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「建設的合意」とは何か?

前回のnoteはなぜ「建設的合意」なの?という部分と私のキャリアと建設的合意について投稿しました。今回は普段Twitterでも投稿していますが、改めて「建設的合意」とは何かについてお伝えさせていただきます。


「建設的合意」とはなんなのか

まず「建設的合意」というのは私が作った造語で、下記のように定義しています。

建設的合意とは
互いの意思決定メカニズムや心象風景を理解し、成したいこと・なりたい姿に近づくことを目指して、コミュニケーションを通じてWin-Win状態を紡ぎ出し続ける活動

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もう少し噛み砕いていうと「共通のゴールに向かって、対話を通じて、相手と気持ち良い合意形成すること」です。

合意形成はいろいろな場面で行われています。しかしどちらかの意見が採用されたり、お互いの思惑が重なるところで妥協として合意形成がなされることが多いように思います。そして私が今軸足を置いて研究・実践しているセールスにももちろんそのような場面は散見されます。

このような状況に違和感を感じており、対話を通じて、お互いの意見を包含した上で、それを超えるような意見が創発される合意形成を模索しています。そしてそれを「建設的合意」と考えています。

日々実践を通じて「建設的合意」の概念構築を行なっていますが、正直すごく難しいし失敗だらけです。。色々な考えの人がいるし、その時の自分の感情もあるのでwin-winにならないことも多々あります。win-winはおろかその前段階の対話フェーズでつまづいてしまうこともあります。

その他にも、世の中の合意形成は「どちらかの意見をとって合意形成をする」ことが多く「お互いのいいところをとって新しい案を作る」ということは少ないように感じています。

ではなぜ「建設的合意」が難しいのでしょうか?

なんで「建設的合意」ができないのか

建設的合意ができていない合意形成とは、以下の図の片方の意見のみが採用されたり(win-lose、lose-winの部分)、お互いの重なる部分での合意形成(lose-loseの部分)に陥った場合を指しています。

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論破などはその典型であり、片方の三角形のみが残る形になってしまいます。

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「建設的合意」がなぜできないのか?それは「意見の対立」が邪魔しているからです。

意見が対立する具体的なケースを見ていきましょう。

ケース①それぞれの意見が完全一致しない(明らかな対立)
-一致しない部分でお互いに主張が続き、攻撃的になり相手を言い負かそうとしたり、対話を避けたりする。このような場合オーバーラップするところの妥協点で決着するか破断する。

ケース①は皆さんも一番に思いつくような対立です。特に「破断」という最悪のケースが顕在化してしまっています。

ケース②自分の意見を主張しない(隠れた対立)
-何かしらの理由があり、相手に対して意見を主張しない、できないようなケース。お互いの間に何かしらの力関係が働き、本音で納得できていない場合が多い。


ケース②は本音が話せていないケースです。相手が先輩だから、や相手がその道のプロだからと遠慮してしまい、自分の意見があるのに伝えられないケースが該当します。

わかりやすい例で言うと、部活の先輩に言いたいことがあるけど言えなかった、のような場合になるでしょうか。私も含めて結構経験がある人が多そうです。

ケース②`自分の意見を持たない(情報の非対称性)
-あの人の言うことは正しいはずだ、というように自分の意見がないケース。この場合そもそも合意形成がなされていると言えるのか微妙。


これは相手と自分に知識格差がありすぎて相手の意見を丸呑みにしているケースです。意見がないと自分の主張の三角形を持てないので、この場合は潜在的な意見の三角形を顕在化させていかないといけません。保険の契約など、専門知識が必要な分野ではこのような合意形成が散見されます。

ただこのケースで難しいのが、このような合意形成が一概に悪いとも言えないところです。超お金持ちの証券投資なんかはまさにそれで、「担当営業マンに丸投げしたいし、それをお金持ち本人も望んでいる」という前提があるためです。

上記のように「合意形成ができないケース」はざっくり3つくらいあるかなと思います。もちろん私もそれぞれのケースを経験しています。


では、なぜ「意見の対立」が生じてしまうのでしょうか?それは人が誰しも持つ「自我と感情」による影響が大きいのです。

人はそれぞれ異なった環境で育ち、唯一無二の自我(自分らしさ)が形成されます。その自我をベースに価値観が形成され、その価値観により思考 / 意思決定(行動 / 意見)がなされます。このことからも互いの意見が"完全に"一致すること自体がそもそも難しいのかもしれません。

相手の意見と一致せず、むしろ自分の意見を否定する意見が発生した場合には、自分の価値観を事態を否定されている(攻撃されている)ように感じて、「恐怖」や「怒り」というネガティブな感情が発生します。このような時、人は自分の意見を正当化することで自分の価値観を守ろうとします。具体的には、感情的になって怒る、ディフェンシブになって黙る・対話から逃げる、冷静に論理で相手を言い負かすなどの表出の仕方が発生します。人には感情がありますから、こういったことはどんな人にも大なり小なり存在するのではないでしょうか。誰しも自分の価値観を脅かされないように正当化する行動として意見の対立が発生するのです。

互いが自分の意見・価値観を正当化し守ろうとする場はなかなか建設的な場になりづらく、それは討論や議論といった破壊的な戦いの場と化してしまう事もあります。このような環境においてなされる合意形成はどちらかの意見が優位に立つものであったり(win-lose,lose-win)、お互い妥協する(lose-lose)ような結果を招いてしまいます。

「建設的合意」に必要なもの


これまでも述べてきたように、他者と「建設的合意」を行うことは意見の対立や自我と感情があるため非常に難しく、なかなかうまくいかないことがわかってきました。

では「建設的合意」を行うには何が必要でしょうか?

まずは前提として「信頼関係の構築」が必要です。お互いの信頼関係がない状況ではまず合意形成自体難しく、それを建設的なものにしようとするとなおさらです。

そして「建設的合意」には以下の3つの要素が必要です。

①対話
②共感・共存・共創の姿勢
③時間軸の活用

この中のどれもが大事ですが、私たちが今特に重心を置いて学習しているのが①対話であり、実践を通じて「建設的対話」という概念の構築しています。

終わりに

次回はなぜ「建設的対話」が必要なのかやその効果について投稿できたらと思います。

今回は長い文章でしたがお読みいただきありがとうございました。Twitterでも「建設的合意」について発信しておりますので、ぜひフォローしていただけると幸いです。また次回の投稿でお会いしましょう。


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