産土様を逆に指導してみる
はらだ有彩さんの『日本のヤバい女の子』を読まれたでしょうか。
この国に伝わる昔話に登場するヤバい女の子たちを客観の真逆、どっぷりとその女の子、もしくはそのすぐ隣にいるマブダチ目線で語りほぐし、やがては昔話自体になんだか悲しい存在として閉じ込められてしまった彼女に新たな世界線を与えてあげる、というエキセントリックにしてハートフルな本です。
読んでいてこちらまで胸のなかに知らず溜め込んでいた澱が浄化されるような語り口は「ほんとはこうしたかったんだよね、わかるよ」という、女子のあいだではお決まりの、なんの気負いもなく口に出してしまえるけれど効力の高い同調とそこに混ぜ込む“どうかこの子が楽になりますように”という本能レベルの希望が織り込まれているように思えて、これは本当に“女の子”たちのための本だなぁと感嘆します。
と、この本のことを思い出したのはなぜかと言うと、今まさに私自身がこのはらださんの手法と同じものを自分の産土様に向けて発動させようとしていることに気づいたからです。
産土様というのはこの国だけにみられる信仰でしょうか。
自分の出生時に母親が住んでいた(もしくは出産した)土地を起点にして、更に各々の魂と縁のある神社の祭神が一生を“担当する”守護神として関わってくれる…というもの。不思議なもので同じ母、同じ出生地である兄妹・兄弟でも産土様は必ずしも同じではなく別々、ということもよくあることだとか。
数年前にこのことを耳にした私は早速その道の方(産土鑑定士という方々が世の中にはいるのです)に鑑定を依頼しました。大体の目星はついていたのですが。
鑑定の結果は第一の予想の神社ではなく、2番手として考えていた神社の祭神でした。
それは私がお宮参りを受け、更には父方の曽祖父が社を建てもしている、何かにつけ縁深い神社の神様でした。
ああ、あそこの神様がずっと私の面倒をみてくれていたのか!と、何事もすぐに信じやすい私は感動し、以後帰省する度に昇殿参拝をするようになっています。
40歳を過ぎてからようやくそのことに気付いて慌てて御礼参りをしているなんて我ながらちゃっかりしているなぁ…と、己の現金さも詫びながら祈祷を受けていると大抵は「いいのよ〜」と言わんばかりの優しい風がひと筋、正面の奥の院側から通り抜けていくのが不思議です。
さて。この神様は古事記に名前だけひっそり登場する吾平津媛という日向の海沿いの土地の女性で、実は神武天皇が東征に出る前の妻であった人なのでした。そんな人がいましたね、くらいの表記です。その後の夫の活躍や歴史絵巻の展開に比べると本当に「いましたね」という感じ。
このことを知ったとき、そんなただ「いましたね」なひとが自分の守護神なんてなんだかなぁ、などとつい思ってしまいました。
パッとしないうえにちょっとシャクじゃない!なによ、神武天皇って英雄ぶってるけど国に奥さんおいてそのまま飛び出して行ってウェイウェイやって(※ウェイウェイはやってない)別のひとを新しい奥さんにして吾平津媛ちゃんのこと忘れちゃってんじゃん!それなのに吾平津媛ちゃんたら「元気にやってるといーなー」なんて海に向かってお祈りしつつ死ぬまで「あのひと元気にしてるかなー、もうわたしそろそろ死ぬけど会えないのかなー」とか思って(多分。媛の設定的にもそうなってる模様)いくら私たち日向っこがのんびり気質だからってのんびりが過ぎやしないか、と腹が立つのでありました。どうなの媛。実際あなただって腹が立ったり待ち焦がれて苦しくなったりしなかったの?
実際のところは分かりません。その頃のひとびとの思考回路も分からなければ吾平津媛と神武天皇の関係性がどういうものだったのかも、これはもう学者の方が色々調べ尽くしたところで分かるものでもない。
もしかしたら意外と吾平津ちゃんは「東のほうなんてそんなど田舎(この時代は南のほうがイケてた可能性が高い)ついていくのやーよ」と断ったのかもしれませんよ、と見識の高い方から言われたこともありますし。
まぁ、そんなわけで名前しか出てこないゆえに色々と投影しまくれてしまう私の産土様なのですが、彼女に付いてしまった「ただ祈りつつ慈愛を生きた待つ女」というイメージに、守護されている側でありながら光を当てたくなりました。
だって油断すると彼女のエッセンスが私自身の人生にも滲み出てくるのですもの!
守護し守護され、という視座で見たときにそこにはどうしてもフラクタルな繰り返しが現れるようです。待つ女。どこまでも受動。それでいいのか。
おそろしいことに、これまでの人生で見る限り私は全くの“吾平津ちゃん”なのでした。自身の腰は重く、神武の野郎ども(口が悪い)がお外で活躍する(これが非常に活躍する)ばかりでやがて顧みられなくなるパティーン。
守護されるのはいいけど同じ轍を踏むのはイヤだー!!
いけない。ちょっと興奮し過ぎました。落ち着きましょう。
神話の登場人物は我々の無意識レベルで蠢き人生に影響を及ぼします。そのことは占星術の世界においても示されるとおり、私たちが物語から無縁ではひととして存在できないことに直結しています。
しかし先行する物語に囚われるだけでいいのでしょうか。
2020年にもなり、コロナ期を迎え、世界が根底から覆される今です。
そろそろ今を生きる側から神話の神々に働きかけてもいいのではないでしょうか。
彼らから受けた力を現代版へとバージョンアップして源へお返しする。彼らだって何千年と同じことの繰り返し、同じキャラクター設定を生きるのには飽きているのではないでしょうか。
少なくとも、私はわが産土様に少し新しい風を送り届けたいと思います。
もう待たなくていいよ。その祈りの手を合わせている海原にはあなただって乗り出していいのよ、と。
怒るかな、吾平津ちゃん。
きっと「そっか〜」と笑って「気が向いたらやってみる〜」とか言ってくれそう。
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