2021年の一枚
ぼーっと、しながら・・・ね。
2021年を思い出す。年明けから、写真を撮りまくった。
もともと、写真を撮るのが好きだった。自分が見た風景をカメラにおさめる。
カメラといっても、デジタルカメラや一眼レフカメラ、インスタントカメラ、フィルムカメラではない。スマホカメラである。
ガラケーからスマホに変わって、ほどなくして、デジタルカメラを手放し、スマホカメラ1個になった。うん、世の中どんどん進化するものなんだな。
こだわりは、・・・あまりない。
そう、写真を撮る時のこだわりはあまりない。ないのだが、ただ、1つだけ。人物を撮るのが苦手だし、撮られるのはもっともっと苦手である。だから、私が撮る風景には、人が、ほぼいない。
ただし、例外もある。観光地などでは、「写真撮ってもらえますか?」とよく頼まれることが多い。
以前、長崎ハウステンボスで、20人ほどの多国籍団体様が、わいわい盛り上がっている横を通り過ぎようとした私に、その中の一人がカメラを渡したのである。
ん???これは…「ハイ、チーズ」じゃないな…。
うーん…みんなが共通で分かる合図は…じゃあ、とりあえず。
「5、4、3、2、1!OK!」
おぉ~、通じた~。なんだか年末のカウントダウンぐらい盛り上がって、団体様は去って行った。
撮られるのは、よほどのことがないと写りたくたくない。
友達と遊びに行ってぱーっと盛り上がって、みんなで撮ろうよ!と言われても、いつも即座にシャッター係に立候補する。そのスピードたるや、もう音速に近い。
できれば、写真は撮られたくない。撮るほどの者ではございません、いつもそう思っている。その場の盛り上がった空気を「写りたくない!」と頑なに拒んで、よくぶち壊すし、ドン引きされる。嫌なものは嫌なんよ。
でも、証明写真は、仕方がないので、イヤイヤ撮られている。もう、嫌がってるのが証明写真からビシバシ伝わってくる。
いや、それは、置いといて。
だから、・・・2021年はね。
自分が見た景色をバシャバシャ撮りまくったのだ。空、花、食べ物、虫、いただいた素敵なモノなどなど。
そんな中、今年は空をよく撮ったなと思う。
空を見る時は、だいたい疲れて一息つきたい時か、ぼーっとしてる時か、すんごい景色が広がってて思わずぱちりと撮りたくなる時か。
noteを始める以前は、とにかく夕焼けが大好きだった。
素敵な夕焼けが目の前にちらっとでも見えると、その夕焼けを追いかけて、車を走らせる。ずんずん走らせて、小一時間ほど陽が沈むまで走ったこともある。でも、夕焼けは何度撮っても、なかなか納得のいく一枚は撮れない。
ああ、私はきっと納得のいく夕焼けを死ぬまで撮り続けるのだろう。
・・・撮った!
noteを始めてからは、いろんな空の表情を撮るようになった。
気分爽快な青空、どんどん形を変えていく雲、時には体の芯までどんよりしてしまう鈍い色の空とか。
でもね。最近は、朝焼けもいいなと思っている。
朝焼けに向かって仕事に向かい、夕焼けに向かって家路につく、そんな生活を送っている私は、今まで朝焼けを見る余裕はなかった。その日の仕事の段取りを考えて会社に向かっていた。
ところが、人生の小休憩を経て、いろんな人とつながるようになって、少し気持ちが変わった。会社に着くまで、仕事のことは考えないようになったのだ。仕事以外のこと、友達のこと、美味しい食べ物のこと、時に音声配信を聴きながら、noteでつながった人たちのこと、そんなことを思い浮かべながら車を走らせていたら、朝焼けに気づいた。
朝焼けも、夕焼けと同じオレンジ色だが、違う色に思える。
夕焼けのあの黄昏感とは違う、朝のこれから始まるぞ感。その日、どんな嫌なことが待ち構えていても、頭を上げて、朝焼けを見ると、なんだか大きな壁に少しずつ立ち向かっていけそうな気がするようになってきたのだ。
さあ、2022年はどんな一枚に出会えるかな。