決める人生と選ぶ人生
私たちは、小さなことから大きなことまで
『選択』を行いながら
毎日を生きている。
朝起きて、
起きるかどうかも選択であり、
朝ごはんを作るか、作らないか、
誰かにお願いするのか
放置するのかw
それが選択である、と意識せずにしている「無意識の選択」の精度をいかに上げるかで人生の満足度が変わってくる、と思っている。
ハタチそこそこの頃に始めたヨガで
この「選択」がものすごく私に響いた。
✔日々の思考
✔言葉
✔メンタルの状態
✔体の状態
大きくこの4つが「無意識の選択」に大きく影響する。
例えば『思考』だと、こういう情報が欲しいな、とか
こういう人になりたいとか
こういう物が欲しいなとか
日々チラッとでも頭の中に巡らすと
そのものに出会える「選択」につながる。
(いつも歩かない道を歩いて誰かに合う、とかね)
『言葉』も『思考』につながるのですが、
私はこれが欲しい、と誰かにちゃんと声を出して伝えたとする。
すると、その声を聴いた私の脳自身が「私にそれが必要だ」と認識する。
脳はありのままを認識する臓器なので、
声に出して、耳から聞いた音を「自分事」として認識して、そのようになるべく動き出すというからおもしろい。
この二つは自分の中で解決でき、今すぐできることなのですぐに実践することがおすすめ。
反対に「これが嫌だ」「今の状態は自分にとってよくない」と思いめぐらしていたとしたら?
先述した通り、脳はありのままを認識するため「今の状態は自分にとってマイナスなんだな」とただ受け入れてその状態をキープし続けてしまう。
だから、「こうしたい」と明確に声に出し、思いめぐらすことが大事。
つまり、これらが「思考は現実化する」ということにつながるわけです。
これを踏まえて、大事になってくるのが「メンタルと体の安定」です。
望む「無意識の選択」をするために、安定した心の状態と健やかな体の状態でなければ、よい思考もよい言葉も発せられない、ということ。
今はメールの文面も、自分から発せられるものとしては言葉と同じと考えます。
メンタルが弱っていると、
普段ふーんと受け流せることがチクッと痛んだり
被害者の気分になってしまったり
普段なら絶対言わないような言葉を相手に投げてしまったり
手放さないほうがいいのに、なぜか手放してしまったり
反対に執着してしまったり
体がしんどいと、
いつもなら丁寧にする部分が面倒になることとか
正常運転期なら絶対しないようなミスをしてしまうとか
メンタルと体の不調で、不安定だと
なりたい自分に向かうための「選択」につながらない。
むしろ反対にいろんなことが暴走してしまう。
人との信頼関係を失ったり
言い訳しないといけなくなったり
孤独を感じたり
無理して元に戻そうとカバーしようとしたり
人間だもの。そういうときは絶対ある。
でも、相手に投げたボールの事実はなくならない。
心と体の安定は、相手にも影響を与えてしまう選択につながるので、自分の中で解決する『言葉』と『思考』よりやっかいだ。
こうなりたい、
こうありたい、
こういう仕事がしたい
こういう家族をつくりたい
これらを自分の意志で「決める」。
『無意識の選択』が連れてくる「選択」を素直に心のままに選ぶ。
そのために、メンタルと身体の安定は必須だと思っています。よい思考とよい言葉は健全な心と体から生まれるもの。
私がヨガとライターをしている理由に、
この部分がずっと根底にあるからだと思っています。
2020年9月22日は秋分の日。
暦の上で大切な日なので、改めて私の核となることに触れてみました。
つい先日祖父が亡くなりました。
実は私とは血がつながっていなかったことを知ったのは大人になってから。
母は、ずっと血がつながらない養父との関係はしんどかった、と言っていましたが、私にとっては、そんなこと言われるまで感じることもなかったくらいかわいがってもらって、愛情を感じていました。
ただただ悲しくて、でも後悔とかは一切なく、安らかに眠ってくれたらと思っています。
祖父のことから始まって、9月はいろいろありました。
でももう今日を境に、このnoteに書いたことで
悲しみや傷づいた出来事から解放されたような気がします。
※こういう文章を書くと「私のこと?」と言われる人が一定数いますが、誰か一人に向けて書いたものではありませんのであしからず。。。
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