「煮詰まる」と「固まる」は違うのか(#164)
料理ではない。創作プロセスのことを言っている。人に読まれることを意識して書いた文章を、164回投稿していると、自分の傾向・クセみたいなものがわかってくる。これも想定内だ。そういう気づきを得るためにしている訓練だから。
あるひとつの「キラキラ」があるとする。それを元に・あるいはそれに向かって、ひたすら書くことができる。モチベーションも体力も十分ある。書いたあと、読み返して、言葉を足したり引いたり入れ替えたりで補強していく。それをしばらく続けていると「キラキラ」していたはずのものが、「どんより」しているのに気づく。
あれ?はじめた時の印象と違うな。どこでまちがったんだろう。
最初に「キラキラ」があった。
そこへいくための道を選んで、歩き始めた。あ、だんだんキラキラに近づいていく。まぶしい・光ってる。きゃ〜(興奮)
これを「固まる」と言う。
もう少し近づこう。とさらに一歩一歩踏み出す。地面がぬかるんでいるようなので、足元をみながら進んでいく。ハッと顔を上げたときに。キラキラは消えて、どんよりとした厚い雲とカラスの群れが通り過ぎていく不安な印しか見えない風景に囲まれている。
これを「煮詰まる」と言う。
164回書いている今は「固まる」と「煮詰まる」の間でまだウロウロしているのが現状だ。うまいところで自分を止めて・煮詰まる前に場所を移動してさらに進むその「良い塩梅(あんばい)」がなかなか手に入らない。
煮詰まったら「気分転換」でしょう。(席を立って飲み物を作りにキッチンへ行く)
お湯沸かす。キッチンの窓から外を見る。そのあいだ、頭が勝手に映像をうつし出す。「白昼夢」だ。レモンを冷蔵庫から出して、半分に切って、半分は容器に入れて冷蔵庫に戻す。その間、私はレモンを見ながら遠い景色で行われているお話を目で追っている。「あ、これ面白い。あとで書こう」とぼんやり考えている。これで一つのまとまった文章が書けた・・・でも「夢」見てる状態なので、すぐメモするとか思いつかない。自分でコントロールが効かない。
飲み物を手に席につくと「白昼夢」から目覚める。あれ、さっき見たものなんだっけな。さっき頭の中であった興味深いことを思い出そうとする。メモする。
>>以下がそのための断片的なメモ****
母が言った印象的な言葉。
あ、そうか。
小説家でもないのに、小説を書く教室を開いて、教える設定にしてみようかな。そうやって私は絵を勉強して上手くなったから。
>>断片的なメモのつもりが、このあと・長い文章を書いていく***
絵描くの上手いねと褒められた記憶がない。だから私は、お絵描きというスキルを純粋なスキルとして考えることができる。ガラス細工を作るとか木製のスツールを木を切り出すところからするとか・・・と一緒で私とスキルの間に新鮮な距離がある。でも「日本語で文章を書く」ことはそうじゃない。もうすでに、私のクセがついた・愛着のベッタリついたものだ。つまり「私が傷つく可能性のある」ものだ。つまり「怖い」
それを救えるのが「私の今の年齢」なのかもしれない。自分を俯瞰で見れる年になった。自分よりもできれば若い人たちに何かしてあげたいと思える年齢になった。だから今が適齢期だ。日本語で他者に見せる文章を書くのは。
「自分の失敗から学ぶのは普通だ。他者の失敗から学べるのは上出来だ」これは私がよく言うこと。
夫がよく言うこと。「道を歩いていて穴に落ちる。別の日に同じ道を歩いていてまた穴に落ちる。もし、3回目に同じ道を歩いて、また穴に落ちたら、それは絶対的に自分のせいだ。他人や環境や運命のせいにしちゃいかん、自分で変える時だ」そういう諺が本当にあるのかな。
スマホとかテクノロジーに関しては夫はどうしようも無く短気だが(スマホを投げて壊した)、人間関係に関しては気前よく猶予を与える。この人間関係を切るべきか保つべきか、答えを出すまで辛抱強くなれる。騙されたフリさえできる。
私はテクノロジーには寛容だ。人間関係は面倒ですぐ投げ出しがち。最初からミニマムにおさえることで対処している。
>>ここまでつらつらと書いた。そして止まる***
読み返して思う。「これは私がさっきキッチンで見ていたものではない」もう今となっては思い出せない。あの「キラキラ」を逃した。
さて、このメモ的文章のどこに、別の「キラキラ」があって、「固まる」と「煮詰まる」があるのだろう・・・。わからんな。「迷子の迷子の子猫ちゃん」と言うフレーズしか頭に浮かばない。
こんなふうに毎日私は文章を書いている。形になってない文章。成長の記録。今日みたいに「迷子」の文章を書いたとしても、私には最後にこれがある。ガシャンと押すハンコだ。そして、このハンコが意味するところは、毎回わたしが実感する本当の気持ち。
あなたの想像力が私の武器。今日も読んでくれてありがとう(ハンコ)。今日のあなたはどうやって「キラキラ」に向かおうと思ってる?
追記:
「煮詰まる」は「袋小路の恐怖」につながる。逃げられない。それが怖い。私は何度も「袋小路的状況」から「想像」の翼を使って飛んで逃げてきた。でも、想像力が弱るともう逃げられない。だからしつこいほどに、想像力を鍛えておこうとする傾向がある。注意散漫と言われようと、落ち着きがないと言われようと、かまわない。あのゼリーのようなまとわりつく空気で動けなくなるのはヤダ。それはダメだ。だから「あなたの想像力が私の武器」なのだ。自分の想像力が弱った時には「あなたの想像力」に頼るしかない。その頼る思いが、助け合えるという信仰が、ちいさな亀裂を作り、指で押し広げて、突破口になる。私は・私の想像は動き出せる。えっと・・・私の言ってること意味わかる?ま、いいや。わかんなくても。