ウィズコロナ期の日曜夜は祈ることが愛と見つけたり。
2020/4/26
日曜日。間もなく夜、という時間。
今日はいかがお過ごしでしたか?
わたしはzoomで占星術講座を受けた日曜の午後でした。占星術。星の動きと地上の世界をフラクタルに繋げて俯瞰で観ていくすべを学びます。
社会が成熟することを象意する山羊座において社会天体である土星と破壊・再生の星、そして太陽系の闇の帝王たる冥王星がコンジャンクション(重なる)する今年2020年は大変革の年である、というのは占星術界隈では以前から言われていたことなのだそうですが、それにしてもここまでのこととは誰も予測しきれてなかったのではないか、というレベルの変革の時代が良くも悪くもコロナによってもたらされています。
ひとびとの直接的な交流が抑えられ、自由な行き来がし難くなった世界ですが、その実オンラインツールの普及によって距離を飛び越え繋がりやすくなった側面があったり、一時的かもしれませんが今までならば料金が発生してのやり取りであったものがzoomの開放などで“場のシェア”として繋がりを優先して機能しはじめたり、と、世界はより自由で開放的に、そして軽やかに変化しはじめているようです。
また、社会のテイストや枠組み、そしてその発展を意味する土星・木星がこの年末にエネルギーを重ね合わせる(グレートコンジャンクション)のが水瓶座においてのことらしく、それは今後「情報・自由・平等・友愛」といったものが世界において重要な構成要素となることを示唆しているのだとか。
手にすることのできた何か
ではなく、
手にすることのできない何か
が力をもってわたし達を繋ぎ結びつけ新しい社会を育んでいく。そういう予測を星々の動きを読む占星術家の方々はいま受け取っているようです。
これから先の展望が描けない、ということをことあるごとに色々な方に投げかけているわたしですが、本日の占星術講座の先生にも投げかけてみたところ
「それをいま描けるひとは誰ひとりいないのでは。世界はひとびとの集合意識で作り上げているものであると同時にひとりひとりが自分の見たいように世界を見ているものです。一度ここまでまっさらにされたのですから、これから皆でひとつひとつ描いていくものでしょう」
そう言われ、ああ、やはりそうなのか、と良い意味で諦めがつきました。
ひとに問うことではなかった。
わたしはわたしなりにそれを意図して作り上げていくしかない。
ちょうど物心ついたばかりで世界との接し方にマゴマゴしっぱなしだった幼少期のように、手探りで。でもこの度は意図を持って能動的に、もしくは中動態的に、世界に飲み込まれるのではなくわたしというものも世界に干渉させつつ影響され合って。
見通す視界は狭くなるかもしれないけれど、ひとまずはわたしの内側で大切にしたいものを定めて、同心円的にそれが大事にされる場を拡げていく。
頼りなくこころもとない不安定さはしばらくは仕方のないことなのかもしれない。
触れて確かめる、が無い世界に生まれ落ちた赤ちゃんは何をもって世界に信頼と実感を抱くのでしょうか。
わたし達がこれから身につけなくてはいけないのは触れずに信頼する能力です。そしておそらくは触れずとも愛してゆく世界です。
すごーくロマンチックに言えば、これから愛し合う人たちはより意識的に祈りあうんじゃないかな、などと思います。
今までだって愛あるところには無意識的に祈りが通いあってたはずですが、実際に会うことの難しくなったわたし達は意識的に祈りあうことになるでしょうし、もしかしたらそれを感じ取れるセンサーだって発達するのかもしれない。大昔の人たちが出来ていた(アボリジニの人達は近年まで出来ていたように)能力を掘り起こしてネットワークとの相輪で機能しだすかもしれない。
いまはまだ難しいけれど。(でもほら、「見ないで信じる者は幸い」ってイエス様だって言ってますしね?いきなり聖書世界を持ち出すのもアレですけれど)
触れる世界で生きてきたわたし達が愛や安心を実感するためのオキシトシンは触れあうことにより発生し、わたし達を癒しエンパワメントするそうですが、会いたい人に会えないときは抱き枕を抱きしめながら電話口で声を聞くことで同じような効果が得られるのだそうです。
色んな方法があるものです。
さて。日曜の夜も深まってまいりました。
いまは一日一日がどこに向かっているのかとんと分からない大海原のど真ん中めいて、時間ばかりが直線に流れていくような割りに合わない気分になりますが。
自分軸と、自分のなかに流れる愛と、それを届けたいひとへの祈りをもって月曜日へと漕ぎ出して行こうと思います。