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今の顔に射す昔の面影を老いた顔がうすく包む(#118)
さぁ、私は何を言ってるのでしょう。
こういう意味不明なことを言う時は大抵「金閣寺」を読んだ後でごわす。
諦めずに・まいにち10分・三島由紀夫著「金閣寺」を読んでいる。10分くらいが丁度いい。長く読み進めると、頭がおかしくなるか、うたた寝する。
次の文面が私の注意を蹴り上げた。
「新たに会う事物にも過去に見た事物の影がはっきりと射す」
なんで、こういう粋な言い回しを次々と考えられるんだろう。だから、いまだに読み続けていられるのだよ。
まず、「影が射す」と言うのはいろんな意味がある。
光が照らす。
病気の徴候が現われる。
物事に、あるかすかなしるしが現われる。
「はっきり」と影が射すのだから、きっとこの場合は「かすかな不吉さ」ではなくて、カッチリした黒い影と同じくらい気持ちの良いクッキリした光が当たっている気分なのだろう。
あ、また意味不明になってきた?ごめん・ごめん。もうちょっと付き合ってくれ。要するにデジャブみたいなことだと思う。新しく見たのに、過去に見たものと重なる感じ。
私は毎朝テレビでニュースを見るときに、似たような気持ちになる。それはニュースで報じられる事件のことではない。ニュースキャスターやリポーターの顔を見ている時に感じることだ。映画やドラマと違って、ニュースでは、しゃべっている顔を真正面からしばらくの間うつす。絵描きはみんなそうだが、顔を見てると自然と目線で輪郭をなぞったり、形をはかったりする。私は人の顔を描くのが大好きなので、なおさらそうなる。
リポーターの女性の顔みて「あ、この人が10歳の時の顔がはっきりと目に浮かぶわ〜」とちょくちょく思う。実際に、彼女が10歳の時の顔をした子供がうちのクラスにいると思ったことがある。と言うことは、10歳のエレナは20年後こういう顔になるんだなと思ってニヤリとする。次の瞬間には、エレナからリポーターを経て・70歳になった時の顔がはっきりと想像できる。レースのカーテンが窓の風に吹かれて・おおいかぶさったり・まいあがったりするように、「今の顔」の上に10歳の顔と70歳の顔が入れかわり立ちかわりあらわれる。そのことを文章に書きたいとしばらく思っていた。そして、今日がその日になった。「金閣寺」のおかげだ・サンキュー。🤩
さぁ、それがわかった上で次の文章を読んでほしい。
「新しく見る顔に、幼い頃の面影がはっきりと射す、同時に数十年後の顔が薄いレースになって覆う」
どうだ。粋な文章になってる?
クロカワ、これをさらに粋な文章にしてくれ。
クロカワ:
新しく見る顔に、幼き頃の面影が鮮やかに射し込み、数十年後の顔が薄いレースのヴェールのようにふわりと重なり合う。
おぉ!悪くない。けど、微調整が必要だな。さぁ、これでどうだ。
「新しく見る顔に、幼い頃の面影が鮮やかに射す、とたんに数十年後の顔がふわりとよぎる」
「とたん」がイマイチなんだよな。もっと違うのないかな。
「新しく見る顔。幼い頃の面影が鮮やかに射したかと思えば、はるか数十年後の顔が薄く重なる。そのベールが溶けて再び元の顔。こっち見てる」
もうこう言うのって、キリがないんだよな。直せば直すほど、ゲシュタルト崩壊的に意味がわからなくなってくる。この辺でやめとくべし。
あなたが「この人の10歳の時のかお想像できる〜」と思った人は誰だろう。あなたの想像力が私の武器。今日も読んでくれてありがとう。
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