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三十路からの転職活動(上)

 2月の終わり、中途の採用試験に落ちた。
 無難すぎるほど無難に終わった役員面接では、求められているものと今の自分の持ち物が違っていることを痛感していたから、やっぱりそうだよね、というのが正直な所だ。
 ただ、悔しくない、悲しくないと言ったら嘘になる。不合格通知が郵送されてきた土曜日。とことん落ち込んで布団から出なかった日曜日。そして月曜日の今日、私は社会人になってから初めて「急用で」と言い訳になっているんだか、なっていないんだか分からない理由で仕事を休んだ。

 あなたはどんな性格ですかと聞かれたら、良くも悪くも真面目です、と答える程度には素直に生きてきた私にとって、急用での休暇はまるで学校の授業をサボるような出来事で、電話を切った後はしばらくドキドキしていた。
 一乃が合否を気にして連絡をくれたのは、ドキドキが収まって、今日はどうしようかと考えている内にうたた寝をして、お母さんが「いつまで寝ているの」と様子を見に来た後だった。
「ダメだったのね。それじゃあ気分転換にランチでもどう?」
 自宅から20分ほど電車に揺られた先の主要駅にある私たちの職場は、駅を挟んで反対側に10分ずつ歩いた所にある。いつもだったら間をとって駅ビルでランチにするところだけど、今日は一乃の職場の近くに新しくできたというカフェで待ち合わせることになった。

 その後、普段の朝が嘘のように、ゆっくりと出かける準備を整えた。
 メイクやヘアセットは気持ちを高めてくれる。おしゃれを楽しむ気持ちが余裕を持たせるんじゃなくて、おしゃれをしたら気持ちに余裕が出てくるのかもしれない。胸の長さまで伸ばした黒髪の毛先を触って、昨日よりは今日の方が気持ちのモヤモヤが少ないことに安堵した。

 家を出る時はお母さんに「ハローワークに行くの? それともやっぱり体調が悪くて病院に行くの?」と聞かれた。「いってきます」とだけ答えて家を出た。

 ***

 オフィス街のそばにあるカフェはお昼休みなだけあって混んでいた。
 一乃はサンドイッチ、私はトーストのセットを頼んで、先に出てきたコーヒーを手に、私たちは人がまだらなテラス席に陣取った。

 風はなく日が差しているとはいえ、2月の終わりはまだまだ寒い。縮こまった一乃は、両手でコーヒーカップを抱えながら言った。
「そもそもなんで……団体職員だっけ? そんな中途半端に堅そうなところを目指したのよ。安定なら公務員、やりがいなら民間じゃない」
「そんな、極端な。公務員ほど型にはまってなくて、民間ほど売り上げを気にしなくて良くて、団体職員って狙い目なんだよ」
「そういうことじゃなくて。それに狙い目ってことは、他の人だって狙ってくるわけでしょう」
 普段からはっきりと通る声で話をする一乃が、今日は小声でぼそぼそと話している。その珍しい光景に、思わず何事かと思ったけど、すぐに周りに会話が聞こえないようにしてくれているのだと思い至ってコーヒーカップで隠した口元が緩んだ。

 学生時代から多くの資格を取って、セミナーにも積極的に出かけて、自分磨きを欠かさなかった一乃は、今やキャリアウーマンとして社内最年少の役付きになっている。本人は若い職場だからと謙遜していたけど、年上の先輩も多く居る中でそういう役どころに落ち着いたというのはすごいことだ。

「今さら正規の職を目指すっていうのも、何とも難しい話よね。どこの誰が、短大を出てから10年間ずっと嘱託で働いてきた、業界経験もなければ正規経験もない三十路女を採ってくれるっていうの」
「だって、このまま定年を迎えるの、怖かったんだもん。今の手取り、10万円ちょっとだよ? フルタイムで働いて、それって、ちょっとないよ」
「仕事は少なくて暇だし、決まったことしかしないし、難しいことはないし……仕事に対する対価はそんなもんでしょ。今時、アルバイトの方が月収はいいかもしれないけど、あっちは諸々の手当とか福利厚生が、さすがにね」
「そうなんだけどさあ」
 握りこんだカイロをぐにぐにと触りながら、何か言おうとするけど、喉の奥で何かがつっかえたように言葉は出てこなかった。

 言い方は少しきついけど、一乃はいつだって正しくて優しい。
 今日だって、本当は今頃ランチミーティングをしているはずの時間だ。この間ディナーに行った時、役付きになってからは休み時間すら休めないとぶつくさ言っていた。
 忙しい中出てきてくれて、本気で心配してくれていると分かるから、私は一乃が大好きだった。
 ただ、その正しさはまっすぐすぎて、今の私には言い訳めいた言葉しか返せない。

 いつでも自分を信じている一乃が、自分の理想に向けて必死に努力してきたことを知っていて、それでもなお、羨ましい。
 いや、今は周りに居るどの人も羨ましい。会社でバリバリ働く社会人、子どもの手を引くお母さん、友達と笑い合う学生さん。目に映る人はみんな、自分をしっかり持っているように見える。私みたいにふらふらしていない。きっとこれはないものねだりだ。

 一乃はコーヒーカップに口をつけた。私は、私たちの間で存在感を放つ不合格通知に目を落とした。
 エントリーシートを提出したのは10月の頭だった。それから5ヶ月をかけて、書類試験、筆記試験、集団討議、個人面接、役員面接と最終段階に進む中で、他の内定先はすべて断っていた。
 中途採用だから引き継ぎが終わり次第来てほしいという会社が多い中で、5ヶ月という期間は長すぎた。準備して待ってくれている会社に対して、もう少し待って下さいと伝える度胸はなくて、答えが出せないなら早くから断るのが礼儀だとも思った。

 3月いっぱいで今の仕事を辞める算段はついているのに、その先の予定がない。このままいけば4月から私はニートになる。そう考えるとおなかがじくじくと痛んだ。

「まあでも、日和の場合は最初に選んだ職場が悪かったよね。給料は上がらない、パワハラをしてくるお局様がいる、少人数体制なのに次々人が入れ替わる、そのくせ自分は辞めさせてもらえない。本当によく10年も頑張ったと思うよ。それだけ頑張れたんだから、あともうちょっとだけ、頑張らないとね」
「これからまた頑張るのかあ」
 頑張りたくないなあ。もう、休んでしまいたい。気を抜くと弱気が頭をよぎるほど、私にとっても5ヶ月は長すぎた。

 最初こそ受かればいいなという軽い気持ちだったのが、先に進み受験者が削られるにつれて、どうしても受かりたいと思ってしまった。元々第一志望だったのだ。もしかしたらこのまま受かるかもしれないなんて甘い考えを持った後の落胆は、これまでに掛けた時間の分だけ大きなものだった。

 ハローワークに行って希望の職場を探して、履歴書と職務経歴書を提出して、面接の日程を決めて、そこに向けて美容室で髪を整えてもらったり、提出した書類を見直しては聞かれそうな質問の答えを考えたりする。
 そういうのを、また一からやり直すのか。

「日和はさ」
 降ってきた声に顔を上げる。私をまっすぐ見据えた一乃が言った。
「日和は、どうなりたいの? 何が嫌で、何がしたくて転職までするのか、そういうの、ちゃんと分かってる?」
 言い聞かせるように紡がれた、どうなりたい。
 その言葉に、思わずぐっと息が詰まった。

 何秒かして、残っていたコーヒーを一口で飲み干した一乃は、何も言わなくなった私を見て、大丈夫かと問うた。
 大丈夫……だろうか。大丈夫じゃないかもしれない。

 ***

 今回不採用通知をもらったのは、地域福祉を担う団体の事務職だった。私は教員免許と、学生時代の児童館でのボランティア経験を前面に押し出したエントリーシートを持って試験に挑んだ。
 個人面接ではあまり感じなかったけど、役員面接は明らかに「結婚していて、子どもがすでにいて、子どもの扱いに慣れている女性」を想定して行われた。きっと児童福祉の部署にあてがうつもりでの面接だったのだと思う。当然だ、私は児童福祉に向いた武器しか持っていなかった。

 だけど私がやりたかったのは、違う部署での仕事だった。そのうえ、結婚していなければ子どももいない私は学生ボランティア以後に子どもと接する機会は一度もなく、先方から求められていたであろうものは何も持っていなかった。

 短大を出てから10年勤めてきたのは、市役所の事務補助で、私はデータ入力と新人教育とお茶くみが主な仕事のしがない嘱託職員だ。ちなみに月収は13万円、ボーナスは計1ヶ月分が6月と12月に分けて支給される。

 別に、そのままでいいじゃないかと言われれば、そうだよなと思う。何も変える必要なんてない。
 ただ、どうしようもなく、不安に駆られる夜がある。1人きりになった時にどうやって生きていくのだろうと悩む日だってある。そんな気持ちの落ち込みを防げるほど、今の仕事に魅力を感じられなかった。

 もう辞めようと決めたのは、ただ疲れたからだ。
 毎日横から「あなたは本当にダメね」と言ってくる先輩に、仕事は楽していかに休日に遊ぶかだろうと言い放った上司、教えても教えてももっといい条件のところがあったのでと辞めていく新人たち。
 もういいや、と、ある朝布団の中で思った。

 上司に辞めますと伝えてから、退職願が受け入れられるまで半年かかった。疲れたので辞めますなんて、上司からしてみれば駄々っ子以外の何物でもなかっただろう。
 どうしてもおまえが必要だと言われると嬉しくなって、もう少し頑張れるかもしれないと考え直してしまうお調子者な性格は昔からだ。どうせすぐ、やっぱり無理だと気づくのに。

 そういえば、社会人になってから唯一付き合った元彼と別れる時もそうだった。
 彼は典型的な内弁慶で、お家デートなんてしようものなら、しょっちゅう怒鳴られていた。それでも別れ話になる度に、おまえじゃないといけないからなんて甘い言葉を吐かれて、もう少し、もう少しと先延ばしにしていた。

 初めて別れ話が出てから実際に別れるまでは約3年。付き合っていた期間が5年だから、その内の半分以上は別れようと思いながら付き合っていたことになる。
 だけど実際に別れるとなった時はあっけなかった。春先、浮気相手に子どもができたから別れてくれと言われたのは、私の30歳の誕生日の前日だった。
 もしかしたら私が浮気相手だったのかもしれないし、彼は私の誕生日なんて覚えてくれていなかっただろうけど、あの日インターホンが鳴った時、私は少し期待したのだ。
 裏切られた期待は、30歳という節目の年と、白紙になった未来を連れてきた。

 彼と別れたことが転職を決めたことに全く影響していないとは言わない。あの日、これから1人で生きていく覚悟を決めなきゃないけないと思ったことは確かだ。

 それから数ヶ月働いて、やっぱり辞めようと決めた時、両親には転職活動はお見合いみたいなものだと言われた。どれだけ求めても合わない時は合わないし、ぴったり合う時は何もなくとも合うものよ、って。

 当時は根拠もなく大丈夫だと答えていた。先の事なんて、何とかなると信じていた。
 でも、恋愛も転職もうまくいかなくて、この先、私はどうなるのだろう。今でも内定先を断ったことを後悔はしていないけど、もう少しうまくやる方法があったんじゃないかとは思っている。

 このままでいいの? 本当に? 浮かんでは消える疑問は日々大きくなっていく。
 だけど、これからまた転職活動をするの? 頭をよぎる現実に向き合う気力は、今はまだなかった。


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