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10月29日 円谷幸吉メモリアルホールを訪れて

10月29日ですね。

この三日間、土日月と郡山にいました。日曜日は、観光してきました。

観光といっても、最近の私は観光しながらも何か自分の人生や経営にヒントになることを探しています。

今回、郡山市のお隣にある須賀川市に行ってきました。


須賀川市には名誉市民の方が4名いらっしゃいます。そのうちの2人は同じ円谷姓。
今回は、その2人の円谷氏の顕彰施設を訪問しました。


最初に訪れた円谷幸吉氏のメモリアルホールでは大きな感動を受けました。そして学びも得ました。

円谷幸吉氏は、1964年の東京オリンピックのマラソンで銅メダルに輝きました。

決して後ろを振り向くなと言う父の教えを愚直に守り、ゴール直前で抜かれたために3位になりましたが、その姿勢から示される通り、忍耐を旨とした努力の人でした。

そして、その栄華から4年後、27歳の若さで自ら人生に幕を下ろしました。


自殺の原因には、プライベートの問題などいろいろ原因もあったようです。
あまりにも愚直であったのでしょうか。故障で傷ついたため、五輪で再度活躍できないことが重圧となって円谷選手の心を折ってしまったのでしょうか。
私には分かりません。


円谷選手の内面は分からなかったのですが、円谷選手の悲劇からは、経営者として学ぶことがとても多かったように思います。

メンタルケアの重要性。安易な精神論の弊害。モチベーション維持の難しさ。


精神論は敵との論調はよく見かけます。私も他人から精神論を強いられたくないです。

ただ、父から教わった忍耐と克己の心がなければ、円谷幸吉氏がこれほどまで顕彰されたかどうか。そして後世にまで伝えられる功績が、精神論抜きでなし得たかどうか。それも誰にもわからないことです。
ひょっとすると、精神論に縛られなければ円谷選手はまだ存命だったかもしれません。後世にまで伝えられるような栄誉は得られず、無名の存在のままだったとしても平穏で幸せな一生を全うしたかもしれません。
それも誰にもわからないことです。


しかし、安易に精神論を否定することによって、どれだけ人の可能性が摘み取られていくかについては考えた方が良さそうです。

どちらの人生がいいかなど、個人個人が判断することです。他の人からどうこう言えないし、言われる筋合いもありません。企業や組織から強いられるのはもってのほかです。


経営者は、従業員に対して成果を求めます。

支払った人件費以上の成果をあげなければ、その企業は存続できません。そして、人も組織も老いていきます。つまり、会社として現状維持を是とした途端、会社は衰退していくのです。

成長させるためには、普段生きている時よりも出力を上げなければなりません。


ただ、出力のあげ方がわからず、自発的にはどうすることもできない人もいます。そのような方には上からの指導や強制力がなければ、会社を衰退させるだけの存在になっていくリスクはあります。

ただ、だからといって、精神論を強いたり、引き合いに出した途端、その企業は簡単にブラック企業に堕ちてしまいます。私もそこで疲弊した経験を持っているからよくわかります。

そのため、出力アップを上から強いるのではなく、自発的にやる気として引き出すのがモチベーション管理ですが、それがまた難しい。


円谷選手の場合、高校を出てから5年間はただ走ることや、走る旅に記録を出せることが楽しく、それがモチベーションとなり、メキメキと力を発揮させたのでしょう。

ところが、東京オリンピックによって国民的英雄となった後は、自分自身で国民の期待に応える目標を掲げてしまい、それが故障によって成しえなくなった途端、心の中で何かが折れてしまったということなのでしょう。

自分が楽しいから、やりがいが多いから走っていたはずが、いつしか周囲の期待の重圧に押しつぶされてしまった。自分のためではなく、周りのための人生になってしまったということでしょう。

日本人の特性として集団に巻かれてしまうことがあります。個人の生き方の追求よりも、組織の動きに合わせてしまう。
また、人間の本能としては安定したい、同じことだけをしていたい、大変なことやしんどいこと、難しいことはしたくないと言う心理も働きます。


何か後世に伝えられるような成果を出すためには、人より段違いの努力が必要です。その努力を自発的に個人のモチベーションだけでやり抜き、栄光に包まれたのが東京五輪までの円谷選手でした。

ところが、個人の思いと組織の意向のバランスが崩れ、会社や組織のために個人を犠牲にすることが強いられると、人生は簡単に終わります。

私も個人の能力を最大限に生かせる会社づくりをしたい思いがあります。
そのために何ができるのか。
安易な精神論に頼りたくはありませんが、今のままではダメだと言う思いもあります。


円谷選手の栄光とその後の落差があまりにも激しく、その無念が伝わってきました。そして、自分の経営者として未熟な面も考えさせられ、私は思わず涙してしまいました。

今回、円谷幸吉メモリアルホールを訪問して良かったと思うと同時に、経営者として真摯に考えたいと思いました。

ありがとうございます。 弊社としても皆様のお役に立てるよう、今後も活動を行っていこうと思います。