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私がダンスに辿り着くまで2(体操編①・閲覧注意かも)

*超絶自分語りかつ、摂食障害や前十字靭帯断裂などの精神的にも肉体的にも痛い内容が出てきます。危険だなと思った方はそっと閉じてください。。



どうやら私は体操には向いているらしい。
床に座って開脚前屈は上体が床にぺったり全部つくし、なにより体操クラブの中で後に誰よりも高く宙返りが出来るようになる脚力を持っていた。
小学6年生の時には中学生の先輩より難しい技ができるようになった。
そして根が真面目で承認欲求強つよだったので、コーチにとって教え甲斐がある選手だったと思う。

ただし水泳教室での泳げなさっぷりから分かるように不器用さんだ。
自分の気持ちを素直に表すのも苦手。
「分かってもらえている」という安心感を感じられなくて、必死に言葉を探すうちにどんどん難しい言葉を覚え、「小賢しい」「わがまま」「我が強い」「頑固」と形容されるようになった。(主に母や親戚の大人から)
確かに自分の考えがはっきりあって、それが正義だと思っていた。
保育園でそれを主張して先生を困惑させたエピソードをはっきり覚えている。
そんな心身の不器用さやアンバランスさ、心の飢餓感からの承認欲求に囚われて、いつしか体操は楽しいものから悲壮感たっぷりのアイデンティティーになってしまった。

高校に進学すると、年間360日くらい練習する日々に。年末から正月にかけては学校に泊まり込んで合宿だった。
私は承認欲求の塊だったので、進学先は自分が活躍できそうな学校を選び、先輩を差し置いてでもガシガシ練習した。
もちろんチーム内では浮く。先輩や監督・コーチからも「あっこさん」と、「さん付け」で呼ばれるほどだ。他の子たちはみな○○ちゃんと呼ばれていた。
孤独だったけれど、私の中では監督に認めてもらうことが生きる意味だった。
大人になった今思い返すと、どの時代のチームメイトにも謝って回りたいほど嫌なやつだったと思う。
当時の私は、出来ないことがあるのに練習を頑張らない人(そこまで自分を追い込めない人)の気持ちが分からなかった。
自分の正義と人の正義は違うということも分かっていなかった。心理的境界線が曖昧で未熟だったのは私の方なのに。「なぜもっと真剣に練習しないんだ」と怒りを滾らせていて、近寄りがたかっただろう。というか、うざいことこの上ない。


高校1年の秋、試合中に足首を捻挫。しばらく練習ができなくなってしまった。ちょうど成長期で体重が増えていたので、これは本気でダイエットしないとマズい!!と思ってしまった。
こういう性質の人間がダイエットをすると・・・2か月で-10kg。
体重がある一点を切った頃、ある日突然バク転が支えられなくなり、その日からあれよあれよと何もできなくなった。
体操競技においてバク転とはただの助走で、それが出来ないとなると選手ではいられない。
これまで天性の脚力と承認欲求のパワーだけで全てをどうにかしてきた不器用さんは、成長期の人間の摂理を抑え込むことは出来ずに、摂食障害になりました。
食べて体重を少し増やさないといけないのに、自分の見た目はまだ太っていて醜く見える。太るなんて恐ろしい。太ってしまったら自分の存在価値は本当に無くなってしまう。
当時摂食障害はまだそれ程認知されていなくて、周りの誰もどうしていいかわからない。コーチの知人の看護師さんに勧められて、公衆衛生研究所というところへ。カウンセリングをうける、みたいな感じだった。
ほどなく拒食から過食嘔吐になり、体重は20kg近く増え、それでも骨と皮だけの状態よりは太っている方が動ける(当たり前だ)、ので試合に出なきゃいけない。こんなひどい状態でもチームで一番点数が稼げるのは自分なのだ。
見た目はむっちりぽっちゃりに戻っているので健康になったように見えるけれど、心はぐっちゃぐちゃに病んでる、なんなら骨と皮の頃の方が精神的にはまだ楽だった。
他校の選手も審判の先生も、みんな私がガリガリになったことを知っている。こんなに太って醜い姿を見られるのが嫌だ、体重が重くて足首が痛い。でも試合には出なきゃいけない。体操以外に存在理由がないから。

高校3年生の春、進路問題にぶちあたる。もう苦しすぎて体操は辞めた方がいいのかどうかもわからない。
全国大会に出られたら満足して辞められるだろう。出られなかったらきっと自分の事だから、悔しくて辞められないと思う。予選の結果で決めることにした。
チームは1校しか全国大会に進めない。うちの学校は無理なのは明白。
個人枠は2つ。私か、ジュニアチームからずっと同じ所属の後輩かどちらか一人は行けると思う。
私がミスを1つも出さなければ後輩には勝てる。勝てれば、体操を辞められる。はずだった。

本番前の床運動の練習時、右膝の前十字靭帯が切れた。いつもより後方2回宙返りの高さが高かったのだ。着地を止めるために踏ん張った時の膝の角度が広すぎた。「ごきっ」と鈍い音がした。かなり痛い。でも知識のなかった当時はそれが選手生命を左右する大怪我だとは分からない。監督も気づかず、自分で適当にテーピングで固定して本番。演技が終わっても痛みですぐには立ち上がれなかった。
次が最終種目の跳馬。2本跳んで良い方の点数が採用される。
1本目で着地が1歩前へ出てしまった。2本目は止める!踏ん張った瞬間右膝から「ごきっっっ!!」と音がするとともに激痛!膝を抱えて倒れこむ。
膝から下が飛んで行ったかと思うほど痛くてでかい音がした。膝はくっついていたけど立ち上がれない。どなたかに引きずりおろしてもらう。
内側側副靭帯断裂と半月板損傷。床運動での前十字靭帯と合わせて「不幸の三徴候」と呼ばれるやつ。当時は再起不能のパターンと言われていたやつ。

試合の結果は私が全国大会の個人枠2位。出場権は取ったけれど、どう考えても歩けない。これは・・・進路決定はどうしたらいいんだ?それ以前に治るのかこれ??・・・てか、疲れた。もう何も考えられない。。
2か月間の入院期間でゆっくり考えよう・・・


考えた結果、とりあえずそこまで強くなくていいから体操部のある大学に行って、治ったら復帰するかもしれない、だめなら指導班やマネージャーになる。っていう風にしたい。
(今思うとものすごく自分勝手で贅沢な要望だな(^^;))
入院中にジュニア時代の写真を見たの。この頃もチーム内で浮いてはいたけど、高く跳んで回るのは気持ちよかった。今のままだとものすごく苦しい思い出だけになってしまうのが悲しい。体操をただ楽しいと思う気持ちを取り戻したい。
ということを監督に正直に話した。

そしたら決まった進学先は・・・
まあまあ本気の体育会系。体育学科競技スポーツコース。。
あれ?

続く

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