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【2024年10月 6府県旅行記】⑨大阪 「太陽の塔」の中へ

10月に5日間で6府県、総移動距離2500キロを回るダイナミックな旅をしてきました。
こちらはその旅行記です。

旅程

10月11日 退勤後羽田発―広島泊 
10月12日 広島島根→広島泊
10月13日 広島→大阪→名古屋泊 ←今回
10月14日 名古屋→岐阜泊
10月15日 岐阜→金沢→帰宅

万博の専門家とめぐるツアー

この日のツアーには、社会構想大学院大学で「社会教育士」養成講座を2024年夏に受講したメンバー、教授とその知り合いや家族など14名が集まった。受講生の中に、万博を研究されている五月女賢司先生(博物館学)がおられ、「太陽の塔の内部に入ってみたい」というほかの受講生の声にこたえて、それならみんなで見に行こうという話になったのである。この講座は教室受講のほかにオンライン受講もできたので、受講生は全国から参加していた。講座は毎回グループディスカッションがあり画面越しに顔は知ってはいたものの、このツアーで初めてリアル対面した方がほとんどだった。

今回案内してくれた五月女先生は1970年大阪万博のレガシーとして出来た国立民族学博物館の研究員となったことをきっかけとして、万博そのものに関心を持たれたとのこと。10月に発売となった「いま振り返る!万博の思い出」(宝島社)の監修・執筆もされている万博の専門家である。そんな方が案内してくれるという超貴重な機会。
岡本太郎の「太陽の塔」の名前やビジュアルは知っていても、関東の人間にとってそれほど親しみのあるものではない。私もてっきりモニュメントだと思っていて、あれがもともとパビリオンで内部を見学できるということを知らなかった。

五月女先生には、万博の背景や知られざるエピソードなどもふんだんに詳しくご案内いただいた。
間近で見ると迫力が違う。横顔もカッコいい。頭についているのは避雷針とのこと。
かわさきミュートンも同じポーズ?
個人的にお気に入りの1枚。太陽の塔「第3の顔」黒い太陽。信楽焼でできているそう

1970年当時は、太陽の塔の周りを丹下健三が設計した大屋根が取り囲んでいた。屋根を突き破るように屹立する太陽の塔は、当初はそのようなデザインではなく、岡本太郎の反骨心の表われ、もしくは女性的な大地を突き破る男性のシンボルを表象したという話がまことしやかに伝わっているが、それはどうも後から付け加えられた噂話らしい。

いよいよ中へ

さて、いよいよ内部へ。恥ずかしながら、先述の通り太陽の塔がかつて万博のテーマ館として公開されていたことも知らなかったので、てっきり中は空洞だと思っていた。万博終了後に展示が終了し、2018年に48年ぶりに展示が再開されたばかり。中が見られるようになったのは意外と最近の話だったのだ。
岡本太郎による太陽の塔のアイデアスケッチが展示されているエリアなどを通り、かつて地下にあった「生命の神秘」のエリアへ。ここには太陽の塔「第4の顔」のレプリカが展示されているのだが、肝心の本物は、万博終了後の撤去工事後、今に至るまで行方不明となってしまったそうだ。

そのエリアを先に進むと、目に飛び込むのは真っ赤な空間と、原始的なおびただしいオブジェ。塔の内部にそびえたつのは、生命の進化を表した「生命の樹」。根元にあるのは原初の生物。この40メートルの樹を螺旋階段をのぼりながらぐるぐると見学していくと、やがて魚が出てきて、両生類、爬虫類、恐竜、哺乳類、鳥、人間・・・というように進化の過程をたどることができる。写真撮影は安全のため、根元のエリアのみしか許可されていない(別料金で落下防止用のカメラホルダーをレンタルすると上の方でも撮影できる)

単純な生物のにちゃっとしたおどろおどろしさを感じる根本付近
これだけで十分圧倒される

1970年当時は、黛敏郎作曲の「生命の賛歌」という曲が流れていたそう。
その曲は知らないけれど、なんとなくその時代の「現代音楽」的な響きはこの目の前の前衛芸術的な展示にぴったりだったんだろうと想像する。
まだ生まれていなかったこともありピンと来ていなかったけれど、1970年は安保闘争が吹き荒れていた時期。万博は安保条約の自動延長から国民の目をそらすための国家イベントだとして激しい反対運動も起こったのだ。体制側のイベントに、文化人や芸術家が参画することも批判の対象となった時代である。太陽の塔の外見は「進歩と調和」というテーマ、科学技術への礼賛といった未来志向の思想には一見全くそぐわない、原始的な偶像である。1970年当時も、最初から太陽の塔がみんなに受け入れられたわけではないという。プリミティブな生命力を内包しながら、なぜか不機嫌そうなシニカルな顔で、でも両手を広げて人を迎え入れるこの太陽の塔は、人は矛盾した生き物であること、また個人と現代国家、芸術と大衆、万博への賛成反対などの当時の対立を受け止めようとする力強さを感じる。そうした不調和を超えてはじめて調和が訪れるというような思想を表したかったんじゃないか、それが芸術家としての仕事だったんじゃないか、そんなことも考えた。

見学は予約制(空きがあれば当日も可)。詳しくはオフィシャルサイトを。

五月女先生の監修による万博本はこのツアーの1週間後に発売された。万博について知りたい方はぜひ。万博への見方が変わるかも。懐かしいつくば万博のコスモ星丸のステッカーつき!

昼過ぎまでたっぷり太陽の塔を見学し、次は国立民族学博物館に向かう。

今回の移動

大阪・万博記念公園内

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