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「クッチャネ」(#167)

今日はいっぱい寝た。脳が休養を必要としていた。「クッチャネ」した。ずっと食べてなかったチョコレートも食べた。罪悪感のかけらもない。

こういう日は定期的に来る。そして、こういう時は抗(あらが)わず、全てを休める。脳を休める。正確にいうと「これは今日やろうと思ってたけど、あれを後回しにして、これを明日に回せば今日はヤンなくて済む」などと細かいやりくりに少しは頭を使う。そのあとは、ひたすら休む。

今は午後5時半。ダラダラ過ごしたら1日なんてあっという間に過ぎる。「18歳から22歳までの4年間で本当にいろんなことが変わったんだよね。成長もするし、人間関係も変わるし・・・」と誰かが言っているのをラジオで聞いた。

確かにそうだ。でも、30歳から34歳までの4年間。40歳から44歳までの4年間。50歳から54歳までの4年間。100歳から104歳までの4年間。4年間の重みと質感は加速度的に軽くなりツルツルする。だから、今日みたいな土曜日が瞬(まばた)き3回して午後5時になったとしても不思議じゃない。

以前に少し触れたけど、私は手帳オタクで、9月に手帳会議をして、もうすでに来年使う手帳は決めた。スケジュール帳は増やさないし、もうお金もかけないと決めた。だが、思った通りその決意は揺らぎ、先日新たにスケジュール帳ひとつ・カレンダーひとつ買った。生徒さんにプレゼントする分も買った。

新品のスケジュール帳ってワクワクしない?使う使わないは別にして、手に取って見るだけでも「素晴らしいことが私の未来に待ってる」という気持ちになる。幻想だとしても、その幻想があるからこそ手帳オタクは成り立つのだ。

今朝は4時に起きた。そして新しいスケジュール帳を開き、ページの表面を手で撫で、持ち上げて紙の匂いを嗅ぎ、幸せな朝のひとときを過ごした。このスケジュール帳は「小説を書く」ことだけに捧げるのだ。

「【公募に応募するあなたへ!】挫折しない計画の立て方」というタイトルのブログ記事を読んだ。「ふむふむ、そうか日本では、こういうのに応募して小説家になるのか」私はその計画の立て方に沿って、いろんな新人賞の応募をみてスケジュール帳に書き込む。締切日、発表日。小説家になりたい人たちは、こんなにたくさんの公募に応募するのか、たまげた。だんだん気分が悪くなってきた。窮屈になってきた。

あ〜ダメダメ。これはひとまずここでやめよう。スケジュール帳を閉じた。「私はそういう路線で小説を書きたいわけじゃない」私は小説家として生計を立てるのが目的ではない。自分の言葉で自分が見たこと聞いたこと感じたことを紡いで、自分でまず読みたい。そして誰かが読んで面白いと思ってくれたら嬉しい。何よりも文章書くの上手くなりたいのだ。

そのためには、自分の文章を、誰かその筋の人に読んでもらって講評してもらいたい。けちょんけちょんにけなされてもいい。それで私のアイデンティティーが揺らぐことはない。私はもう自分という人間の土台を別のことで自分に証明できたから。文章が下手なことでけなされて、がっかりはしても人生のどん底につき落とされることはない。

絵の勉強を自分でして、練習してうまくなっていったように、文章も練習してうまくなりたい。お絵描きに関しては、夫も絵を描くから意見をもらえたし、お絵描きの仲間に見てもらえた。しかし、日本語で書く文章に関しては、講評してくれる人が周りにいない。切磋琢磨できる仲間もいない。だから公募の応募は自分の力をチェックしてもらうためだ。あと、目標や締め切りがないと、作品を作り終えるのは難しい。公募の応募は自分の成長のために「私が利用・活用するもの」であって、縛られるものではない。

こういうことを考えていたので、今朝は8時の時点でぐったりと疲れた。朝の4時から8時まで4時間考えていた。疲れた。

私は村上春樹の本をいくつか持っている。それは昔買って読んでそのまま本棚に入ったままのが多い。自分が小説書きたいと思って再読すると今まで気にもしてなかった文章が心に引っかかったりする。それを引用しよう。

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僕はふとこう思ったのです。「もうせっかっくここまで来ちゃったんだから、いっそのことこのままずんずん先に行ってみようじゃないか」と。つまり意識的に日本の文学を自分から遠ざけておくことによって、自分の文章スタイル(そしてその先にある小説のスタイル)を徹底してオリジナルなものにしてみるのも面白いんじゃないかということですね。今ここにある自分の偏った読書傾向、教養体験をそのままのかたちで保持し、より深く追及していくことによって、その結果小説家としての自分がどのような地点に行き着くのか、それが知りたかったということになります。一種の好奇心です。

村上春樹著「若い読者のための短編小説案内」まえがきより
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私も全く同じ気持ちだと思った。いまさら学校に通って日本語で小説を書く勉強をしたってしょうがないし、それは私にとってきっとマイナスになるような気がする。何度も言っているが「ポップソング」みたいな小説が書きたい・書けるような気がするという直感がはじめからあるのだ。それはきっと、小説を書くことに門外漢である私の立ち位置が有利になってできることなのかもしれない。私がするべきことは「より深く追求していくこと」なのだろうきっと。公募応募もそのために利用してやる。私を縛るものじゃない。けっ。

あなたが自分の成長のために活用するぞ、縛られるんじゃない。と思っているものはなんだろう。あなたの想像力が私の武器。今日も読んでくれてありがとう。

えんぴつ画・MUJI B5 ノートブック

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