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第33回 田の神講はなぜ丑の日?

こんにちは、阿久根市地域おこし協力隊のチャーリーこと濱田です。

11月8日の午前8時、阿久根市山下の久保下と山下馬場の集落にあるたのかんさぁの化粧直しが行われました。
久保下のたのかんさぁは【第18回 おっとい田の神】の回でご紹介しました。是非あわせて読んでみてください。

久保下のたのかんさぁの周りの伸びた枝を切っています
ペンキでお化粧直し
私も塗らせていただきました(嬉)
こちらは山下馬場のたのかんさぁ
嬉しそうなたのかんさぁ

この日は地域の方や高速道路建設の方々も加わって伸びた木の枝を切り落とし、周辺もお掃除してからお顔の化粧直し。
そして丑の日にあたる翌日9日。早朝6時に集まり、たのかんさぁに餅入りの藁、焼酎を供えました。

お化粧直しの翌日 朝6時に餅と焼酎をお供え
久保下のたのかんさぁ
お餅いただきました(めちゃボケてる)
やっぱり嬉しそうなたのかんさぁ

そして改めて考える「たのかんさぁ」とは。
昔から続く風習として行っていても細かな由来はよく知らないということもあります。
地域の方から「どうして丑の日にやるの?」という疑問が出て、確かにどうしてだろうと気になり、改めて「たのかんさぁ」について調べてみました。

たのかんさぁの始まりは1700年代はじめ頃。
薩摩藩領(鹿児島県と宮崎県の一部の地域)で広がった民間信仰。
この時代は霧島の噴火や干ばつ、水害、虫害の影響で農作物の被害が大きかったことや、藩の政策で稲作を推奨していたことが、田の神様が広がった由来と考えられているそうです。

田の神様は、山の神が春に山からおりてきて田の神として田んぼを見守り、秋の収穫が終わった頃にまた山へ帰ると言われています。
そして今年の収穫の感謝を込めお供えをし皆で集まることを「田の神講」といいます。
では、なぜこの田の神講を「丑の日」に行うのでしょう。

この「丑」とは、十二支の丑ですね。これに十干を合わせて六十干支といい、昔の暦に使われていました。ここに、さらに五行(火、水、木、金、土)という思想が合わさります。

☝️六十干支については【第17回 庚申信仰の謎に迫る】の回でも触れています。

丑は五行の「土」に属し、この「土」には安定や育成、変化を待つ意味を持つとされていることから、農耕、自然への縁起に結びついて丑の日に田の神講を行うようになったと言う説があったり、畑にまつわることを「子(ね)」の日に行うことから翌日の「丑」の日に田んぼにまつわる行事を行うのでは、という説があったり。(畑作が先にあり、稲作はあとから入ってきたからという理由)。地域によっては亥の日に行うとも書いてあったり…。

本やネットで調べるとさまざまな説が出てきますが、民間信仰の由来や歴史を紐解いていくとその頃の時代背景や人々の暮らしや思いが見えてきて想像がふくらみます。
むかしばなしのようだけど、確実に今に繋がり残されているたのかんさぁや多くの史跡。
意識して巡ってみると新たな阿久根の景色が見えてくるかもしれません。
(参考文献:田の神さぁ探訪/鹿児島の民族暦)

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