性と恋
恋に汚れず、高級な性の探求に遣える男、
彼は、『人間』をひどく嫌っていて、本能的な性欲を愛する。
性を忘れ、恋の探求に惑わされた女、
彼女は、本能的な「雄(オス)」に飽き、人間に許された愛を求める。
二人の交わす言葉は、根底こそ違えど、互いを引き寄せ合う。
惹かれ合った偏屈者共が、合間見える瞬間、
初恋を想わせる、初心な緊張が迸る。
黒尽くめの彼は、多少横柄ながら、小心者の雰囲気だ。
着物の彼女が、娼婦に似つかわしくない振る舞いで、
氷の眼を彼の方へと落とし、煙草の煙を漂わせる姿は、気高く美しい
清純な空気で育ち、新芽のまま、灰汁が廻った男根と、
官能を抜かれ、神経のない標本となった、美しい魅せ華。
両輪のどちらが美醜かは、甲乙つけ難く拮抗している。
両者は、ある部分では決裂し、ある部分では、最高の理解者となる関係だった。
男女は、この事に気付かないまま関係が進む事も、往々にしてあるのだが、
神の図らいによって、偶然と辿り着く事も稀にある。
この二人に対して神は、味方をしたようだった。
男女が最高の理解者になるのは、「真実の愛」へ手を差し伸べる瞬間だけ。
神は、気まぐれからか、この過ちを許したのだった。
しかし、時の女神は、地獄のような試練を二人に与えた。
二人が良き理解者になろうとする、その時、日はすでに落ちていた。
その時間は、魔の時間、娼婦の華が毒味を帯びる頃、幼稚な男根が夢現つになり、惑わされる時間だ。
その事を知る由もなかった男は、真実の愛など、存在しないと宣言する。
そのため、愛は求めてはいけないものであり、
性の営みだけが真実だと語る。
それを聞いた女は、真実の愛など、存在しないと宣言する。
そのため、愛は求めるに値するものであり、
性の営みは陳腐な行為だと語る。
両者は互いを、真実の愛に、欺瞞された人物であることを認めた。
祝杯の盃は、この場においては、毒薬になるという事を知らずに。
常闇を揺らす二人が帰路に立つと、あの、忌々しい小悪魔が襲撃する。
もはや、夜の霊感を帯びたその娼婦にとって、
黒魔法使いを手玉に取るなど、いとも容易い事であった。
女の臥所において、彼は彼でなかったし、彼女も彼女ではなかった。
女は、真実の愛に不要な「性愛」を、魔法使いの心に見透かし、
娼婦の技巧によって、掴んで離さない。
それが、魔法使いにとって、「高級」と信じた偶像であるとも知らずに、
娼婦は、軽蔑と侮辱の嘲りで、その偶像を弄んだのだ。
悲しみに暮れる魔法使いを尻目に、
女は、心の底まで絡め取る接吻と、理性の装甲を愛撫で無力化し、
魔法使いの信じた神を、誘き寄せ、強姦し続ける。
彼の心中は複雑であった。
もはや、高級と信じた性の神は、信仰心が失われ死んでいる。
目の前の女に、愛情を注ぐべきかもわからなかった。
ただ、それら全ての葛藤は、彼女の身体を愛撫する事で許されると感じた。
その動機は、純粋な性欲というよりは、愛に近いものだった。
愛撫の対象の彼女を美しいとさえ思っていたのだ。
神の死体を喰らった彼女は、愛すべき偶像になっていた。
一方の娼婦も、奇妙な事に、当惑していた。
何故なら、とうに失望した筈の性の男から、突然、
忌み嫌っていた性欲が、真実の愛を阻むはずの性欲が、消え去ったのだ。
月が天蓋の頂点を過ぎたあたり、
神を弔い、新たな信仰を手にした男の手によって、
求めていたかもしれない愛撫が、突然女に与えられた。
女の表情からは、嘲笑の笑みが失せ、当惑の面持ちで、顔を背ける。
相変わらず男よりも優位ではあったが、それ以上先へ進む事を拒んでいた。
長い愛撫の夜を打ち切り、興奮を寝静まらせようと努力するも、
高温の余韻に逆らえず、安静する事は叶わない。
性の時間が開けた朝、
外の空気はまだ夜のもので、山に囲まれた街に、陽光を注ぐ太陽と、
二人の男女の再誕生を、ファンファーレで祝う小鳥の群衆。
窓から差す光が、新たな信仰の対象を映し出すと、
彼は、そこに人間の愛を覚えた。
そして女も、あの真実の愛撫を、彼から求めようとしていた。
あぁ、なんというすれ違いの結果!なんという皮肉な結末!
最初から仕組まれていなければ、どうしてこれ程までに整頓された反転が起きようものか。
人間の愛は、彼らにとって、何よりも意味のない筈だった。
こうして、無神論者と人間主義者の残酷な誕生の朝が始まった。
これは、禁忌の愛を知ろうとした罰であるのか。
もはや、二人を固く結ぶ絆は、
二人が唯一信頼しなかった、欺瞞の愛だけとなっていたのだ。
どちらが求めたわけでもない、むしろ、両者が否定していたものだけが、ただ残ったのだ。
朝日に包まれながら、寂しさを打ち消すのとは違う、
追い求めるための、確認するための愛撫をしあう。
至福の時は、一瞬で儚い。
その一瞬を咲かせるために、多大な犠牲を払い、枯れた後には、腐臭となって襲いかかる。
最初で最後の、神への礼拝を終え、あらかじめ定められた背徳へと、男は向かう。
すると、背徳を許すためか、信者への施しのつもりか、神自らが、接吻を求めたのだ。
その接吻は、決して彼の心を軽くはせず、共犯者にするための、痛み分けとしての接吻だった。
二人はもう、会う事はできない。何よりも固い絆で繋がれたまま。
悲しい事に、お互いの師であり、盟友であり、愛する者との恋だけは、決して手の届かぬ物となってしまった。
「真実の愛」を発見するための過程が、何よりも、これ以上振り返り、立ち戻る事を難しくしたのだ!
その過程のおかげで、「真実の愛」の片鱗を見出したというのに。
この残酷な罰は、二人の愛撫によって許されるというのに、
それはもう、叶わぬものとなっていた
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