のNight Tempoは、海を越え、時を越え、昭和歌謡をフロアに響かせた。石野卓球は、ステージに立てない相方のために二人で作った曲を朝方に響かせた。
つながりすぎてはいけない、でもつながっていないわけじゃない。
そんなことを考えた、フジロックだった。
(ボブ)
〈今日の一曲〉
「High」The Cure
この曲のイントロが、スピッツの「ロビンソン」に似てる。つながり。