「どんな感覚を求めて生きてるの?」
どんな時に「やるせないなぁ」と思うのか。
どんな時に「嬉しい」と思うのか。
どんな感覚を求めて生きてるのか。
人は幸せの感覚を求めているのか
先日、大好きで尊敬してる先輩とお話したときに「どんな感覚になりたくてお仕事してる?」と聞かれて、その聞き方素敵!!と思ったakoです。
私は基本、感覚で生きてる人間なのですが、「資本主義を基本とした人間社会で生きていくには頭を使ったりエビデンスを大事にしなければ!!」と日々どこかで思っていて、
頭で考え過ぎ、と言われることもあるので、そんなときは私のそのどこかで気負ってる「防衛策」みたいなものがカラ回ってる時なのかも。
コロナ禍での生活も1年が過ぎ、仕事もプライベートもいろんな変化があって、「棚卸し」が追いついてないなーと思う今日この頃。
感覚の変化をもう少しうまく言語化したりしたいところなのですが、コロナ落ち着いてからの方がいいのかなぁ。うーん。
「満たされる」「満たされない」
最近、気づいたことがあって、それは「私は今、結構満たされてるんだな〜」ということ。
今と10代20代を比べると、
・堂々巡りのように思い悩むことが減った
・自己肯定感が少しずつ上がってる(それでも低いのだけど)
なんというか、思い出に苦しみが紐づいてることが減っている気がする・・・。
20代前半、何かと闘いながらうんうんと唸りながら、音楽やお芝居をしていて何かを紡ぎ出したかった日々があって
からの20代後半、朝から夜中まで仕事してて「私、仕事好きなんだ」と思ってたけど、今思うと、あの頃は「仕事で得るものを通じてしか自分を満たせなかった時期」だったような気がする。
(仕事でしか得られないものはもちろんあると今でも思ってますがバランスと時期の問題もあるというニュアンス。)
満たされなさすぎでもアンバランスで弊害あるなーと思ったりするけど、満たされるのがすごくいいかというと、そうでもないのかも?
じぶんのペースで
最近は、何かを学んだり生み出したりへの意欲がすごく高いという感じでもなく、だからといって落ち込んでたりするわけでもなく。ゆらゆら。
美しく綴られた音楽や言葉を見ると、ずっと眺めていたいような、自分も向き合いたいような、今は違うような、何とも言えない感情が、これまたゆらゆら。
とくに無理はしないとしつつも、春ですし、心の赴くままにどんぶらこ〜とやってこうかなと思っています。
次のnoteは、シングルリリースのnoteになるかな。
ゆっくりと、でも、制作進めています。
春と呼べる間にはリリース予定です。
花粉症の人もそうでない人も
新生活になる人もそうでない人も
生きてるだけでハナマル
よき春になりますように
いただいたサポート費用は、音楽活動に充てさせていただきます☺︎