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「それはそれ」「これはこれ」(#137)
相変わらず書きたいことが捕まえられずにあたふたしている。夕方になっても決まらない。そんなときに、生徒さんから電話が来た「実は、あんまりいい話じゃないんだけど」「どうしたの?」「義理の姉さんに脳腫瘍がみつかって、兄がとても参ってるんだ。動けなくて何もすることができないんだ。そのサポートに今夜は実家に戻ろうと思う。なのでレッスン参加できないんだ」もちろん、そっちの方が大事だし、お兄さんもあなたがそばにいると心強いでしょうと言った。改めて気づく。まいにち、どこかで、それぞれにいろんなことが起こっている。
それに比べれば「今日書くものが捕まえられず困っている」ことなんてとるに足らないことだと感じる。しかし、そう感じるからといって、問題は解決しない。それに・・・それにだ。こう言うのは同じ量りにかけて比べるべきことなんだろうか。
どこかの国では戦争が起こって子供たちが大変な思いをしている。ここでは今日の夕飯を何にすればいいか決まらず主婦が困っている。このふたつのことは「それはそれ」「これはこれ」なはずだ。比べるべき問題ではないはずだ。
なのに、ときどきごっちゃにして、罪悪感を覚えたり、気乗りしない「恵まれている感」をかき立てたりする。
いぜん私は、ウッディアレンが「コンパートメンタライズ(区別化する)」の才能にあふれていることについて書いた。彼は90年代に親権を争う裁判中、映画も同時進行で撮っていた。世の中のゴシップ雑誌やテレビに毎日のように叩かれていた。そのとき、ウッディの周りにいたスタッフは口をそろえてこう言った。「ウッディほどコンパートメンタライズに長けている人は見たことない」と。私もその能力が欲しい。「それはそれ」「これはこれ」と分ける力。気分を引きずられずに、分けた仕事をそれぞれちゃんとこなせる力。
電話が来た後に、ミア(16歳)の個人レッスンをした。彼女には素晴らしい才能がある。その才能が今日ほど、私の気分を安らかに・また明るくさせたことはない。
ミアはもちろんお絵かきの才能もそれなりにあるが、それに比べたら今からいう才能は比較にならない。ミアの才能・・・数回聞いた歌詞を丸暗記できて、楽曲を流すと一緒に歌い続けることができる。なーんだそんなことか、と思っているあなた。チッチッチ(人差しゆび振る)。これはそばで聞いていないとわからない素晴らしい才能なのだ。
ミアによると、彼女は歌詞を意味で覚えているんじゃない。「音」で覚えている。歌詞は音楽を構成する「音」のひとつとして記憶されている。だからだいぶ後で「あ、こういう意味の歌詞だったんだ」と気づいてびっくりすることもあるという。
1時間のレッスンのあいだ、彼女の好きな楽曲やミュージカルを選んでもらって、スピーカーで一緒にききながらお絵描きする。そのあいだ、ミアは一字一句間違えることなく歌い続けることができる。あなたにも聞かせてあげたい。彼女は軽度のASDがあるが、明らかに音に関する脳はものすごい働きをしている。その部分の脳は「それは・・これは・・」で分けたりしない。音全体を美しくごっちゃにして、丸暗記して、楽しく歌い続けている。そういうのもものすごくうらやましい。
あなたが丸暗記した歌はなんだろう。あなたの想像力が私の武器。今日も読んでくれてありがとう。
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えんぴつ画・MUJI B5 ノートブック