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食事中は一言も喋らない夫。自分がオーダーしたものだけを食べるイギリス人。(#050)

うちの夫はイギリス人だ。ヨークシャーという北の方の炭坑町の労働者階級の出自だ。戦争から帰ってきて・頭がちょっとおかしくなって・飲んだくれて・金をうちに入れない父親、母親が自分が働いたお金から工面して夫は絵の学校を出ることができ、広告代理店で働いた。それは彼の生まれ育った環境からすると、かなり出世した事になる。

その夫は、外食した時に温かい料理が冷たい皿に盛り付けてあるのが嫌でそのことをものすごく気にする。もし間に合うなら、皿を温めてくれと注文さえする。そして食事している間は一言も喋らないで黙々と食べる。食べ終わってから、話し始める。その理由を聞くと、口の中に食べ物がある時に喋りたくない、という当たり前の理由だった。

私だって口の中に食べ物が入っている時には話さない。でも、一口食べたら、次の一口の前に少し話すことはできるよ。でしょ?でも彼はそれをしない。イタリア人や中国人みたいに食卓を囲んで食べながら話したり、あるいはうたったりなんてありえない。最初は変わってるなと思ったが、慣れたら逆に楽になった。

ある時、イギリス人の若者と私と日本人の若い夫婦で、ごく普通の食堂で食事する事になった。なんとなく日本人の文化で、色々オーダーして少しずつみんなで食べようみたいな感じになった。その方が楽しいじゃない。しかし、イギリス人の彼は、自分がオーダーしたものだけを食べたいと強く主張した。君たちの料理はいらないし、僕のものもあげたくないと言わんばかりのはっきりした態度だった。

もう一人、イギリス人の熟年男性、コーヒーを注文する時の温度が厳しい。熱く入れてくれという。でもコーヒーバリスタからするとあまりにも熱すぎるのはコーヒーの香りとかまあいろんな点でよくないので、そういう気遣いで(きっと)普通より少し熱めにコーヒーを入れるのだが、イギリス人の彼は一口飲んで彼が望んでいるほど熱くなければ「これはやり直してくれ」と必ず入れ直させる。

私が会うイギリス人、特に男性はこんなんばっかだ。きっと、普通に食事中会話する人も、他人と料理をシェアする人も、熱くないコーヒーを楽しむ人も、イギリス人の中にはたくさんいるはずだ。しかし、なぜか私の周りにはいない。そして、私はそういう小難しいイギリス人と仲がいい。

私は自分がこういう性格なので、知らず知らずに誰かを傷つけているんじゃないかとつま先だって臆病になる時期があった。そんな中、小難しい人たちは、何が好きか何が嫌いかがはっきりわかるので一緒にいて楽だった。彼らは嫌な時はすぐ顔に出す。それがいい。後で遠回しに「あの時ちょっと傷ついたんだよね」と背中に小さいナイフが突き刺さることはない。

もちろん、小難しくなく、辛抱強く、私の性格を額面通りに受け入れてくれる心の広いお友達もいる。どうやったらあんな人たちになれるんだろうといつも感心する。そして私は隠れて彼らに似せた着ぐるみをミシンで縫って仕上げてクローゼットに入れてある。自分の性格はなかなか変えられないので、「辛抱」が必要な時には、クローゼットから「鈴木さん」の着ぐるみを出して身につけ、生まれた時から「辛抱」を身につけていましたという振りをして、なんとかその場を乗り切る。それが私自身の「小難しさ」と付き合っていく・サバイバルする一つの方法なのだ。

あなたはどうやって自分の「小難しさ」と付き合ってるのかな?

あなたの想像力がわたしの武器。今日も読んでくれてありがとう。


追記:
寒い。今日も寒い。羊の着ぐるみを着て羊オンナになりたい。ヨークシャーのスウェールデール・シープになるには、顔を黒く塗る必要がある。塗ってもいい。羊毛をまといたい。

えんぴつ画・MUJI B5 ノートブック


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