ことばの男女差を研究すること
ことばの男女差を明らかにする研究というのは昔からたくさんある。
その中で、いろんなことが分かっている。
例えば、京都市方言では「~しよる」という形式が、相手を蔑んで言う表現として用いられることがあるが、「あ、前の車、たばこの吸い殻ほかしよったで。あかんなぁ~」みたいに、言う。が、これは主に男性が使用する形式であることが、先行の研究により分かっている。
では、女性はどう言うか? というと、「あ、前の車、たばこの吸い殻ほかさはったわ。あかんなぁ~」のように言う。
このような研究は、ある地域の方言の男女差を浮き彫りするという点で有益であると思う。上記研究(=辻氏のもの)は、「~ハル」という形式の史的変遷を描いたものであるので、このことを明らかにすることは、必要なプロセスである。
一方、「男はこう、女はこう」ということ「だけ」を明らかにする研究は注意が必要である。
そもそも、生物学的な性差が、言語の使用に影響を与えることはない。一時期流行した「男性脳、女性脳」の議論は、今では否定されている。たとえば以下の記事を参照されたい。
この記事にもあるように、男女差というよりは個人差を検討するべきであろう。
だとすると、「ことばの男女差」と言うときにはもっぱら、「ことばの社会的男女差」ということになる。ところが、社会的な性差を論じるときに、「男女」という二値的な区別が不十分であることは、LGBTQのような性的マイノリティの方々のことを考えるまでもなく明らかである。
それでも、「ことばの男女差」を研究するというなら、それは上記のような歴史的な変遷を明らかにしたいという場合か、あるいはこのようなところに性差別を見ることができるとして、ジェンダー平等を訴えると言ったようなコンテクストにおいてでしかないと思う。
例えば(何の調査もしていません。思いつきです。そういった研究がすでにあるかもしれません)、国会の質問のデータを収集して、ヤジの回数や質の差を両方の性で調べるとか、テレビの討論会で話し始めて、どちらの性がどどれくらいの時間で遮られるかとか、そういうことを調べることには、上記のような文脈において意味があると思う(注 追記あり)。
けれど、Xという形式を男性が●●%使っているのに対して、女性は△△%である。という「発見」は、男性の中にもXという形式を使わない人がいて、その人は「なぜ」Xを使わないのか? という問題を隠してしまう。むしろ、「Xという形式を使わない/使うという個人差を生み出す要因は何か?」という問いを立てるべきである。性差以外の問題を見つけることができるのではないかと思う。
そうは言っても、世の中「男はこう、女はこう」で埋め尽くされている。その「埋め尽くし」がことばに反映されているというのもまた事実である。「昨日食った飯、くそうまかった」という話者が、男性なのか女性なのか、なぜ分かるのか、分かるというのはどういうことか、そこにどういう問題があって、その問題は対処すべきものなのか、検討することは常に必要ではあると思う。
そういう「意義」がない場合、「ことばの性差」を研究することは、方法論も含めてその意味が揺らいでいるのではないかと思う。
注 久々にこの記事にイイネがついて、読み返していて、注の部分には先行研究があることが分かったのでご紹介。
こちらの本で、多くのジェンダー問題が紹介されているが、その中で次のようなことが紹介されている。
2015年の研究によると「女性のほうが話を遮られることが多い」こと、女性が男性の話を遮るよりも、男性が女性の話を遮るほうが2倍も多いことがわかっている(p.308)。
Hancock, Adrienne B., Rubin, Benjamin A.(2015), ' Influence of Communicationn(ママ、"and"か?) Partner's Gender on Language', Jounal of Language and Social Psychology, 34: 1, 46-64(太字はイタリック)
さらに、2016年のアメリカ大統領選挙の前哨戦における90分間のテレビ討論会で、トランプはクリントンの話を51回遮ったのに対し、逆は17回であったという(p.308)。そのほかの研究も紹介されているので参照してください。
元の参照URLでは情報にたどり着かなかったので、下のリンクからご覧下さい。『存在しない女たち』p.370に記載されているURLはこちらです。
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