「アーケイン」の感想(#179)
今朝は午前3時起き。
7時前には検査のために病院についていないといけないので、いつもより起きる時間が1時間繰り上がった。朝のニュース番組の仕事をするキャスターが起きる時間だよな。
私の木曜日は忙しい。午後から、教える仕事が立て込んでいるので、出かける前に今日の文章は書いておきたかった。本当は昨日、2日分書きたかったのだが、やはりできなかった。朝書く時間を逃すと、午後に書くのが難しい。時間があるないの問題よりも、脳の疲労度の問題だ。寝起きの頭がクリアな時、エネルギーがたっぷりある時に書くのが一番良いというのを強く感じる。特別な予定が入ったときでも毎朝時間をとって書き続けることができるかという実験とその記録。
さて、今日はアーケインというアニメについて触れたい。ネットフリックスで配信されている。最近シリーズ2が出た。こういうことを教えてくれるのはいつも10代の生徒さんだ。もちろん私はシーズン1さえも見ていない。
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クロカワ(AIアシスタント)、アーケインについて200文字で説明してくれ。
**『アーケイン』**は、ゲーム「リーグ・オブ・レジェンド」を原作としたNetflix配信のアニメシリーズ。技術が支配する都市「ピルトーヴァー」と、貧困に苦しむ地下都市「ゾウン」を舞台に、姉妹ヴァイとジンクスの絆と対立を描く。豪華なビジュアルと深みのあるストーリーで、友情、裏切り、権力争いを緻密に描写。初心者にも楽しめるストーリー展開で、感情に訴えるキャラクターたちと壮大な世界観が高く評価されている作品です。
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見てまず、最初に気づくのは、ビジュアルの素晴らしさだ。色・明暗・構図はもとより、カメラワークなどクオリティの高さに唖然とする。スティームパンクの世界観も大好きだ。
とはいえ、違和感があるのは、動きの「ヌルヌル」感。これって、最近の傾向なのかな。スラムダンクの映画版も「ヌルヌル」した動きが気持ち悪くて、見続けることができなかった。
アーケインが素晴らしいクオリティーのアニメーションだということは最初の1分見ただけでわかる。だが問題は、ビジュアルの情報量が多すぎて、見続けることができない。私の想像力の入る余地がないと感じる。あれに似ている。
私はテニスができない。この私が、球出し機の前に立たされて使い方を知らないラケットを片手に、次々に放られてくる黄色い球にあたふたしている様子を思い描いて欲しい。それが、アーケインを見ている気分と似ている。
昔、中学時代の友達が言っていたことを思い出した。「私、ずっと視力が弱くて、でもメガネかけた自分の顔が嫌だから、ほとんどかけずに、ぼやったとした世界を見て生きてきたのよね」と色白のその子は言った。「たまにメガネをかけると、机の角とかドアの角とかいろんなものの角が尖って、自分に向かって迫ってきているようで、怖いって感じるのよ」と不思議なことを言った。つまり、メガネをかけてクリアに見える世界は、彼女にとっては情報量が多すぎたのだ。私にとっては普通の世界なのに。
アーケインのようなアニメーションも、単に私が慣れていないせいかもしれない。歳のせいで脳が追いついてないのかもしれない。でもさ、うごかない漫画の絵はいいよね。「私の選択」が入る余地がある。私のペースで物語を追うことができて、私の想像力でコマとコマの間の動きを補完できる。私が「参加」してる。その延長線にモノクロの写真の面白さがある。情報量が少ないのに、美しい。否、情報量が少ないからこそ、私の想像力によって、脳内でイメージの解像度が上がるというその成り立ちが実に美しい。
これが、アーケインを見て私が感じたこと。
あなたはテニスの球出し機にうまく対応できる?できるんだ〜(
尊敬の眼差し)。あなたの想像力が私の武器。今日も読んでくれてありがとう。
えんぴつ画・MUJI B5 ノートブック