ムームー(#182)
あの太った女性が部屋に戻るのを上から見てる。
私の作業部屋の大きな窓は、車が行き交うメイン通りに面していて、通りと私たちの住むユニットの間には、小さな庭がある。3階の高さから見下ろすと、いろんな動きが観察できる。行き交う車。路上駐車する人。歩道を歩く人。庭を横切って出入りするユニットの住人。
そう、あの太った女性はうちのユニットの住人のひとりだ。メインの出入り口がうちとは別なので、見かけるだけで、話をしたことはない。彼女はいわゆる白人系だが、いつもダークスキンの小さな女の子を連れている。丸々大きく美しくふくらんだ身体のとなりに、女の子がツインテールの小さな頭を振りながら、身体をちょこちょこ前に進めて歩く。6歳くらいかな。女性は30代くらい。この組み合わせは一度見たらわすれられない。
まず思うのは、この二人は母娘なんだろうか。たぶん、そう。幼稚園に連れて行ったり、戻ってきたりするのをなん度も見ているから。肌の色が違うということは、養子か、新しいパートナーの連れ子かもしれない。とっても仲良さそうにしている。
彼女の丸々した身体は見ていて気持ちいい。それは彼女の動き方のせいかもしれない。動きがキビキビしているとまでは言わないが、太っている身体が「これが私のジャストサイズなの」といってるように気持ちよく動く。
夏になったので、彼女の着る服があれになった。そう、ムームー。彼女の丸々した身体を包む、包むと同時に涼しい風を入れる隙間を作る。似合ってる。本当にムームーを着ているのかどうかは定かではないが、見た瞬間「ムームーだ!」と思った。本来ムームーとは、ハワイでおなじみの丈が長い女性用のドレスのことを言う。しかし、私が小さい頃は母と一緒に家着・寝巻きとしてムームーを着ていた。沖縄の夏にこれほどふさわしい家着はなかった。
平和通りから公設市場にかけて、いろんな種類のムームーを売っている店が並んでいた。ハイビスカスとかハワイアンな柄の鮮やかな生地、紅型(びんがた)調のシックな生地など種類も豊富だった。母が私のムームーを選ぶ。弟は男子だからムームーを着ない。私だけのムームーを母が選ぶ。私は自分で選んだ記憶がない。母が選ぶものが一番いいと思っていたから。蜜月の頃だ。あの頃が私と母が一番仲がよかった時期だったかもな。ムームーにはそういう幸福感・安心感・特別感がある。
中学校に入ったらムームーなんてダサいと感じて着なくなった。どうじに、母との関係にも距離ができた。思春期だ。蜜月は終わった。
「ムームー」って音の響き。関係ない人には牛の鳴き声かもしれない。でも私にとってはハッピーで涼しい場面や思い出を呼び起こすホルンの響き。何かの合図のように遠くの地平線へ向けて吹く角笛の音。良いことしか起きないという約束の音。
あなたが子供の時に好きだった家着はなんだった?作務衣(さむえ)?渋い〜!あなたの想像力が私の武器。今日も読んでくれてありがとう。