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【感想・書籍】「サピエンス全史(上)」第2部 農業革命 第6章 神話による社会の拡大

昨日に引き続き、「サピエンス全史 上」第2部 第6章の感想です。
とっても面白いんですが、やっぱりちょっと私には内容が難しいことと、何度読んでも根本から概念が覆されることによる気づきが相まって、なかなか進めません(笑)

読書会がもうすぐ始まるので、第2部すべてに触れることは難しかったですが、書いていて(必死ながらも)とっても楽しかったです。
また改めて書けたらいいなと思います^^

前回に引き続き、以下、本の詳細に触れておりますので、まだ詳細を知りたくないという方はご注意くださいませ。

第5章にふれて改めて思うこと(振り返り)

人類がもつ「破壊」と「創造」の絶大な力を感じているところです。
だって、250万年続いた狩猟採集生活をやめて農耕を始めたと思ったら、たった1万年ちょっとで現代のような生活環境を作り、地球全体にまで影響を与え、いまや宇宙にまで飛び出しているのですから・・・。

人類の持つ力、とくに「言葉」や「思考」の力って、自身が思っているよりもずっと大きなものなのかもしれません。

そしていまのあらゆる問題への見方も変わってきます。
人類が持つ「言葉」と「認知」の力は強力で、私達は「思いを実現させることができる」といったような「ポジティブな思い」を持つとともに、それは「破壊的な力」の方にも強大な作用を及ぼすということも認識しておかなければいけないなと。

それは個々の人生においてもそうですし、周りの人などの小さなコミュニティから世界全体を見る時においても、どちらにおいても言えることかもしれません。

第6章の概要

第6章の概要について、以下に少しまとめますね。

農業革命によって人口は急激に増大しました。
狩猟採集民も存在していたものの、急増する農耕民に対し、徐々にその規模は縮小していきました。

農耕民の大多数は定住していきます。「家」を所有し、動植物を所有し、時がたつにつれ所有物はどんどん増えていきました。
農耕民の空間は縮小する一方、彼らの時間は増大します。農業革命により生活範囲が大きく縮小し、農耕民には「未来」という時間の概念がかつてないほど重要になったのです。というのも、予測を立て、未来に備えなければ、不作の年に生き延びることができないからです。

こうして多くの農耕民は未来を心配し、未来に期待し、来る日も来る日も働き続けました。彼らによって生み出された余剰の食糧が少数のエリート層へと行き、そのエリート層によって政治や戦争、芸術が行なわれ、宮殿や記念碑が建ち、「歴史が営まれ」ました。

農耕民の生み出した食糧と新たな輸送技術が組み合わさり、ネットワークが生まれ、やがて村落から町へ、町から都市へ、やがて王国へと大規模な集団が作られていきます。

小さな集団で250万年以上生活してきた人類には、大きすぎる集団であり急すぎる拡大でした。そこを解決できたのは、「想像上の秩序」の共有があったからでした。

それは「信じることによって多くの人々が効果的に協力し、よりよい社会を作るため」につくられた秩序です。その秩序が正しいかどうかは重要ではありません。ただ「信じる」ことによって効果的に社会を築くことができるのです。

その「想像上の秩序」を信じさせるために、その秩序を(一部の人でも)心から信じ、時に力で従わせ、それが「想像上のものである」ことを認めず、そして徹底的な「教育」が行なわれてきました。

身の回りの「物質」に埋め込まれたり、「本来備わっている欲望」とし思い込まされていたり、多くの人が信じているために「共通主観的」(つまり「常識」みたいなもの)になってしまっていることで、人々が「想像上の」ものであることに気づくのを妨げていると。

そして、この想像上の秩序から逃れる方法はないのだと・・・。


家への「愛着」

それでは、この章で感じた最初の疑問です。

「典型的な農耕民はその構造物に対して、非常に強い愛着を育んだ」(P128)
(↑この「構造物」は農耕民の「我が家」を指しています)


約250万年にもわたって狩猟採集生活をしていたサピエンスが、なぜこれほどまでに「家」に強い愛着をもったのかが不思議でした。
長く放浪生活を過ごしてきたのに、どうして急に「定住」し、「所有」し、「(家の周りを)整える」ことに力を注いだのでしょうか。
狩猟採集生活が大変だったからでしょうか。
一度、農耕によって動植物をコントロールすることを知ったために得た感覚なのでしょうか。

個人的に、素敵なお家や整ったお庭などを見るとときめくので、その気持ちはとってもよくわかるのですが(笑)

250万年にわたって続いた狩猟採集生活の方が、生物学的にも合っていたのではないかと思うと不思議でなりません。

サピエンスの「強欲と疎外」(P128)、「自己中心的なサピエンスの心理的特徴」(P129)によるものなのでしょうか・・・。

もし、生物学的な変化が起きていないのだとしたら、「思考」や「認知」が行動に及ぼす影響力なども、どうなっているのか気になります。


時間と空間

「農耕民の空間が縮小する一方で、彼らの時間は増大した」(P130)

ここの補足をすると以下のような解釈になるかなと思います。
「空間の縮小」
→狩猟採集民は何10~何100平方キロメートルの「縄張り」という広大な空間で生活していたのに対し、農耕民は数メートル程度の「我が家」とその周辺を中心とした生活を送ることになったということ。
「時間の増大」
→基本的には「その日」を中心とした考えで生活していた狩猟採集民に対し、想像の中で「過去や未来の何年、何十年先まで」思いを馳せるようになったことにより農耕民が(嗜好の中で)扱えるようになった「時間が増大」したということですね。

これを初めて読んだ当時は、「時間」や「空間」について強い関心を持っており、この「空間が縮小し時間が増大した」という表現に強く惹かれました。

個人的に、「こころ」を知るために、「時間」や「空間」の概念について、もっと知る必要があるのではないかと思っていたのです。

今もまだその関心は持っているものの・・・そこに触れるまでに必要な勉強が他にあると感じ、いま自分の中で棚上げされています💦
いずれ掘り下げていきたいと思います^^


未来を「思考」する力

第5章の感想を書いた記事の「概要」でも記載しましたが、農耕民は「未来はもっとよくなるはずだ」と信じて一生懸命働いてきました。
けれども結果として、季節に沿った生産周期や不作に備えて「自分が消費する以上のものを生み出さなければ」ならず、「農耕が始まったまさにそのときから、未来に対する不安は、人間の心という舞台の常連となった」(P131)とのことです。

「『未来に対する不安』は農耕社会によって始まった」ということを別の書籍でも読んだことがあったため、この部分も興味深かったです。

ここにかかれている農耕民たちの苦労は、現代にも共通する部分が多いと感じました。

この「不安」が発生した経緯を知ったうえで、「未来」と「今」との向き合い方を変えることは、不安をコントロールするうえで大切になってくるのではないかなとも。

これはまたいずれどこかで書けたらいいなと思います^^


「想像上の秩序」を認識する

農耕によって集団が拡大していきましたが、人類はかつてない規模の集団を「想像上の秩序」を持つことによって「協力」していったとのことです。

「徹底的に信じさせ、教育させられてきた『想像上の秩序』によって人類は発展し、そしてそこからは決して抜け出すことができない」というような趣旨を読み取ったのですが、この節を読んだ時は、正直なところゾッとしました。

ただ同時に、「わたしたちの置かれている状況」がくっきりと見えたような気もしました。
さらに、こういう「想像上の秩序」は人類が社会性を営む上でなくてはならないものであるからこそ(たとえば法律や貨幣など)、客観的に見つめる視点を持つことで、それに振り回されない状態は作ることができるのかな、とも。

なかなか難しいことですけれど・・・。

ただ、さまざまな情報や刺激が溢れている昨今、この視点を持っていないと気づいたら望まぬ方へ流されてしまうということがよくあります。

それは私達が「未来を思考する力」「想像上の秩序を信じる力」を持っているがゆえの、そしてその中で発展してきたがゆえの、ある意味「埋め込まれた無意識のもの」だと捉えてみれば、その次の思考・行動をどうとるかは、自分で考えて決めることができるのではないかなと感じています。


おわりに

記事を書くのにかなり時間がかかってしまいますが、こうしてアウトプットできると自分自身とても勉強になります^^

とはいえこういう文章を書くことをしばらくやっていないので、必死でした(笑)
燃え尽きない程度に緩急をつけながら継続できたらいいなと思います。

もっと読みやすい文章を書けるように努力しますね!!

それでは、これから読書会なので、楽しんできます^^

読んでいただいて、ありがとうございます^^


参考図書

ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史(上)」第2部 農業革命, 第6章 神話による社会の拡大(P128-153) 


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akn
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