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紙しばい(#243)

こないだの続き。
[探していた話は「かぎばあさん」が持っていた(#231)]

主人公の広一のために、「かぎばあさん」が黒い手さげから出した紙しばい「テレビのすきな王様」こそが、私がずーっと覚えていて、ずーっと探していた話だった(約47年ものあいだ)。あまりにも印象的な話だったので、入れ子構造の紙しばいの物語だとは思ってもみなかった。

「ふしぎなかぎばあさん」と言う本がが出た1978年は、テレビが白黒放送からカラー放送に切り替わる時だった。重厚な家具のような存在感をもつ箱型のテレビが、家族が集まる居間に一台あれば上等な時代だった。

小学生の私は思った。「おう様くらいになると、移動中の馬車の中にテレビがあったり、ベッドで寝るときは天井につけられたテレビが見れるのか〜」。納得がいった。ひとりの人のために一台以上のテレビを持つなんて、おう様しかできんでしょう?
大人になって読むと、「テレビの技術は上がっているのに、馬車で移動するんかい」というツッコミどころ満載のアンバランスさが良い。

まじめ大臣は「食事のときだけでもテレビはおやめください」とアドバイスする。いっぽう、はら黒いずっこけ大臣は「もっと便利なめがねテレビをつくってさしあげましょうか」と言う。おう様がめがねテレビをかけている姿は「まるで、かいぞくの親分みたい」だったそうだ。
ん?どう言うこと?ま・いっか。
そうやって、おう様がめがねテレビに夢中になっている間に、ずっこけ大臣は、隣の国と勝手に外交して自分が王様になりかわろうと悪だくみをしていたのだった。

大人になってここまで読んで思う。ずっこけ大臣さ、別に王様になりかわらなくても、めがねテレビを作って、世界中に売れば大金持ちになって、おう様よりもっと良い暮らしと知名度が得られるんじゃないの?と。まあ、それだと話がつまらなくなるし〜。

あのさ、ここで少し言いたい。子ども向けの絵本や物語を作るって、本当にむずいんだよ。この「納得いく理屈」と「ツッコミどころあるアンバランスさ・ミスマッチさ」の加減がね、むずい。

私が小学生の時に読んで、ずーっと覚えていたと言うことが、この物語の「むずい要素をすべてクリアした」素晴らしさを証明しているわけでしょう?入れ子構造の紙しばいにしていることも良い効果になってると思う。時々入る広一の感想「おばあさんの読みかたがあんまりうまいので、感心しました」など。それがより一層「みんなで紙しばいを楽しんでる」と言う盛り上がりになって、私の記憶に結びついていたのかもしれない。

「王さま、たいへんです!」
まじめ大臣が、とんできました。
「となりの国のぐんたいが、せめてきそうです!」
「まあまあ、しんぱいするな」
王さまは、めがねテレビもとらないで、こたえました。
「わしが、となりの国へいって、話をしてこよう」

さて、次はどうなるでしょう?おう様はこの問題をどう解決するのでしょう?知りたかったら、「ふしぎなかぎばあさん」読んでね。ふふ。もし、読みたくなかったら、自分で考えてみて〜、おう様はいったいどう問題かいけつするのか〜。

でさ、続編の話を作るとして。ずっこけ大臣の子孫がスティーブ・ジョブズで、手の中にテレビを持ち歩ける時代に繋がったとしたら「納得いく理屈」になると思わない?あと大事な「ツッコミどころ」はどうしよう。これがむずいんだよな。あなただったら、どんなツッコミどころ入れる?あなたの想像力が私の武器。今日も読んでくれてありがとう。

えんぴつ画・MUJI B5 ノートブック

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