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問題解決が生きる力(#165)

問題解決が生きる力となる。

母はそういう人だった。私が生まれた時から母はそばにいて、私は母の生き方を見るともなく見て育ち、大人になって意識的に距離を置いて遠くからその人生を見たとき、はっきりわかった。問題解決が彼女の生きる力だったんだ、と。

私の母は問題を解決する能力があるが故に、トラブルが母のもとへ「よろしくーッス」と訪ねてきているように見えた。そのトラブルの中には私の存在も入っている。私は母に面倒をかけ、そして母を生かしていた。

しばらくすると私は、世界中の母親がそういう人たちだけではないことを知る。私の母と同じ年代の母親たちが「上手に他人に頼れる」人で、トラブルがスルッと彼女たちの前を通り過ぎ、周りの頼れる人たちの手によって解決されるのを何度も見た。なんて世の中はうまくできているんだ。みんながみんな問題解決できるように賢く強くなる必要はないんだ、と思った。

電話で、母が話した。

「あの庭の木の枝が張り出して、葉っぱが向こうの屋敷に落ちるって、となりの大城さんが文句言ってきてるのよ」

そのとき母は問題の木がある実家には住んでいなかった。そこを出て車で10分くらい離れたところにアパートを借りて住んでいた。実家にあった固定電話の電話番号を母が持って出た。そのため、庭の木の苦情は母のアパートの電話にかかってくる。

実家には弟がひとりで住んでいた。弟は働いてる時間が長く、寝るために家に帰ってくるような生活をしていた。だから庭の面倒までみきれない。

母「何度もあの子に時間作って枝を切って欲しいって頼んだのに、時間ないって言うばかりでねぇ」

母は文句を言うが、私にはわかる。母の頭がフル回転して「知恵」を絞り出そうとしている。芸人が喜んで大喜利のお題に取り組むように、母は困りながらも愚痴をこぼしながらも、張り切っている。

***

それからしばらくして電話で母と話した。

母「ちょっと聞いて、お母ちゃんの大活躍を」

私「また、何したの?」

母「となりの大城さんがうちの庭の木の枝切って欲しいって文句言ってたの覚えてる?」

私「ああ、あれね」

話を要約するとこういうことだ。母は枝を切るくらい自分一人でなんとかできるだろうと、DIYの店でノコギリやその他必要なものを買って、タクシーで実家へ向かった。そのタクシーの運転手が50代くらいの男性で、健康そうで力仕事に向いていそうだと母は判断した。

母「あの、ちょっとお願いしたいんですが」

運転手「え、なんですか?」

母は隣人の苦情と、これからその木の枝を切るために自分が向かっていることを説明した。

母「あの、おたくとっても力があって私なんかよりも枝切りが上手くできそうに見えるんですけど、よかったら二千円でバイトしませんか?」

運転手はびっくりしたがオーケーした。母は手際よく道具を用意してアシスタントとして仕え、また指示を出して効率よく枝を切ってもらう工夫をした。

そうしていると、となりの大城さんの奥さんが窓から顔を出した。

電話の母は嬉しそうに話す「大城さんがねえ、私たちがやっているのを見て、大変な仕事だと思ったんだろうねぇ。『何か私たちにもできることがありますか』って言うのよ。それで、お母ちゃんはこの人をバイトで雇ったことを話したのよ。『じゃあ、うちも少し払いましょうか』って言うからさ。すかさず『お願いします。2千円あると助かります』ってお金もらったの。フフフ」

母はこう言う時は遠慮なんてしない。カッコもつけない。もらった2千円をタクシー運転手にあげた。運転手は「じゃあ、こっちの枝も切っておきましょうね」と余分に仕事をしてくれた。運転手は仕事を終えると麦茶を飲んで帰った。彼にとっては臨時収入が手取り4千円。悪くない。母も無理して怪我のリスクを負うことなく枝を切り落とせてホッとする。これをウィンウィンという。

母「ねえ、すごいでしょう。すごいアイディアだと思わない?」

私「うん、すごいよ。私だってそんなアイディア浮かばないし、タクシーの運転手にお願いできる勇気もない。やるね〜」

当時70代の母はそんなふうに、訪ねてくる問題たちを迎え入れ・知恵をひねって解決し・その顛末(てんまつ)を面白おかしく周りに話すのが、生きる力だった。

コロナ禍に入るまでは。

ロックダウンが母の調子を狂わせることになる。この続きはまた今度。母に関する話は、書けるときとそうでない時があるからね。面白い話が多いからみんな喜んで読んでるのわかるんだけど、書けるタイミングが微妙なんだ、愛憎深い母娘関係だから〜。

最近あなたがドヤ顔で出した良いアイディアは何だろう?あなたの想像力が私の武器。今日も読んでくれてありがとう。

えんぴつ画・MUJI B5 ノートブック

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