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星新一賞落選しました。
書きたいにあふれてる
小生が初めて小説を書き始めたのは、まだ歳が二桁に行く前だった。両親に買ってもらった原稿用紙に、好き放題物語を乗せたものだ。先を尖らせた鉛筆画使い物にならなくなるまで、日がな一日原稿に向かって脳内の世界を書き連ねた。まるで異世界道中だ。小生の頭に散らばっている景色が、右手を通してどんどん形になっていく。その美しさを見返すのがただただ楽しかったわけだ。
どうして小説を書こうと思ったのか、今となってはハッキリ思い出せない。もちろん、小生の意識を大きく塗り替えた素晴らしい小説家さんは存在する。小生の心に今も深く刻まれた素敵な作品だって存在する。そういう一つ一つが、明確に今の小生を形作っていることは間違いないだろう。
しかし、どうして小生の脳内を文字として描き出そうとしたのか、それはどうも、定かではない。というより、そんなことなどどうでもいいのかもしれない。
サッカー選手が幼き頃からボールを蹴っていたように、小生も気づいたときにはペンを執っていた。それだけのことなのだろう。
さて、そんな小生はいつ頃だったろうか、物を書かなくなっていた。いや、誰しも通る道だ。昔は好きで溢れていたありとあらゆる物事も、大人になるための階段に置き去りにする。大人というものは毎日社会という大荷物を背負わされる分、身軽でなければならないのだろう。わざわざ重荷となる夢を背負って登山するわけにはいかないのだ。
しかし、どういうわけか、大人になる過程で階段をずっこけ、急勾配を勢いよく転げ落ちる者が稀に存在する。いわゆる、大人になり切れなかった者達だ。
一切の言い訳をせずに断言しよう。
小生こそが、それである。
一流は、常にだれからも求められている。
二流は、常に自らを上手く売りさばく。
三流は笑われながらもしぶとく生きている。
そして、四流は夢が捨てられずプライドだけが高い。
小生はきっと、四流なのだろう。世間にも認めてもらえず、それでも諦めきれない小説家という夢に足搔いている。すでに酸素の失われた潜水艦で、それでもまだ潜水を続けている。
夢ばかりを追って、もうそれ以外に一切の興味が示せないのだ。
さて、そんな小生ではあるが、今日つい先ほど、次の同人誌即売会で出す予定の作品を一つ書き終えた。実のところ、この前開催された星新一賞に応募し、見事落選した作品だ。
あぁ、毎度報告はするようにしていたが、忘れていました。今回も落ちました。
残念ながら、過去に一度何かの賞に入選して以来一度も、どこにも当選することないまま過ごしている。今回もまた、いつもと同じく落選の道をたどってしまったというわけだ。
しかし、今回に限って言えば割と落ち込んでいない自分が居た。
というのも、つい数か月前同人誌即売会というものを経験し、自費出版という手段を見つけてしまったのだ。
今回落ちてしまった作品に加筆修正を施して、文庫本を作ってしまおうと思いいたったわけだ。
そうと思えば、だんだんやる気がわいてきた。むしろもっと書きたい。書きまくりたい。そんな気持ちが溢れてくる。さぁ、今回落とした作品を修正し、同人出版用に仕立て上げようじゃないか!
そういきり立った小生は、無事今日中に書き終えるのであった。
小さな幸せを一つ見つけよう
創作意欲を引き出すために、何らかの芸術と触れ合うのがいいと以前どこかで聞いたことがある。これは紛れもない真実であると小生は確信している。
人それぞれ、どのような芸術に触れると創作意欲がわくのか異なると思うが、小生の場合は音楽だ。曲の雰囲気、散りばめられた単語、それらが小生の脳裏に眠る知識と紐づき、独自の解釈を経て物語を紡ぎだす。
一度形が見えたら、後はその形を崩さないよう気を付けつつ色づけていくだけだ。そこでプロットが完成する。
ところが、書きたいものが溢れて止まらない場合話が別だ。ファンタジーが書きたい気持ちと、スポーツが書きたい気持ち、歴史小説とSFとが脳内で戦争をはじめ、女性主人公と少年主人公が派閥争いを行う。
こうなってしまえば、何を書いていいのか分からない。
誰しも経験したことがあるはずだ。やりたいことが多すぎて、どこから手を付けたらいいのか見当もつかず、結局何も始められずに時間だけが過ぎてしまう、というやつだ。
こうなってしまったら、一体どうしたらいいのだろうか。未だに小生は答えを見つけられずにいる。とにかく思いついた設定はメモるようにしているが、どのメモも未熟な創作の種でしかない。さらに詳しく調べ、勉強し、さらに加筆する必要があるものばかりだ。であるにも関わらず、脳内ではまた新たな創作の種が生み出されていく。
これをどうしたらいいのか、本当に悩ましい。
また、種を育て忘れてしばらくたつと、腐ってしまうのだ。後々読み返しても、その種をどのように育てたかったのか当時の気持ちが帰ってこない。結果として、つまらなさそうだとゴミ箱へ捨てられてしまうのだ。
そうして何度も生まれては捨てられるを繰り返した作品群の中から、無事に完成へとたどり着けるものは稀である。
やる気がない時にこそ、種を育てる。やる気がある時にこそ、種をメモに残す。みたいな方法を取った方がいいのだろうが、実際頭に情報が溢れ出したときはそんなこと考えている余地も無いのである。
さて、こればかりはどうしたものか、と思っていたが。今日に限っては上手く種を手懐けることができたように思う。
「俺の能力は『パブロフの犬』だ。必ず反応する」
— 野々村鴉蚣(あこう) (@nonomura_akou) March 5, 2024
「私の能力『トロイの木馬』に気づくとは、なかなかやるね。」
「まさか、僕にも気づくとは。僕の『シュレディンガーの猫』は、観測されるまで存在すら曖昧なのに」
「デュフフ、我『オタクの鏡』なり。この戦い、最後まで見届けてやるなり」
「○○の○○」という言葉を集め、それらを能力として戦わせる作品が書きたいと思いついた。しかし、作品として完成させるにはいろいろと足りないものが多い。
今日はとにかく、該当する言葉を集めることにした。そんな中で生み出された些細な会話劇。
割と、作りたかったものの原型に近しい気がする。
これをベースに、何か作れそうだ。そう思った途端、小生の暴走していた創作意欲が落ち着いた。
何かの原型、型版、それこそ、会話劇を一度作ってみる。それを残して、また時間をおいて読み返してみる。そうすることで、もしかしたら次の作品作りに生きてくるのかもしれない。
次から、ぜひ挑戦してみよう。新しい自分なりのやり方に出会えたこと、それが今日一日で見つけた、ほんの小さな幸せである。