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【エッセイ】眠れぬ夜に、思うこと。

私には、不眠の気がある。

いつからだかはわからない。小学生のころには既に、ある程度の不眠に悩まされていた。
今日も、気が付けば時計は1時20分を指している。立派に夜中である。今日は眠くて、22時15分頃にはベッドにいたのに。

こんなにも眠れないなら仕方がないのでとりあえず、糖分補給でもしながら今日ベッドで考えていたことについて書いてみる。

ベッドに入ると、私はまず、電気毛布をつける。冷えた体を温めるためだ。今日は12月も下旬。クリスマスも終わり、いざ皆が年末に向かう時期だ。
この時期になると、自室は特に寒くなる。寝る前にじっとデスクで作業をしていると、たまらなく体が冷えてしまう。

毛布を温めながら、布団にくるまり、本を開く。寝る前のスマホは睡眠に影響するらしいので、最近はまっている、ミステリーを読んでいる。アガサ・クリスティの名作『そしてだれもいなくなった』だ。

不思議なことに、読んでいるうちになんだか頭が冴えてきた。さっきまで眠い眠いと思っていたはずなのに、本に集中するうち、どんどん頭が冴える。
このままではいけないと思い、20分で切り上げることにした。

読書灯を消すと、部屋は真っ暗になる。睡眠記録をとるためのポケモンスリープを起動させ、同時にYoutubeも立ち上げる。

私の昔からの癖で、どうしてもベッドの上に長時間寝っ転がっていると、いやな妄想ばかりしてしまうのだ。そんな嫌な妄想をしないため、寝るときは小さい音で聞いたことのある長尺動画を流すことにしている。最近は基本『ゆる言語学ラジオ』だ。

昨日聴いた動画の続きから再生する。既に聞き慣れた内容だが、だからこそ、話に集中する必要がなくて、心地よい。

基本的にはその話を聞いているうちに、だんだんと眠りに落ちていく。今日もその予定だった。

だが、一向に眠くならない。

さっきまで「もう眠い、寝かせてくれ」と騒いでいた身体が、「私はまだ眠るつもりはないぞ」となぜか意思を強く持っている。どういうことだ。

まあ、心配はいらない。そんなこともある。

私は何度こんな夜を経験したと思っているんだ。さあ、次の動画を流すぞ。Youtubeを開きなおして、次に見るべき動画を――。

……あれ。そういえば。

そこで私はふと、今朝の出来事を思い出す。
今日の朝、スマホの電源が落ちていたことを。

数週間前、おそらく私はスマホの充電部を壊した。私の持っているスマホはiPhone12miniで、まあ少々古くなってはいるが、さらに定期的な落下事故も経験している。愛想をつかした私のスマホは、充電部からの充電を許さなくなり、代わりに置くタイプの充電器で当座をしのいでいる。

つまり、充電をしながら睡眠測定をすることができない。
そして、バッテリーも交換していないから、充電の持ちも悪い。

そんな不遇な状況におかれた私のスマートフォンで、長尺動画を2本も流すべきだろうか、いや流すわけにはいかない。

いつ落ちるか分からないのだ。せっかくの睡眠測定も無駄になってしまう。仕方ない。今日は動画を聞くのはもうあきらめて、さっさと寝よう。


ここで思い出してほしい。
私には、情報なしに寝ようとすると、多くを考えすぎてしまうということを。


まず感じたのは、真っ暗な世界だった。目をつむっているのだから当然だ。
眠たいときの感覚として、私は視界が暗くなるのを感じる。瞼を閉じていて、既に暗い世界の中にいるのだが、眠りに落ちそうになるとさらにもう1枚の瞼が落ちるように、世界に幕が落ちる。そして、また上がる。

そんなことを繰り返しているうちに、眠れるときが多い。ある種、私にとっての眠るサインと言ってもいい。

だが、そんなサインがあっても一向に眠れないときがある。例えば今日だ。

そしてずっとそうしているわけにもいかない。同じ体勢を続けているとだんだん身体が痛くなってきて、寝返りを打たざるを得ないからだ。そこで、私はあおむけになることにする。

あおむけは、私が一番嫌いな体勢だ。それまでどれだけ眠気を感じていたとしても、あおむけになった瞬間に目が覚める。だが、反対に寝ころぶのも違和感がある。だから一度、耐えるしかない。

しばらくあおむけでいると、部屋に差し込む光が気になるようになる。
寝るときの私は繊細だ。このタイミングでは既に、部屋の暗さにもとうに目が慣れてしまっていて、ほんのわずかな光ですらまぶしく感じる。おそらく遮光カーテンは生涯手放せないものの一つだろう。

仕方ない。トイレに行くついでに直すとするか。

ここで、トイレに立つ。気分転換も兼ねてだ。
ちなみに、この時のトイレは電気をつけないことも多い。家族が起きてくる可能性も低いし、ドアを開けたまま、用を足す。電気をつけると、眩しくて仕方ない。トイレットペーパーの位置や流すレバーの位置、出口の場所。ほんの少しの情報で、十分である。

カーテンを直して、ベッドに戻る。寝る。寝付けない。

なんだかお腹が空いてきた。おそらく血糖値の低下によるものだ。

今日の夕食は20時頃。現在時刻は0時半。4時間半も経てば小腹が空くのも納得なのだが、今食べるわけにはいかない。

いや、実を言ってしまうと、食べてしまうこともある。
体重的な意味ではあまりよくないが、この時間に炭水化物をとると血糖値が上昇するおかげで、すとんと眠りに落ちることが可能だ。今まで悩んでいたのはなんだったのかというくらい、速やかに眠りにつけるのだ。

だが、これは最終手段だ。
これをやる日は大抵、いやな妄想で涙が出るくらいストレスのある日である。今日ではない。

今日はおそらく、もう少しで、寝れる。なぜなら、今日眠れないのはおそらく、熱の発散が十分でないからだ。

人は体温が下がるときに眠くなるという。タイマーのおかげでいつの間にか切れていた電気毛布だが、布団全体にその温もりは残っている。

だから、足を布団の外に出してしまえばいい。そうしたら眠れるはずだ。

足をばたばたと動かして、なんとか布団をどかす。めくれた布団は思わぬ方向へ飛んでいき、足だけでは修復不可能になってしまったが、起き上がって直すのもめんどうくさい。もうこれでいいや。とにかく今日は寝れればいい。

足が外気にさらされ、ひんやりする。もう12月も末。気温は10℃を下回り、布団をかけなければ凍えてしまうような季節だ。これなら眠れるに違いない。

それから早数十分の時が経過する。寝れない。

お腹はさらに訴えを強める。もう限界だ。何か入れてくれ。

もうこうなったら仕方ない。ため息が出る。これだから眠れない夜は嫌いなんだ。自分の身体のはずなのに、言うことを聞かない。お腹が空いているわけでもないのに、ものが食べたくなる。聞き分けの悪い胃袋が、腹の奥に鎮座している。

さて、そんな聞き分けのない胃袋を黙らせるいいアイテムはなんだろうか。答えは簡単だ。血糖値を上げればいい。飴だ。こういう時のための黒飴だ。

私は黒飴が大好きだ。ちょっと香ばしい香りと、柔らかい甘み。やさしいおばあちゃんを思い起こさせるその味は、こんな眠れない夜にこそふさわしい。

椅子に座って、飴を舐める。ほっとする。先ほどまで、気が立っていたのかもしれない。思わず、ふふと笑う。小さなことに気付かされる。そんな味だ。

ころころ、ころころ。私の口は小さいので、一ヵ所に留めておくことは難しく、飴を舐めるときは右に、左に、飴玉が移動する。ころころ、ころころ。移動するたび、私の心は満たされる。ほっとする。ほっこりする。そんな味。

飴玉一つでは心細かったので、もう一つ、口に入れる。なくなったら、歯磨き。また寝る。

ベッドに戻る。なんだか今度は眠れそうだ。黒飴は、私の血液だけではなく、心も満たす。次、また眠れなくなったら、飴玉を舐めよう。


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