おばあちゃん事変記1
祖母が先日、亡くなりました。享年98歳でした(確か)。
そろそろ49日というところですが、不思議な心境で悲しいとか寂しいとかがない。けど、なにかしら考えてしまうのでnoteに綴ってみることにしました。
それにしても祖母は、なんとまぁたくさんのエピソードを残していきました。「憎まれっ子世に憚る」という言葉のまんまの祖母でしたが、外面は良い。良すぎる。
晩年(90代)は施設に入っておりましたが、
「可愛がられるほうがいいと気付いた」
的な発言をし、『可愛いおばあちゃん』に変身を遂げました。なんだよその計算! あざとい! が、正解!
そんな祖母が、年明けてすぐに、亡くなりました。
朝、母からの電話がなった瞬間にわかりました。
心を落ちつけて、着信の受話ボタンをタップすると、母の努めて明るくしようとしている声がしました。
「あー、あのねぇ、おばあちゃんがねぇ、今、亡くなったとよ」
「そっか」
って、言って、少し泣きました。
でもなぜか、それ以降泣いてません。ちょっと涙ぐんだりはするけど。
なんだろうなぁ。きっと、通夜葬式諸々まったく参列していないからかもしれない。コロナの影響は地味に効いてきますね。
と考えながら祖母について、書き綴ってみたら、ものごっつ長くなった。
ので数回に分けることにしました。
エピソードありすぎ。
今回は、つらつら思出せる祖母のことを、ざっくりと書いてみました。
ざっくりと祖母の思い出
なかなか個性的な人でした。よく怒るしよく感動する。その幅がすごい。
怒るときは激しく、今思い返すと『虐待か?』というレベル。
半面、情が厚いというか……「言葉が話せない子どもや動物には優しくしなさい!」とか、「結婚相手に子どもがいるときは、絶対どんなんことがあっても子どもに良くしなさい」とか言っていました。
という割には、子や孫になかなかの対応ぶりで、私も母も「祖母に似ている」と言われると本気で嫌な顔になります。
しかし、関東大震災の年に生まれ、戦争を生き抜いてきた祖母は、なにかを『受け入れる』ということには長けていたのかもしれない。私の受験がうまくいかず、ことごとく落ちていた時も、ただ黙ってみていて、まだ結果が出ていない学校があるというと
「人事を尽くして天命を待つ」
と呟いていました。そこの合格通知が届くと「ああ良かった、良かった」と言っていました。
『ことごとく落ちていた』という通り、人事を尽くしていなかった私は、「天命は来ないよ……」と絶望し、「人事は……尽くすべきだな」と思った甘酸っぱい思い出。
ざっくりと祖母の昔
祖母は昔、デパートガール、デパガとして働いていたそうです。三越? なので三越大好きです。「三越で買ったよ」というとなんでも受けいれます。
東京でデパガをしていた祖母が、なぜ長崎の諫早のほうに来たのだろうと不思議に思っていました。
まぁ昔だし、お見合いかなぁとふんわり考えていました。
おじいちゃんも、こんな激しい嫁さんで大変だったろうと思いをはせたものです。
ちなみに祖父は若くして、50代でガンで亡くなっております。祖父と祖母が夫婦喧嘩をした時は、母たち(三姉妹)は、さっとちゃぶ台を片付け祖父の味方をしていたとか。
……と思っていたら、なんと祖父と祖母には素敵なヒストリーがあったそうです。
胸キュン祖父と祖母
第二次世界大戦が終わり、その時は祖母は東京在住でした。
聞き伝えと記憶があやふやなため、ふんわりしたものになりますが。
祖母の兄が(確か)軍医をしていて、戦争が終わって帰ってくるときに、戦地(?)で仲良くなった青年を連れて帰ってきたと。その青年は長崎の人で、長崎に帰れるまで祖母宅に逗留したとのこと(と聞いたような気がする)。
そこで、恋仲になった(らしい)。
青年が長崎に帰れるとなったときに、祖母を連れて行きたいと申し出たそうな。
おじいちゃん……! みかんの美味しいところで育ったおじいちゃん! そして、みかんの美味しいところに単身お嫁にいったおばあちゃん!
このエピソードを思い出したのは、祖母が亡くなってから遺影や位牌について話を聞いていたときです。
遺影の写真フレームはお揃いを用意していました。並べるとしっくり。
お位牌は後々祖母の戒名をいれるスペースをとり、祖父の戒名は右寄りに。祖母の戒名をいれると、しっくり。
(こういうの、夫婦位牌っていうんですね。知らなかった)
さ、再婚するとかなってたらどうしたんだろうか……と、うっかり邪念を持ってしまった私です。
そんなラブラブな祖父母。祖父のことは大好きで尊敬してますが、また違う種類の尊敬の念を抱いてしまう。
そんな偉大なる祖父にお願いがあります。
おじいちゃん……ちょっと私たち、おばあちゃんに亡くなるまで内緒にしていたことがあるからさ……亡くなったらバレると思うから、ぜひそちらで、おばあちゃんの怒りを鎮めていてください……。
いくつか内緒ごとがあるのですが、ちょっと小さめの内緒ごとは、祖母が飼っていたワンコが亡くなっていたこと。ずっと
「リリー(犬の名)は元気だよ」
とか、施設から帰るときに帰りづらいので、
「リリー(もう亡くなってる)にご飯あげなきゃだから、帰るね」
だの言っていたのに、あちらへ行ったら
「リリーがこっちにいるじゃないの‼??」
と絶対お怒りになると思うんです。てか、爆弾級の内緒ごともあるので本当に、おじいちゃんお願いいたします……!
なんてつらつら書き綴るのですが、ふとした瞬間、
おばあちゃん元気かなぁ
なんて思ってしまう奈良の空の下でした。
きっと、コロナが落ち着いて、長崎に帰って、お仏壇とお墓に行って、初めて実感するんだと思います。
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