巫女についてのコラム(巫女の神話、巫女の種類、巫女の現在)
1 神代の巫女
原初の日本人が信仰していたのは、巫女教だった。
風が安寧ではなく、身を刺し崩す死の鋭さを孕んでいた時代、人々は巫女の言葉に生き方を委ねた。
だが日本神話と呼ばれる古い古い物語の、その中でも最も尊い神代に、この「巫女」という言葉は見当たらない。しかしそれは、神話に語られる時代に巫女がいなかったということではない。
巫女という言葉こそ見当らないが、実質的に巫女であった神々は存在したのだ。
天岩戸に隠れたアマテラスを外に誘い出すために、熱狂的な踊りを披露したアメノウズメなどがそれだ。
アマテラスは我が国の最高神にして、太陽の神である。この女神が隠れたままでは、世界は暗闇に包まれてしまう。
そうした一大事に、ウズメは活躍したのだ。
ウズメは『日本書紀』に「巧みに俳優をなし」と記されているように、日本の芸能のルーツとされているが、同時に巫女の原型であるとも考えられている。
天岩戸の前に集った大勢の神々の前で、ウズメは伏せた桶の上に立つと、激しく桶を踏みならしながら舞い踊った。そしてその舞は、徐々に熱気を帯び始める。
胸元を開き乳房を露出させると、腰の紐を解き衣を下げ、女陰を露わにして踊り続けた。
異様で卑猥な光景である。
しかしこの神前に奉じた舞こそが、今日にも伝わる神楽の始まりだったとされている。
神を招き、祝福し、心を楽しませ和らげる「神遊び」が、ウズメの舞であり巫女神楽となる。
恍惚状態の巫女が、神懸かりして神と同一化を図ったり、神託を賜る。そうした巫女の霊力とは、この神代から続いてきたものなのだ。
なおこのウズメの子孫こそが、宮廷祭祀の神祇官となる猿女君とされている。後世に至っても、ウズメの一族は神を祀る役目を担ったのだ。
そしてその猿女君の子孫こそが、現代に伝わる日本神話の聖典『古事記』を編纂した稗田阿礼だとも言われている。
古代の巫女は、その霊力によりこの国を動かしていたのだ。
2 巫女神
神代に語られる巫女神は、アメノウズメだけではない。
全国に広がる白山神社の主祭神であるククリヒメも、日本における最初の巫女ではないかと唱えられている。
ククリヒメとは、『日本書紀』の一書の一場面にしか登場しない女神であるが、我が国の創造神であるイザナギ・イザナミの夫婦喧嘩を諫め、調和を図るという大事を成した神でもある。
この時のククリヒメの姿こそ、神と人間の間に立って託宣を受ける巫女の霊能を想起させるのだ。
またククリヒメは山の神の神格を持っていることから、「山は先祖の霊が宿る他界である」という観念と結びつき、祖先の霊の託宣を受ける巫女という属性も与えられている。
それはまさしく、青森県恐山のイタコに代表され、民間において「口寄せ巫女」と呼ばれている巫女の姿である。
もしかしたらククリヒメとは、こうしたイタコのような存在の祖先に当たるのかもしれない。
次にアメノサグメという女神にも、巫女の姿が想起される。
サグメは地上にてアメノワカヒコという神に仕えていた女神だったが、天神が遣わせた雉を「不吉だ」とアメノワカヒコに進言し、弓矢で射殺させた。
そうした描写が吉兆を判断する巫女の姿のようだと解釈され、サグメも古代の巫女の神格化であるとされたのだ。
しかし天からの遣いである雉を撃ち殺すように仕向けた行為は、天神の意志である神託をねじ曲げているという解釈から、サグメは堕落した巫女であるとも考えられた。占いが重視された祭政一致の社会では、神と人の間に立つ巫女の悪意は災いとなる。
こうして魔女視されたサグメが、万事を逆向ける妖怪・天邪鬼へと転訛したという説もあるが、その変遷の過程は明らかになっていない。
天邪鬼については、別の項目にて詳しく述べることとする。
最後にタマヨリヒメという女神も、また巫女である。
民俗学者の柳田國男は論文『玉依姫考』において、「玉依姫は魂憑媛なり」と断定している。これはつまり「玉依」とは「霊憑」であり、「神霊が依り憑く」という意味であるということだ。
日本神話においては、このタマヨリヒメという名前を持つ女神が多く登場する。
神代においては天孫と結ばれ、初代天皇陛下となる神武天皇を出産したのも、このタマヨリヒメである。
タマヨリの女性は、神婚による処女懐胎によって神の子を宿したり、神に見初められることで神の妻となる。そうした巫女としての霊能力を持つ女性を総称して、タマヨリヒメと呼ぶのだ。
3 巫女の種類
巫女の原点にはシャーマニズム(Shamanism)という習俗がある。
シャーマニズムとは巫覡の能力により成立する宗教全般を指し、トランス状態に入って神霊と交信する祭祀者をシャーマンと呼ぶ。
シャーマニズム及びシャーマンという語は、漫画『シャーマンキング』が世に出るまでは、いかめしい論文の中にだけ存在した言葉かもしれない。
だが実際は信仰・文化・環境によって差異は見られるものの、古くから世界各地に広がっていた習俗なのである。
我々のよく知る巫女も、もちろんシャーマンだ。
神懸かりを成し、神の力を以て卜占や心霊治療までこなす巫女の姿は、典型的とも言えるだろう。
柳田國男はこうした巫女についての論文『巫女考』において、彼女たちを大きく「神社巫女」と「口寄せ巫女」の二種類に分類した。
前者の神社巫女というのが、神道の神社で働き、神霊を祀る儀式に関わる女性のことである。白い着物に紅の袴を履き、神前に鈴を振って歌舞を奏し、神事に関わるのが彼女たちだ。
対して後者の口寄せ巫女というのが、死霊や生き霊を自らに憑依させ彼らの言葉を語る巫女になる。青森県恐山のイタコが有名だろう。
彼女たちは時に、降ろした神の力を振るったりもする。
口寄せ巫女の多くは、一族の中で代々巫女としての技術を継承していくことが多いが、大人になった後に神からのお告げを受けて素質を開花させる者もいる。
4 巫女の現状
こうした巫女であるが、その実態は時代や地方によって様々であり、また時代と地方を同じくしても異なる役割を担っていたりする。
例えば古代における巫女は、鬼道を用いて人々を魅了した邪馬台国の卑弥呼や、神懸かりをして新羅を平定した神功皇后など、圧倒的な支配者としての姿を見せている。
だが一方で現代の巫女の多くは、男性神官を補助するアシスタント的な立場までその地位を落としている。
歴史の流れの中で確立していった男権社会の煽りを受けたのと、明治時代に神職が男性に限定されたことが、決定打となったようである。
もっとも明治時代に廃止された女性神職は第二次世界大戦中に復活し、神社によってはいまだに巫女神楽が主役となる儀式が残っていたりもするため、神道の主役が完全に男性神官へと移り変わったわけではない。
それでも私たちが想像する一般的な巫女の姿が、神社において男性神官に仕える女性としての姿なのは、現代と古代の巫女観における大きなギャップと言えるだろう。
5 巫女の処女性
巫女の貞操についてもそうである。
巫女と言えば神の妻であり、古代においても皇族の未婚女性が巫女の役目を担うなど、その処女性を大切にされてきた。現代でも巫女は若い女性に限られたり、結婚と同時に引退する決まりになっていることが多い。
しかし先述のアメノウズメが、巫女として非常にエロティックな祭祀を見せていたように、そちら側の伝統を受け継いだ巫女も存在する。
遊び女と呼ばれる存在がそれだ。
禁欲的な仏教が伝来する以前の日本は、性に対しておおらかであり、祭礼の日の夜には乱交状態に近いほど大勢の男女が交わり、性的な禁忌の解放を伴うことがあった。その中には時の天皇の姿もあったとされる。
遊び女とはそうした神域における性的な儀式の伝承者であり、古代巫女の一形態であったのだ。
遊び女の活動は売春とは異なり、遊芸の付属として性行為を行う。究極的には、性行為の技自体を遊芸の域にまで高めていたという。
遊び女とは性的なエネルギーを以て、神に仕える祭祀を行っていたのだ。
だがこうした遊び女も、男性主体の社会が形成されるにしたがって神域から除外されていく。そして遊び女の「性」は商品化されていくこととなる。売春婦としての遊女への失墜である。
遊び女は後に、歩き巫女、梓巫女、市子などと称される漂泊の巫女となった。彼女たちは特定の神社に属することなく、各地を放浪しながら芸や舞を見せ、神託を告げ、占いをして過ごした。
だがそれだけで暮らせぬ時などは、売春を行うこともあった。
一方で、仏教的な禁欲の戒律を得た神社巫女は、処女性を大事にされるようになっていった。
巫女と一口に言っても、多種多様な巫女の歴史がそこにあるのである。
6 現代の神社巫女
現代における神社巫女は、二種類の巫女を指す。
一つは神職のアシスタントとしての巫女で、神事のお手伝いをしたり、雑務を任される存在だ。具体的には境内を箒で掃いたり、おみくじを売ってくれる巫女さん方である。
もしも貴方が巫女になりたいのなら、アルバイトとして募集している神社が多いと思うので、そこに申し込めば良いだろう。採用されれば、晴れて貴方も巫女さんだ。
ただしそうしたタイプの巫女は、祝詞という神様への祈りの言葉を上げたり、お祓いといった仕事をすることはできない。
なぜなら神社を包括管理している神社本庁の規則では、神道の儀式を行うのに免許を必要としているのだ。神職の免許を持っていない限り、いかに巫女と言えども、儀式を行うことは許されない。
つまりこうしたアルバイト巫女に対するもう一つの巫女が、養成所を経て神職の免許を獲得した巫女のことである。厳密には女性神職となる。
ゲームや漫画に登場するような神事の主役を飾る巫女も、実は免許持ちなのかもしれない(?)
後者を目指すのはなかなか難しいかもしれないが、アルバイト巫女の方も年齢制限が厳しいと聞くので、一長一短である……のかな?
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