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【波乱の前編】我が人生の”北極星”は未来の自分~”2022年・36歳の私”を、10年以上闇夜の道標にし続けたお話~

私にしては非常に珍しく、セルフボースティング(HIPHOP用語で言う、己の誇示、自慢)を厭うことなく、ひたすら己の情動のまま、ひたすら己の紡ぐ言葉を、他者や己自身に忖度して塗り替えないまま、書き出す。

いや、”書き出す”などという甘い言葉ではなく、noteというデジタルスペースに刻み込むがの如く、キーボードを介して筆圧強く書き込む。

見出し?そんなのいらない。
デジタル機能を活用した、情報設計(IA)観点、UI最適化観点でのテクニック抜きに、平文(プレーンテキスト)といういわゆるステゴロで、まずは己自身に刻み込む文章にすればいいだけ。
まずは己という読み手を、画面から胸ぐら掴んで引き寄せるようなバースを蹴ればいいだけ。(注:バースとは、HIPHOP用語でサビ以外の韻文)

ここは楽曲で言う、まだイントロの八小節にも満たない箇所。
いいか、書けるか?書くぞ、書けよ、私。


世間は年末。世間では大きな転換期となった2021年が終わる頃。世間では、平日日中勤務のオフィスワーカー、在宅ワーカー達が、大半の会社で年末の仕事納めを迎える頃。

私?一応は、今日29日が仕事納めとなっているが、私の中では今日を過ぎると、ただ連休が続くだけの感覚。数日経てば、また月初という感覚。西暦表記、yyyyの部分変えなきゃな、という感覚。

一応、人や気候の移り変わりについては、趣味として観察者的な観点で意識するたちなので、オンラインだろうがオフラインだろうが、この特別な年の年末年始を他の人がどう迎えるかは眺めるつもり。

加えて、ハレとケの観点で言うハレノヒを介するので、普段と違う文脈で、公私両面でコミュニケーションの違いを味わうつもりではあるけど。

でも、やっぱり私の主観としては、ただの年数の切り替わり。
・・・と、さっきまではそう思っていた。

思い出した。来年は、私が10年以上ベンチマークに置いていた、35歳の私の干支が三巡する、壬寅の寅年だった。
一時期は、この歳の36歳の誕生日時点で、己が何者にもなれていなかったら、己を己が認めることができなかったら、世を捨ててどこか知らない国、知らない街で適当に生きよう、とすら思い、なんとか36歳になるまでには・・・と、人生のベンチマークにしていた、2022年だった。


2010年、24歳で干支が二巡。
まだ大手システムインテグレーターの社会人二年目で、エンタープライズパッケージ導入コンサルをやりたくて会社選んだのに、1年目で全く違う配属に。
すぐに気持ちを切り替えるも、仕事のコミュニケーションも段取りも下手くそすぎて、自分どうなるんだって思っていた頃。


2011年、25歳。
200人前後の同期新卒社員内でも限定枠だった、二年限定の特殊配属を終え、業界でも花形事業、社内でもバケモノ揃いの花形部署に異動。
社内でも有数の激務グループの激務チーム。直上司は早慶で主席卒業の、勉強も運動も何でもできる、若手ホープの怪物。

それでも食らいついていたが、そんな中、重大インシデントと、正直ありえないリカバリーをやってしまい、上司2名がボーナス減。”完全に”って言えるほど自分のせいとはいえ、本当に部門に居辛かった。でも、高校生からやりたいことをはっきり描いていたタイプの私だったが、社会人として3年進んだなりに、改めてやりたい仕事像を何とか持てていた。

・・・この年までは。


2012年、26歳。
なんとか所属事業も私自身も大きなヤマを超え、若干認められだした頃、今度はプライベートで大問題が起こってしまう。
それを、自らの判断で、私が犠牲になればいいや、って、不利益を私がひっかぶる。

ここから、ただでさえ激務かつ高難易度の仕事と、プライベート課題解決の両立ができず、虻蜂取らず、いや、捉えようとした虻にも蜂にも刺され噛まれる状態になる。


そう、確かこの頃。世間の過半数程度からは、お先真っ暗と共言われそうな状態になった頃。自己洗脳は昔から凄く上手いから、誤魔化し誤魔化し日々を乗り切っていた頃。ただ、前述の描きなおしたやりたい仕事像は、跡形もなく見えなくなってしまった頃。

真っ暗になってしまった私は、それでも苦境の中進むための道標、まずあそこに行けば何とかなるという、重い足を前に踏み出すエネルギーが欲しかった。
だから、干支が三巡して36歳になる2022年に、自分はやりたいことができているかなぁ、他者の足を引っ張らない人になれるかなぁ、何とかそこまでは生き延びたいなぁ、と思うようにした。

日々の中で、目の前に光が見えなくなった時、何度も36歳の「”今より多少マトモな自分”という、”ぼやけて光が弱々しい北極星”」を掲げ直した。
そして、そのほんのりうっすらと見える北極星が、目の前に踏み出す一歩二歩くらいは安全に地面を踏み込めると判断できるような、最低限の灯りは与えてくれた。

足元を見るのすら精一杯で、前も上も見えない私に、まずは”目の前の闇夜の道”ばかりを観てないで、気分転換に上を見上げる誘因となった。
続いて、こっちに進もうと方向性を確認でき、前に進む道標となってくれた。

この、何度も北極星としての未来の私を掲げる、というコト抜きに、後述する地獄の階層が更に深化した状況は、乗り越えられなかったと思う。


2013年、27歳。
仕事のパフォーマンスが思わしくないため、配属転換になる。不利益、いや、率直に言うと負債返済のため、ダブルワーク→トリプルワークを始める。
結果、見事に本業が部門数十名で人事評価最低点(級)になる。一年前の判断をした私のせいなんだけど、本当にあの頃の上司、同僚には申し訳ない。

トリプルワークトータルで、月間450時間以上とか平気で勤務した結果、
ただでさえ悩んでいたADHD特性(当時未診断)が、寝不足と疲労困憊と食事不足で制御不能となった。

仕事のパフォーマンスも悪く、トリプルワークで残業→遅刻→残業→遅刻の悪循環もよく起きた。

貯金ゼロどころか数百万の負債を抱え、月15万円以上返済に充てて、ロクな食事も取れず、10日間貰い物のプロテインと水で過ごした事もあった。

電車賃もなく、歩いて2時間以上かけて深夜に帰宅した帰り道、自販機の下に小銭落ちていないか探し始める自分にドン引きした。

「マジで来月を迎える頃には、物理的に命あるかなぁ」「もう自己破産しようかなぁ」と、何度も思った。

だけど、根がポジティブなのも幸いしてか、日々何とか精神を立て直し続け、相変わらずの自己洗脳の上手さ、前述する36歳というマイルストーンの掲げ直しで、何とか生き延びた。


2014年、28歳。
月450時間くらい働いていた3月頃に、ついに深夜~早朝のバイトを終え、次は本業、というタイミングで気絶してしまう。4時間後、本業上司からの鬼電で目が覚める。
あ、もうこれ以上迷惑かけられない。身が持たないと生活が持たない。好きな会社、好きな同僚、上司だからこそ悔しいけど、本業辞めよう。

まる5年勤めた会社。上司達の度重なる遺留もあったが、本当不本意だけど、自己責任ゆえのこの状態に付き合わせてはいけないと思い、家庭関係の言い訳つけて、退職。

何とか稼がねばと思い、創立間もないベンチャーの営業職に一度着くも、収入の一本化はできずトリプルワークは続き、前職以上に怪物だらけのベンチャーでもう散々な状態となり、ADHDみ発揮しまくり。
もう迷惑はかけられないと、試用期間2ヶ月目でこちらから自己都合退職させていただいた。迷惑かけた社長に遺留頂いたのに申し訳無さ過ぎる。

本当に悔しかった。不甲斐なかった。絶対に三度目はねぇぞ、と誓った。


そこで、最優先要件として、ボーナスない分月収が多くなる非正規でいいから、現実的にダブルワークで収まって最低限のパフォーマンスはできるように、月収が多い仕事を選ぼうと。
次に、とはいえ、己の力を発揮しやすい仕事にしようと。これまでのキャリアの中でも、BtoBのサービス運営なら、多少でもやってきた事だ。サービスや組織を成長させることは楽しい。

更に、”弱々しい36歳の自分という北極星”ではなく、残り8年で、本当になりたい自分のキャリアモデルを、半月ほど本業辞めて(負債数百万なのに)平日日中以外でのダブルワークに押さえてでも、しっかり描き直した。
そうして選んだ直近の転職先候補は、

”半分はサービス運営経験を活かし、半分は企画職にチャレンジできるような、更に欲を言えば自分が理想とするようなサービスの企画運営”職を、まずは3年前後経験する、と決め、探した。

結果、最大手通信キャリアの、私が支援して伸ばしたくなるような、理想的なクラウド事業企画・運営リーダー候補(非正規ながら月収はいい)に、なんとか滑り込む。
東大京大の修士クラスが部門にぞろぞろいる同社でも、優秀な人が多く集まった(と、元人事の元上司は言ってた)最先端の事業だ。入社した結果、トリプル→まずはダブルワークに抑えることができた。

そして、何とか食らいついて、2014年内に新規クラウドサービス企画プロジェクトリーダーに抜擢いただく。


あ、もう夜中3時なので、ここまでを前篇?として、一旦筆を休めよう。もうこのまま前編で終えるかも。

中締めながら先に結論を言うと、2021年、35歳時点の私は、2012年の26歳時点で描いた、”ぼやけて光が弱々しい北極星”としての36歳像と比べると、天体の等級で言えば、5等級(つまり約100倍の明るさの差異。一等星と五等星の差等)は違う。

そして、2014年、28歳で悔しながらに描きなおした、当時なりの理想像と比べると、それでも1等級(約2.5倍の明るさ)は、35歳の現実が上回ってしまった。それくらい、今は当時の理想を超えた状態まで持ってこれた。


明朝(正確に言えば今日)29日は仕事納め。
28日はまさかの大トラブルもあったが、何とか緊急かつ重要なタスクは終えた。今日は年内MUSTの単純タスク群を終え、気持ちよく年明けを過ごせるようにしたい。

時期によって明暗の差はあれど、北極星のように道標かつ灯りにし続けた、”2022年の私”が、1/4の仕事始めにいいスタートが切れるように。


最後に改めて、9年前、7年前の私へ。

36歳の自分なんて想像の上に過ぎないのに、今客観的に見ても非常に闇深い現実と、存在も朧げだった夢との狭間を、少しずつでも埋め続けたこと、

HPもMP(メンタルポイント)もいつもギリギリの中でも、何十回もお先真っ暗になっても、36歳の自分を目指すことにbetし続けてくれたこと、

本当にありがとう。昔の自分に頭が上がらない。今の自分の障壁たちなんて、あの時の何も見えない闇に比べたら軽いもんだわ。比にならないほど視界良好だわ。

36歳の理想の実現、必ずできるから。35歳時点で貴方の想像以上に成し遂げたから。周りにどんな優秀な人がいようと、どんなに今の自分が情けなくなっても、一旦今は人と比べなくていい。貴方からすれば数年前の自分がマシに見えるかも知れないが、一番強いのは今だ。今の貴方だ。あの頃じゃねえ。
当時から聴いてたろ?UMB2008の勇姿も映像で観てたろ?数年後、般若さんが大ヒット曲で言ってたパンチラインだ。

・・・いや、話の流れとはいえ、会えもしねぇ昔の自分に偉そうに言ってる場合じゃないな。今の私自身に言わないと意味がねぇ。

過去の、あの頃の自分を最高にリスペクトした上で、未来、まずは10年来で視続けてきた2022年の事業展望を想像しつつ、現実の私自身にもう一度言う。

この想像の上 現実と夢 狭間埋める 自分にbet 必ずできる あの頃じゃねぇ 一番強いのは今だぜ

(以上!ご拝読ありがとうございます!)

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