動物と話す(#130)
私は動物に英語で話しかける。
友達はインコに日本語で話す。
友達のミミはオーストラリアで生まれ育った日本人。20代。両親とは日本語で会話するけど、英語ネイティブだ。英語なまりの日本語でインコに話しかける姿が愛らしい。
「ミミちゃんはなぜ、インコに日本語で話すの?」「う〜ん・わかんない。いつもこの子には日本語で話してきたから〜」
インコを飼い始めたのは学校に上がる前だった。だから、家族みんなで日本語でインコに話しかけてきたのだ。
「うちのインコは日本語しか分からないと思う」とミミはいう。
しかし、それは違う。私が彼らのインコを1ヶ月預かっていた時は、ずっと英語で話しかけていた。話は十分通じていた(と思う)。
私が動物に英語で話すのが心地いいのは、話している時の自分の立ち位置がフラットになるからだ。日本語でペットに話しかけるとき、赤ちゃん言葉になったりするのも、違うなと感じる。命令口調も強すぎて違うなと感じる。英語だと、ちょうどいい立ち位置で話し続けることができる。私だけの初めてのペットは、シドニーに来て飼った黒猫ハンターだった。”G’boy Hunter, G’boy” “C’me here baby, Stay here, Wait … OK now” 声のトーンとアイコンタクトで私とハンターは十分意思疎通ができた。まぁ、猫なので、聞いてて知らんふりされることもしばしば。動物園に行っても、私はコアラに英語で話しかける。まぁ彼らは利口なので、日本語だろうがスペイン語だろうがきっと理解してくれるだろう。
考えてみれば、自分を小さな声で励ます時も英語だ。「Ako, you can do it, you can do it. Stay focus, just go for it…」などぶつぶつ言っている。何を基準に言語を使い分けているのかというと、リズム感かもしれない。日本語だって、リズム感が欲しくて、私はエセ関西弁を使う。フランス語は話せないが、恋人に甘く話しかけるのなら、きっとフランス語のリズムが良いのかもしれない。
「ねえ、あなたの国では子供に名前をつけるときに、スプーンを投げるって本当?」17歳で米国ハイスクールに交換留学生として通っていた時のことだ。隣の席に座っている黒人の女の子がおっきな目をきらきらさせて私に質問した。私にはその質問の趣旨がよくわからなかった。よーく話を聞いていると、いろいろ間違っていることがあった。まず、彼女は私を中国人だと思っていた。そして、中国の習慣では、子供に名前をつけるときにスプーンを投げて、床に落ちた時に響く音(チュエン・チョワン・・・)から、その子の名前を決めると彼女は思っていた。バカなのかこいつは・・・。
私が通っていたハイスクールは、黒人と白人が一緒に学ぶ、当時としては珍しい学校だった。英語ができない私が選択した教科はレベルが低いので、圧倒的に黒人の生徒が多かった。英語のハンディに加えて、彼らの知能レベルを翻訳する必要もあり、なかなかコミュニケーションが難しかった。もちろん黒人でも優秀な生徒はいたし、白人でも理解力の乏しい生徒はいた。だが、私が選択したクラスにいた生徒はよく喋り、動き、跳ね回っていた。まともな会話ができそうにないサルの群れだった。ホストファミリーの飼い犬の方がまだ楽に意思疎通できた。
あなたが動物と意思疎通するときの言い回しのリストってどれくらいあるんだろう。あなたの想像力が私の武器。今日も読んでくれてありがとう。